③柳田国男100年の旅 笹の峠編
行程
平成20年7月20日
09:30 南郷 神門神社下物産館駐車場発
10:40 マイクロバス下車 林道登山開始
11:50 笹の峠 (昼食) 民謡「笹の峠」「駄賃付け唄」他
13:00 下山開始
13:20 林道 マイクロバス乗車
13:30 湾地峠マイクロバス下車 徒歩
13:15 上松尾集落(湾地から1.1km)
14:10 庄屋松岡邸跡 大銀杏 (湾地から2.8km)
14:40 林道「中の八重・夜狩内線」分岐(湾地から3.9km)
14:50 マイクロバス乗車出発
15:20 椎葉民俗芸能博物館着 旅館チェックイン
博物館見学 博物館ガイド椎葉村教育長
笹の峠で
秋本 治
皆さん、お疲れ様でした。全員無事に念願の笹の峠に到着できました。これが一等三角点で標高1340mとあります。ここで柳田国男は、仙台平の袴に絽の羽織、刺し子の白足袋という正装をして椎葉入りをしたということです。貴公子という表現がぴったりの姿で椎葉の皆さんの度肝を抜いたそうです。それでは副町長さん、ここから見える南郷や美郷町の山々についてご説明をお願いします。
黒田一弥副町長
皆さん、こちらに来てください。この方向が東ですね。こちらが日向市の方向です。正面向かって右の方に見えるあの一番高い山、あれが尾鈴山(1405)です。それから左の方に目をずらしてください。あれが高峠(1107)です。そしてあれは、南郷の神門から見たら一番きれいな山で山神山と清水岳(1204.5)です。テレビの中継塔などがあります。それから市房山(1721)は、ずーっと右の後ろ、この方角になると思います。それから、大崩山(1643.3m)はこの方向です。中央左の奥が延岡です。「帆掛け舟が見えた」といわれていたのはこの方向になると思います。
(会場)
・あーっ、帆掛け舟がみえました。
・何艘みえましたか。
・三艘です。(爆笑)
・昔は空気がきれいじゃから見えたんでしょうねえ。
(松岡今朝男氏)
この度は、柳田国男の100年を偲ぶ旅ということでご参加を頂きまして有難うございます。まさか、この峠まで、これだけ多くの人達が参加をして頂けるとは思いませんでした。私はこれから下に下った椎葉の松尾という集落に住んでいます。私の父、もう亡くなりましたけど、それから叔母が去年101歳で亡くなりましたけれど、昔は、ここの道を駄賃付けをして通ったというようなことで、その頃の話を子供の頃からよく聞かされた記憶がございます。その峠道を、私はここにはよく登ってくるけれども、南郷の方からは今回初めて登って来たところです。父や叔母やらの昔話を頭の中に描きながら登って来たところでした。
今日は那須英一さんがこの峠にまつわる歌を披露して頂くという事で、お出でを頂いておりますので一つご静聴頂きたいと思います。宜しくお願いします。(拍手)
(那須英一氏)
皆さんおはようございます。只今、松岡さんより紹介を頂きました、那須栄一でございます。昭和5年の生まれで78歳になります。今日は柳田国男先生が100年前この峠に立たれた、その記念すべき日に参加をさせて頂きまして、ほんとに有難うございます。昔からこの松尾地域にですね、祝いの歌として歌われております「笹の峠を称える歌」を皆様にご披露申し上げたいと思います。
・音にきこえしろん山の 笹の峠と申するは 世にも名所なお山なり
・春にはコブシや山桜 広きお山は花ざかり
・夏には東を眺むれば 美々津、細島、延岡の 沖に白帆が見えるなり
・秋にはブナやもみじ葉が 広きお山を照らすなり
・冬ともなれば 樅・栂が 枝をたおめて雪を待つ ションガイ(拍手)
それから松尾の人々はですね、昭和8年まではあの下の方の327号、あの道路が出来ておらんかった。それで昭和5年から住友林業が100万円を投じて那須橋まで道路を抜いた。それで、昭和8年まではこの峠を越えて駄賃付けをして、そうして松尾の人達が生活をしておったという事です。その時に歌われた『駄賃付け節』これは松尾でも何通りもあります。私のは、水越、小原、中八重、これを五百地と言うんですが、そこで歌われた駄賃付け節を披露させていただきます。
松尾の「駄賃付け節」
・ひとり越えごしゃ寂しいじゃないかよ ひとつ音を出せほととぎすよ
・朝も早ようから駒追いかけてよ 登りつめたが笹の峠よ
・峠くだれば水の元よ 高はな過ぎたら川上の迫よ
・駒よ勇めよ神門に着けばよ 荷物おろして豆買うて喰わすよ(拍手)
松尾の人たちがですね、この峠を越えて南郷の師走まつりに行っておりました。南郷の神楽せり歌は、ここを越えていく歌です。
・この寒いのにゃ、笹山越えて、笹の露やら涙やら
今度は、南郷の人が歌うのは、
・市谷(いちや) 川(こ)上迫(かんさこ) 那須山の出口 那須がござらにゃ市や立たぬ
このように南郷の人がやりおったのですねえ。
松尾の方では椎茸、お茶、カチグリ、干し柿、そんな物を南郷の師走祭りに持って行きます。そうすると今度は細島商人(あきんど)がトウジン干しやら、ああいう魚などを持ってきています。そこで、今と違うてお金をだすんじゃない、物々交換です。椎葉の人は一升桝かなんかで、お茶でも一つ二つと実を入れたり、ひっくり返したりして、今度はせごおりに乗せたりして、すると今度は細島商人(あきんど)は二匹(こん)、三匹言うて魚をどんどんどんどん投げ込む。そじゃから、那須が来にゃあ市が立たん。それが昔の市です。
今日は、柳田国男先生がこられて100年ということで、この峠に皆さんがあつまるということを聞いたので歌ってやろうと思って来たところです。ありがとうございました。(拍手)
秋本 治
ありがとうございました。初めて聞くすばらしい笹の峠の歌をご披露いただきました。そして、笹の峠を越えて師走祭りに行き、市が立つ、その様が目に浮かぶようです。ほんとにありがとうございました。
それでは、ここでせっかくですから、もうひとつの霧立越の駄賃付け歌を椎葉英夫さんに突然ですが歌っていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。(拍手)
椎葉英夫
霧立越の駄賃付け歌はちょっとテンポが速いです。昔をしのぶような、本当に情緒豊かな歌です。それでは歌います。
・おどま十三から駄賃つけなろうてよ 馬の手綱で日をおくるよー
・朝も早ようから峠にのぼりよー お日の出を待つさまを待つよー
・今朝の朝草はカルカヤにゴブリョウよー 誰に見せても恥ゃかかんがよー
・登るおお坂くだりになればよー 足の軽さや頼もしさよー(拍手)
松岡今朝男
私は、耳川広域森林組合長を4年間勤めまして70の坂を越えたので去年の5月で退職をしたところでした。甲斐重勝組合長が初代で私が二代目でした。退職の時に、何か記念にというような事で、この笹の峠は私にとっては『母なる峠』のような気がしておりますので、記念碑を造るということで建てたところであります。そこで、私なりに我流ですけれども、次のような詩を石碑に刻みました。「いにしえを、黙して語る、峠みち、ぶなの巨木の、若葉さやけり」というようなことで書いたわけです。碑文は「笹の峠を越える神門往還、その窪みの深さに、悲喜こもごもの想いを背負って、往来したであろう先人たちの、営みに思いを馳せながら歴史の深さを踏みしめつつ登る、笹の峠1,340.4米」というようなことで、おこがましいわけですけれども、この登山道の入り口のところに立てました。椎葉側に下山される時にご覧頂ければありがたいと思います。今日はほんとうにありがとうございました。(拍手)
秋本 治
どうもありがとうございました。それではここで昼食を摂られてください。只今12時ですので12時40分に出発したいと思います。よろしくお願いします。
松尾掛庄屋 「松岡久次郎邸跡」
黒木勝実
ここが松岡久次郎邸跡です。柳田国男が椎葉で一番最初に着いたのはこのお家でした。今はこういう廃屋になっていますが、昭和30年頃までは人が住んでました。松岡久次郎邸は、当時は松尾村でしたが椎葉に来る役人の主な人が、ほとんどこの家に来て泊まって椎葉に出たというように、もうほとんどの人が逗留していました。そういう有名な人でした。案内板にあるように牛馬を何十頭か養っておりまして駄賃付けをしておりました。
柳田国男は、「この松尾から近頃有名になった椎葉村という所に行った。そこでは非常なる歓待を受けた」、というようなことを書いています。もう、とても中瀬淳村長以下、有志、当時の学校長さんたちが来て接待をしまして、後で「故郷70年の中で自分の意を満たした旅であった」というように、非常に歓待されたことを書いてます。満足した旅ということです。彼は元々いろんなことをやってきていますが、熊本で広瀬弁護士から椎葉の話を聞いて、それから人吉の鍋屋旅館で「この先に平家がおってその平家に子供作ってそれを置いて去ったところがある」ということを聞き、それから、当時の高岡県知事から椎葉の那須に焼き畑という奇習が行われている所があるということを聞いて椎葉に来たといわれていますが、その前120年前に古川古松軒とか橘南谿とか、そういう旅の作家が椎葉とやらに是非行きたいと言って近くまで来てとうとう果さんかった。そういう憧憬の旅作家がおって、どうしても自分としては椎葉とやらに是非行きたいと、憧れの地であったわけです。それでついに来て第一歩がここでした。これからは至る所で歓待をされて凄く心豊かな日々を送ったようでした。また道中でいろいろお話をします。これから村の中を歩いてくだり下の往還で車が待っている手筈です。