霧立越

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第3回・霧立越シンポジウム 霧立山地の植物


日時 1996年5月11日  ところ 鞍岡中央公民館


第2部 パネルデスカッション ―自然との共生を考える―


パネリスト
小野寺浩氏 環境庁自然保護局九州地区事務所所長
鈴木素直氏 宮崎市・日本野鳥の会評議委員
中村優太郎氏 宮崎県環境政策課長
松村紅実子氏 大分県・オフィスKATE主宰
甲斐重勝氏 前諸塚村長
コーディネーター
秋本 治 やまめの里



 自然と人間とのかかわりあい。
秋本 先程、今江先生のご講演で、生物が生存しているということ、植物がそこに分布しているということは、実は壮大な地球の生い立ちの歴史を背負って生きているのだということ、地球が誕生した時から人間と一緒に進化してきた生き物だ。というお話は、自然と人とのかかわり方を考える上でとても新鮮に聞こえました。また、貴重な植物は人々に知らせるべきか否かの問題は、守ることの難しさを考えさせられました。そして、植物たちから学ぶことのすばらしさや当り前と思われることから意外な発見があることなど、私たちの目から多くのウロコが落ちたように思います。
森のくらしは、動植物との深いかかわりあいの中で成り立ってきたというお話を聞いているうちに、ある想い出が頭をかすめました。例えば、6月になると霧立越が新緑に覆われてきます。するとブナの森からハルゼミの大合唱がはじまります。ハルゼミの鳴き声はオーギオン、オーギオン、ギオン、ギオン、ギオンと聞こえるのです。森全体から湧きあがるように聞こえます。この鳴き声を聞くと村の祇園祭りが近いことを思いだします。神楽ばやしが聞こえ、ご神幸行列や出店の綿菓子、金魚すくい、オモチャの笛や鈴の音などハルゼミの声にだぶって祭りのイメージが浮かぶのです。もうすぐ夏祭りだと。子供心に祇園祭りが近づくのでオーギオン、オーギオンと鳴くのだろうなんて考えたものです。
また、お話にありましたキレンゲショウマですが、この花が黄色い蕾をつけますとお盆を思い出すのです。七夕の日に先祖のお墓を掃除していると、お墓のあちこちにキレンゲショウマが手向けてあるのです。だからキレンゲショウマの花をみるともうすぐお盆だなあと思い出すのです。そんな貴重な植物とは知らずにです。今、少し思いを廻らしただけでも、私たちが生きてきた記憶は自然界と密接な関係があったんだなあと感じました。
そこで、このパネルディスカッションでは、霧立越を活用することと、霧立山地の貴重な植物を守ること、この相反する問題をどう捉えるか。人間と自然とのかかわりあい方はどのように考えればよいのか。自然と共に生きていくためのシナリオはどうあるべきか。今江先生のお話から更に踏み込んで論議を深めていただきたいと存じます。
それでは、先ず日本野鳥の会の鈴木先生から、植物より少し高い位置の鳥の目から観たお立場で議論のきっかけを作って頂けたらと思います。

自然体験が財産
鈴木 私は、もう65歳になりました。年を取るとはこんなことかと、なんとなくわかってきたような感じがするようになりました。若い時は相手の身になってものを考えなかったなあ、60を過ぎてからやっとわかったという情けない感じがするようになりました。程度の差こそあれ我々の先輩たちもそういう思いがあって、精一杯年寄りらしく孫なり隣近所の子供たちへ語りかけたのだと思うのです。最近は年寄りの出番が少ない、むしろ排除してきたということがここ20〜30年感じられるのです。そういう点でいいますと自分が子供の時に何をしていたか、何を感じていたかということが60過ぎてから脈絡なしにポッとでてくるんですね。私は、大淀川と一ツ瀬川の下流の水系で育ったので自然に恵まれたというか、遊びほうけたというか、そういう体験が今になってみると私の一番の個人的な財産だと思うのです。心の支えだということを今感じております。
そういうことから鳥を考えてみますと、鳥がかわいいとか、鳥が大切だからという前に、その背後にある餌になる虫だとか、繁殖している場所の樹木だとか、森だとか、水辺だとかそういう自然環境がわかりやすいのが鳥です。こどもの時、メジロを養ったり、罠をかけてヒヨドリやらツグミを捕ってよく食った。いま笑っている方はきっとそういうご経験があると思うのですけれども、そういうのを今は奨励できないわけですね。現代社会の一番痛いところというか落とし穴だと思うのです。鳥を捕るために覚えた鳥の習性・生態とか、飼っている鳥が死んだ時の心の痛みなどは典型的自然体験でした。若いおとうさんやおかあさんたちは、そういうところを蹴ちらかして子供を別方向へ一生懸命追いたてているといってもいいのではないかと思うのです。
 子供たちを連れて親子会や観察会で山や川に行きます。そこで、鳥が鳴いている、虫が這っている、あるいは魚が泳いでいる、そういう時の態度が「俺が見てやるんだ。俺が聞いてやるんだ」という態度や行動が非常に強いのですね。人間様がいて自然を見てやっているのだ、自然をながめているのだという、そういう生活態度が非常に強くなった感じがするのです。もっといえば、鳥を見て「あっきれいだなあ、見せていただきます」と、あるいは虫が鳴いていると「いい声だなあ、聞かせてもらいます」という態度や思いはもう全くないといっていいほどなんです。自然を大切に、自然にやさしくなんて言うことは横柄な、横暴な、傲慢な人間の暮らしぶりの裏返しであろうと思います。
今江先生が言われた植物の方言の由来なり方言名の存在価値とか、秋本さんが言われたキレンゲショウマが咲くとお盆を思い出すという、そういうかかわりを、自然保護だとか、地域おこしをするとかいう時にもういっぺん見直しておく必要があるような気がしております。
それから、もうひとつは待つという気持ちです。山を歩くとか、鳥を見るという時にじーっと待つことが今はできないのですね。そして行けば必ずいるとか、行けば必ず気持ちがいいということが先にあって、山道を歩いて気持ちが悪いのは山が悪いとか、鳥が鳴かないのは鳥が悪いのだといって、相手の身になるということを忘れかけているのではないかという気がするのです。相手の身になるということは、山の自然の多様性を壊さない、生き物の習性、行動に合わせてじっと待つという心がまえなんです。明日の霧立越を登られる時に、高いところに登ったら気持ちがいいのはなぜかということを考えてもらいたいと思うのです。肌に感じること、臭ってくるもの、山の怖さ、自然のわずらわしさなどをじっと立ち止まって五感から考えてほしいと思います。

人間は自然が嫌いだった
小野寺 私は、環境庁に昭和48年に入りまして、自然保護の問題でありますとか環境問題をいわば「なりわい」として20何年間か考えてきた立場の人間であります。自然保護の意味というのは何であるのか、あるいは自然というのは人間にとって何であるのか、ということをずーっと突き詰めて考えますと、今日の今江先生の講演のお話が非常に軟らかく説明されておられるので、あれ以上の説明というのはちょっとむずかしいのではないかというふうに、私としては考え続けてきた結果を含めて感じております。
自然が大事であって、かつ残すべきものはちゃんと残すべきであるという議論は今江先生のご講演でもう終わっているわけであります。後はこんなところであまりくだらない話をしているよりさっさと現地へ入って行って、自然を肌で感じた方がいいのではないかという気がしているわけですけれど、そう言いますと今始まったシンポジウムが一瞬にして終わってしまうということになります。せっかくの機会ですからシンポジウムをちょっと面白くする立場で、あえて違ったことを言ってみたい。ここに今日来られている方は、自然保護に対する方向性が相当定まった方々だと思うので、少し評判が悪くなるようなことを言って議論の材料にしてみたいと思います。
私は、今江先生や鈴木さんがおっしゃったこととは違って、実は「人間は、自然を嫌いだったのではないだろうか」ということを言いたい。人間の歴史は、自然の影響を如何に逃れるかということの連続であったといってもいいわけであります。都市という装置を作ったのもまさに人間の発明であり、自然の影響をいかに受けないので快適に、便利に、豊かに過ごすかということが人類の歴史そのものであったのではないでしょうか。それが客観的に見た時の人間の目的そのものであったことは否定できない事実でしょう。
今年もゴールデンウィークで全国の観光地の人出のベストテンというのが発表されております。そのベストテンでみると、東京ディズニーランドとか、博多どんたくとかがずっと並んでおりまして、人工的な施設とかお祭りとかという、むしろ自然と違うものがその中に入っているわけですね。かろうじてやや自然に近いと思われるのは、弘前の桜まつりなど桜の名所が何カ所か入っているんですが、それは今、ここで議論しているような自然ではなくて、ソメイヨシノといういわば園芸種を一時的に植えた場所であります。そうしますと、自然は貴重であって大事なものであるということから出発してしまうと、鈴木さんがおっしゃった自然に対する態度というか一種の哲学の話を立てていくときに、ちょっと方向を間違ってしまうのではないかという危惧を持つわけです。
しかしながら、日本がこれまで営々と2000〜3000年やってきた結果、いま我々が到達した地点は何かと考えると、相当大きな問題をはらんでしまったということも、人間が今までやってきたことと同じくらい明らかになりつつあるのではないかと思います。歴史を見ますと、日本でもヨーロッパでもそうですけれども、近代の産業化というものがものすごく進展した時に、併せて自然保護の思想ってものが出てくるわけです。したがって、もともと自然保護というものは人間が本来内面的に持っているものだったということよりも、むしろ工業化がものすごく進展して、都市が爆発的に人口を集めた時に、自然保護の思想や自然との関係をもう少しなんとかしないといけないのではないかという考え方が出てきたというのが歴史的な事実です。
現代の日本を見ましても、私は九州と東京が経験としては長いですけれども、東京が今落ち込んでいる状況は、例えば、私ごとをいってもしょうがないのですけれども、二十何年役人をしてやがて退職金で非常にけちなマンションの頭金もあぶないという、そういう状態が今の東京の経済なり社会状況なわけです。日常生活は満足かということでいきますと、何か目的があって東京で生活を送る、例えば商売するとか、勉強するとかということであれば別ですけれども、実際は生活者としてみれば、そうとうやっかいな生活地域であることは税金その他を含めて明らかなわけで、ほとんどの人がまあそういう感じを実は持っているわけです。
2年ほど前に博報堂という広告会社がアンケートをとりましたら、家で鉢植えの植物を持っている人の14%の人が、鉢植えに名前をつけたりしながら声をかけて生活しているという結果がでました。14%というのは恐るべき数字であると思います。それは植物なり何なりを非常に可愛がることの表われというよりも、大都会に住んでいる人間がそこまで孤独な心を持って生きているというところまで来てしまったということを表わしているのだと思います。
熱帯魚を飼うのは今都会でのブームとなっておりまして、熱帯魚屋というのが都会に行くと非常に目につきます。熱帯魚や猫なり犬なりを飼う、あるいは植物を育てるという時に名前をつけてという現象は、実はわれわれが営々として築きあげてきた、成功して幸せで豊かであると思った都会の、この地域とは正反対の地域である大都会というものの置かれている状況というものを、非常に鮮やかに物語っているのではないだろうかと思います。
自然保護の議論を今江先生は非常にわかり易くおっしゃったんですけれども、自然保護の考え方というのは、なんらかの有用性というか、人間にとって役に立つからというのが、今まで語られてきた自然保護の思想のほとんどであったと思います。例えば林業だったら、自然から木材を取っていることで直接的に経済的に役に立つというのが先ず基本としてあったでしょうし、それから最近ここ十年ほど特に強くいわれていますけれども、国土保全であるとか水源涵養であるとか、必ずしも経済的には役にはたたないけれども一種の広い広域安全とか、生命とかいうこととかかわってくることがあると思います。
それから最近、特に言われだしているのは、レクリエーションであるとかリゾートであるとか、やや人間の感性とか心にかかわるようなことにとって意味がある。また、学術的に貴重な価値があるとか、あるいはちょっと位相が違いますけれど、自然地域を手つかずで保存しておくことが将来使うかも知れない遺伝子資源をプールしておくことにもつながるというような言い方があって、くくっていえば、人間からみたなんらかの意味で役に立つということを前提として組み立てられているのじゃないかというふうに思います。
ところが、ここ十年ぐらいだと思いますが、地球環境問題というものが出て来てちょっとそこの議論が変りつつあるんだろうと思います。それは何かというと、ひとつは、環境問題というのは国境を越えるという考え方があって、自分たちの地域社会とか国家だけではどうも留まらないテーマである。今までの議論は、限定された地域あるいは国の中でだけで成立している議論でありますけれども、こんどは国境も越えてしまう問題であるということがあります。それからもうひとつは、世代を越えるということがあって、今の環境問題あるいは自然の問題を放っておけば、自分たちの代は何とか持つかも知れないけれども、次代か次次世代に至って必ず大きな問題となって降りかかるであろうということが、現実の問題としてやや見え出している。本当に見えているとはいいませんが見えだしているということがあって、やや倫理的にといいますか思想的に深いところに入りつつあるのではないかと思います。
投げ出すような形ですが、取り敢えずそこまでの話をさして頂いて、また後にしたいと思います。

秋本 ありがとうございました。人間はもともと自然を嫌いだったのではないかというお話は非常にぎくりとさせられました。考えてみますと、森に住む私たちにとって、田んぼのまわりや畑や家のまわりに草が茂って木が育ってくるということは一種の脅威でありまして、必死に草をとり木を薙ぎ倒して自然が攻めてくるのを防衛してきたわけであります。家のまわりの畑も耕作を止めてしまえば、庭まで樹木が育って押し寄せてくるのではないかという不安を訴える人もいます。人間は、快適に暮らすために自然を排除してきたことは間違いない事実であると思います。反面、そういう自然の生命力といいますか、自然の恵みがなければ人間は生きてこれなかった。自然界からの収穫によって、こんにちの私たちがあるということもまた事実なわけです。
産業社会が進展して都市化が進む中に文明の行き止まりのようなところで、初めて自然への意識が生まれる。そして地球環境問題というのは、次代か次次世代に至って必ず大きな問題として降りかかってくることがやや見えてきたということでありまして、大変重要な問題提起をして頂きました。
そうしたときに今、都市と農村あるいは都市と山村の交流をテーマにしたグリーンツーリズムとかエコ・ツーリズムの取り組みがみられますが、その延長線上に何があるのか、また貴重植物に対してのお考えはどうなのか、県環境政策課の中原課長さん、お立場からひとつお願いします。

消え行く日本の植物
中原 私はこうしたラフな服装で来ておりますが、実は明日の霧立越縦走が気になって仕方がないわけです。あそこを見てからこういう議論をした方がよかったかなと思います。
私も、実はたまたまこういった自然の問題、動物や植物の問題で県の行政にたずさわっているということでございまして、そんなに自然問題に造詣が深いわけではございません。先程、今江先生からいろいろなお話がありました。貴重、希少といいますか、そういう動植物の問題。それから、盗掘の問題などについてかなりお話をされました。それに答える前に、そういったことをちょっと現実的問題として考えてみたいなと思うわけです。
実はグリーンツーリズムとも関係あるわけですけれども、そういった動物、植物の問題を言われる場合に、いわゆる利用と保護という問題が常に表と裏の問題として出てくるわけです。これは何をするにしても非常に現実的な問題ですけれども、うちでやっております自然公園の整備とかいうような場合も、保護すべきか、それとも人間が利用するためにそこを整備すべきか。そういう問題がいつもでてきます。やりましょうと言うと、いろんな団体やいろんな人から、苦情の電話がきたり、時には新聞に載ったりします。我々が何かをやろうとする場合にはいつもそういうような相対する問題に対応しながら取り組んでいるわけです。当然同じ課で保護と利用という面をやっておりますのでいつもそういう問題に突き当たるということです。
現在の動植物の状況をいいますと、植物については去年、博物館で「消え行く日本の植物たち」という展示を10月に1ヵ月ほどやったわけです。宮崎県でどれほどの動植物があぶない状況にあるかということをちょっと申し上げたいと思うのですが、当然この中には霧立越のルートにあるものもございますが、実は危ないという植物が宮崎県で426種ございます。もう絶滅したものが3種ほどございます。動物で231種です。合わせると657種ということになるわけです。
実は、県の方では従来からいろいろな調査をしておりまして、一応来年度でこの動植物の調査を終わることになっておりますが、その調査をした後に出てくるのが保護の問題でございます。来年度から保護対策というものを考えていかざるをえないわけですけれども、それで先程今江先生がおっしゃったように、「もう人目にできるだけふれさせない」とか「知らせないでおく」というような植物があり、それでいいのかどうかという問題に突き当たるわけです。
ところで、どういう形で植物が滅びていくかといいますと、開発行為で滅びるのが約40%です。それから採集、いわゆに盗掘が26%ぐらい。あと非常に希少であるが故に自然現象といいますか、自然の動きの中で消えていくものが28%ぐらいあります。この開発という問題、これは我々県や市町村もですけれども、いろんな橋をつくったり、山に道をつくったり、あるいはもちろん個人や企業でも、ゴルフ場をつくったりいろんな形の開発があるのですけれども、そういう場合に危ないというのが40%もあるのです。
盗掘という問題なんですが、これは現在でもいろいろ抱えています。ひとつは皆さんご存じでしょうか、高鍋に高鍋湿原がございます。その場所はそのみちの方はご存じかも知れませんが、ここを公開するということでこれまで整備をしてきたわけです。来年どうなるかという状況にあるわけですけれども、やはりこれについてもいろんな問題が出てきている。盗掘の問題、いわゆる湿原の植物がなくなるという問題がでているわけでございます。
そういう例が県内でも度々出る。そういった盗掘の問題を考える場合に、先ほどの先生の話とは違うのですけれども、かえってみんなに知らしめた方が採られないのではないかという論議もあるわけであります。というのは、そういった貴重な植物のあるところに遊歩道をつくってくれということがある。遊歩道をつくると盗掘という問題がでてくる。しかし、盗む人というのはだいたいが専門家ではないか。それを業にしている人、それに詳しい人がだいたい採るんだ。一般の人が採るというのはほんとうは限られているというような話も聞くわけです。ここあたりが今から論議になろうと思いますけれども、そういう面でこの問題に直面しているということを申し上げたいと思います。
付け加えまして、開発の問題につきまして、ある面では恥ずかしい話なんですけれども、県の工事をやったあとで植物が無くなったということがあります。ある溝をコンクリートでやってそこにあった植物が無くなった。道をつくったら無くなった、トンネルをつくっては無くなったという話がございます。これは当然、県のどこかで仕事をして無くなったわけでございます。これはどうしてかというと、やる側、その工事をする人が知らないわけです。最近はアセスメントということで調査をやっていますが、知らなかったからという場合があります。だから、私は、そういう貴重な600余種については、全面的に皆さんに見せるかどうかということは別にして、ある面では事業をやる人には知らせることもやはり必要だなと思っているわけでございます。
ちょっと取り止めもないことになりましたが、問題提起にでもなればと思います。

秋本 ありがとうございました。貴重な植物が絶滅するのは開発行為によるものが実に40%ということで、それも関係者が貴重な植物を知らなかったことが原因ということであります。知らせることが重要ではないかという問題提起がございました。後程更に議論していただきたいと思います。
それでは、諸塚村の甲斐重勝さんにお願いしたいと思います。甲斐さんは、永年、諸塚村の村長として、過疎山村の活性化に全国のお手本となるような輝かしい成果をあげられたわけですが、山に住む人たちがこれまで植物とのかかわり方をどう捉えていたのか、これからどうあったらいいのか、これまでの経過とかこれからどうあるべきかについてのお考えもお聞かせ頂けたらと思います。

自然の中に生きる尊さ
甲斐 甲斐でございます。今日は、秋本さんからご案内頂き、恐縮し、また感謝をいたしておるところでございます。
最初から私ごとを申し上げて恐縮なんですが、村長を辞めました時に、辞めてからの方が有名になりました。どういうことかと言いますと、だいたい村長なんていうものは、私どもの年ごろからスタートすることが多いものですから、いさぎよく辞めたということに感心をして頂く方がいますし、首長を長く続けていらっしゃる人は「俺たちのことも少しは考えてみろ」とか「勝手に辞めて俺たちはえらい目に合っているよ」とかいうお話があるんですね。そうしますと次を狙っている人は「諸塚の村長のようにいさぎよくなきゃいかん。引きぎわがすばらしい」と。(笑い)私は村長をやったり辞めたりしていることはそういうこととは全く関係ないわけですけれども、妙なことで評価をされるものだなあと最近そういう気がいたしております。フォレストピアで大変お世話になっております森と村の会の高木先生も、村長を辞めてから東京でお会いしましたら「辞めたそうだな、うまく逃げたな」といわれましたですね。どういう意味がこもっているのかなあ、と思ったんですけれども。
私は、秋本さんとまだ一度も話をしていなかった当時、ヤマメの養殖に成功されて、あそこにひとつの理想郷みたいなものをおつくりになるという頃、木を植えて木を育てることが山村の役割で、秋本さんのやり方は本来の姿ではないのだという、随分無茶なことを言ってきまして、秋本さんにお会いするまでは、まったくすれちがった考え方の議論をしていたような気がしています。ある時、秋本さんに初めてお会いをして、いろいろお話をする中で、秋本さんのお考えになっておることが非常に深い意味があるなあということがわかって、大変勝手なことを今まで申し上げておったなあということを反省したことがございます。
先程から貴重な動植物のことで、知らせた方がいいのか知らせない方がいいのかという問題がございますけれども、私は最近、人間というものは、知らないでいいことは知らない方がよかったのではないかなと思うことがあります。私はわずか3世帯しかない集落に住んでいますから、電気が来ましたのも昭和29年ですし、車が走る道路が来ましたのも昭和40年です。まさに原始的な生活の中で青年期まで育てられたわけでございます。小学校の6年生、母校の校区の外に出たこともなかったような人間でございます。そこで私は、生まれたところが山村であるが故になぜ人並の教育の機会が与えられないのか。山村に住んでおるが故になぜ人並の生活文化を受けることができないのか。そして、学問の無いということがどうしてこんなに惨めなことなのか。そういうことをずーっと考え続けたことが村政に異常なまでの関心を持ち、かかわりを持つようになった気がいたします。
ですから、とにかく街のように利便性があって豊かな村をつくろうということで一生懸命になって努力をしてきたのです。ところが、道路がよくなればよくなる程、施設がよくなればよくなる程、どんどん人が出てしまって残らないのです。変な言い方ですけれども、むしろ道路がなくて、あまり街のことを知らなければ、そういうもんだと思って残ったのではないかとも思うのです。
私は一体何をやってきたのかなあと、自分の心の中で矛盾があるわけです。私は秋本さんの取り組みの中に、まあお呼び頂いたからとお世辞を申し上げる気持ちはないのですけれども、私どもが壁にぶつかっているというか、疑問に感じているものに回答を与えて頂きつつあるなあという気がするのです。
杉一本育てるにしましても、いろいろな角度からながめるような能力があるといいのですけれども、私どもは杉一本見ても「ああいう骨折りをして、蜂から刺されながら育てて、やっとこれが一本千円じゃが」と、そういう価値感でしか見れなかったのですね。悲しいことですけれども。それが、今日のシンポジウムでもお取組みになっているような自然の深さといいますか、そういうものを知ることによって山村に生きるということがどんなことなのかという意味がよくわかってくるような気がするわけです。
今まで、ずっと16年間行政やって考えてみますと、ものすごく条件のきびしい村をここまで整備できたということでは評価を頂いておることは事実なんですけれども、やってきたことが果たして正しかったのかなあという反省がいろいろとございます。これから先、山村に生きる場合にはしっかりしたひとつの考え方を持っていかなければ、ただお金だけの面で生活を考えたらどうしても都市部より有利な条件というものはないような気がするのです。
今日も飯干峠を越してきましたが、私はいつも村の外に出た時に感じるのは、神様も温泉と平地だけは不公平なことをしたもんだなあと思うのです。平地が全くない村なんですから。それをよその町の人に話しますと、そんなところに住んでいる方が悪いのだということになりますから、あまり泣き言いっても仕方ないのですけどね。しかし、500年くらいの歴史が私の集落にはあるのです。その中に住んで、本当の生き方というものは、自然とのかかわりの中で自分たちが生かされている生き方に対して自信を持つこと、そういうことに取り組んでいくということが非常に大切ではないのかという気がしております。
今日も多くの先生方から大変貴重なお話を聞き、自問自答している問題に答えを出しながら、あの辺ぴな集落に生涯骨を埋める以上は、山村がつらいというような泣き言だけではなくて、自然の中に生きる人間の尊さ、大切さ、そういうことを皆んなと一緒になって発見しながら生きていくこと、言葉を飾りますとそれが森林理想郷づくりにつながっていくのではないかと考えました。大変貴重な勉強の機会を与えられたと思っております。

秋本 ありがとうございました。それでは、松村さん。霧立越は初めてということですが、実は松村さんにはご先祖様が西南戦役で銃弾を浴びて傷ついたままこの霧立越を行軍されたというご縁があるようでございます。松村さんには都市の一般市民として若い女性のお立場から、自然に対するお考えとか、これまで先生方のそれぞれお話しになりましたことに対するご感想なりをお話し頂きたいと存じます。

野の花、木々の声を聞く道
松村 こんにちは、大分からやってきました松村です。大分と宮崎とはあまりご縁がないのかなあと不安でしたが、さきほど「ソハヤキ」という言葉に「速水の瀬戸」のお話が出て、私も臼杵生まれの大分育ちなのでこちらとは植物の相が同じということで関係なくはなかったと思いました。加えて西南の役の時に今日この会場に来ています父の祖父が銃弾を浴びながら霧立越を越えて人吉に入ったということです。市ケ谷の牢獄に入れられた時に獄中でそういう日記を書いているのです。その日誌を見ますとちょうどこの時期なんです。4月の終りぐらいでその時大雨が降った。台風みたいな雨だったようで、ワラジが濡れて履き潰される。1人3足の配給があり、それを大切に履いて潰れて使えなくなったのは捨てるのですが、それもまた後の人たちが競って拾い修理して履いたというような話が書いてありました。
皆さんのお話を聞いて考えました。大分市は人口43万人の町ですが、今、高速道路ができて福岡が近くなった。そこで町から福岡に皆んなが出ていかないように、地元の町に住むためにどうしたらいいかというようなことが言われるようになった。それで歴史に基づいたアイディアからやっていこうと、ポルトガルとの歴史がありますので、通りに「ポルトソール」と名前をつけて町づくりを行い、心の過疎にならないようにというような地域おこしに取り組んでいます。
町の中でもゴミを捨てないようになんて言ってもなかなかうまくいかない。じゃあどうすればいいか。ゴミ箱は作らないようにとか自転車を停めないでくれと言ってもやっぱり自転車は生活の中に大切ですから勝手に停めたり、車の違法駐車もある。こうしたことの知らせ方はどういうふうにしたらいいのか、人間の心を変えていけるのかな、ということが私の今一番の問題としているところです。そういうことから植物の盗掘を防ぐための知らせ方はどんな話になるのかと思ってました。先生方のお話を聞いているうちに先ず人間って勝手だな、まあそういうふうに過ごして来たもんだなあと感じました。
先日の連休に九重の方に出かけました。あいにくの雨だったんですね。日ごろの生活態度が悪いからなのかなとか、たくさんの人がこの九重に来て道路を通って汚して行ったから、雨がその汚れを落としてくれているんじゃないかなどと皆んなで話しながら行きました。九重の友だちの家の生け垣にちょっとかわいらしい花があって、これちょうだいねって水に濡らして家に持って帰ったんです。私はマンションのベランダで育ててみようと思って植えたんですが、次の日見たら枯れているんですね。ああ、やっぱり山の中のああいうところだから生きているんだ。その花を勝手に持って来ちゃっていけなかった。適材適所って言葉があったなあと思いました。
観光というテーマで考えると、私はやっぱりそこに出かけて行ってみるものということにして欲しい。どこかに持って行くことや自分の家だけで見るんじゃなくて、やっぱりその場所に行って確かめてみるというようなものが「観行」、つまり昔は光という国の威光を示すところを見に行ったものが「観光」だったんですが、今は観る行くの「観行」と、次は輝くと書いて「観輝」というのを皆んなに奨めているのですね。
輝くというのは、たまたま国の会議でご一緒だった秋本さんとお会いして人柄にほれちゃったように、地域をつくっている人が、輝いている人がいる。それを是非見に行きたいな。加えて祖先が通った山道を是非歩いてみたいなあと思ったわけです。その大自然の中でおそらくその当時は台風で花や木々を見るゆとりはなかったと思いますが、風雨に打たれながら逃げて行く、勝とうとするけど負けるかもしれない、おまけに銃弾に遭っているという時に、ふと見たその野道の花や木々が疲れをなぐさめてくれたかも知れない。自然に勇気づけられたかも知れない。それを見てみたいと来た訳です。
町の中で勝手に過ごしていて、今になってはじめて自然がほしいとか自然がいいなんていいながら結局、行くとその自然を荒らして帰って来る。悪い中でぐるぐる回っているのをどこかで止めなきゃいけないんじゃないかって考えます。また、地域が過疎になっている。過疎の町や村や人々は力をカソうっていうぐらいに、持っているもの、すばらしいものを与えるような、そういう部分に力をいれていかないとだめじゃないかと思います。
採って行くのをダメですよという言い方についてですが、先程今江先生のお話の中で私なんかとてもびっくりしちゃった。当り前のことなんだけど、びっくりしたんです。一緒に進化してきたじゃないか。同じ仲間として人間も植物も生きてきたんじゃないか。それが一匹ぐらい、ひと枝ぐらいなくなっても同じかっていうのは、一人ぐらい死んでも同じかっていうような言葉をおっしゃった時びっくりしてしまいまして、まさにそのとおりだなって思いました。だから「取らないでください」と書くよりも「これまでいっしょに生きてきたんだからこれからも共に生きようね」みたいなそういう一言がどこかにぽっと立札にあった時、初めて植物と語り合える、木々と生き物と語り合えるんじゃないかなと、そういう気がしました。
森林浴といって木々の酸素で甦るというのもありますけれども、実は本当に皆んなの心がすさんでいる中でこの道に来たら、かつて生きた人達の声を聞き、これからも生きようとしている野の花、木々の声を聞くっていう、そういう道があって欲しいなあと思います。だから霧立越は霧は立ち込めているけれども、それの晴れた向こうには何か新しい21世紀の道が見える。是非そういう意味の観光なり、観光コースといってしまうとなんかそれでつまんないみたいですけれど、そういう道であってほしいと思います。
私は道っていうのは未知なるものだと思っているんですね。その未知なるものを求めて行く、未知なるものが何かっていうのは分からないのだけれども、それは人間の心の奥底にあるもの、それを訪ねていく道であってほしいなあっていうことを思いますね。みなさん方のお話を聞きながら明日ゆっくりその道を歩いてみたいなあと思います。
なんか全然違う分野の話で申し訳ありませんが、一般市民からみたらこの程度かなってことでお話をさせていただきました。

貴重な植物、知らせるべきか否か
秋本 どうもありがとうございました。それでは一巡したところで、更に話題を深めて頂きたいと思います。
この霧立越には、数百種に及ぶ珍しい植物がある。中でもここにしかない、あるいはここが南限とか、もうあと何株かしか残っていないのではないかというような貴重で希少な植物がある。これを霧立越を活用する中でどのように考えたらよいか。多くの人には知らせない方がよいのか。知らせて守ることはできないのか。先ほど今江先生からお話のありました福寿草やカタクリ、スズランの事例から考えますと、知らせない方がよいということになります。また、中原課長さんからは、基本的には知らしめて守るということではないかというお話もありました。
今江先生のお話の中に、大正4年の霧立山地の調査で涸谷のキレンゲショウマの大群落を発見された時、牧野先生は世界的に非常に貴重なものだからこれは公表しない方がよいとされたというお話がありました。それで後にはどうなったかと思いをめぐらしますと、その貴重さの認識があまり無かった故に伐採されて、今ではそこには当時の環境が無くなってしまった。もし、その時ここのキレンゲショウマの大群落は世界的にみても非常に貴重なものであると発表されて、関係者に深く認識されていければ、多少の盗掘はあったにしてもその環境は保護され、今日においてもその大群落が存在していたのではないか、そういう素人の考えも出てくるわけです。
そこで、ひとつ小野寺先生、これはどのようにしたらよろしいのでしょうか。先生のお考えをお聞かせ頂きたいと思います。

知らせて守ること
小野寺 古いタイプの役人の本音を、仮に私が代表して言うと、それは「知らせない方がいい」という答えだと思います。明治時代の行政というのは、国民大衆というものはかなり愚かなものであって、一部の優秀なエリートが方針を出して引っ張っていって、それではじめて国というのはまともな方向に行くのだという考え方です。つまり「寄らしむべし、知らしむべからず」というのが、統治の基本原理だった。最近、住専国会なんかで大蔵省の銀行局長の答えているのをみると、あれはどうも同じ思想に基づいて言っているのにすぎないのではないか。あの金額の積み上げが何かとか、どういう理屈なのかというのは一切説明しないということがあって、そういうことがどうも今までの考え方の先ず基本にあるということがひとつあると思います。
それからもうひとつは、もっと現実的に考えて、どこどこ地区の高山植物の何種をということを考えた時に、現実問題として知らせると相当危ないというのが残念ながらあるのが現実だと思います。そういうことからすると、事情に詳しい方ほど知らせない方がいいという結論に、今の古いタイプの役人の論理とは別に、大事だから知らせない方がいいということになるんだろうと思います。しかしながら、もうひとつそこで考えなければいけないのは、そういう形で守るということは確かに大事なことだろうと思いますし、そういう形ででも守らなければいけないという局面はあるということを前提にした上で、やっぱり知らせた上で守るということにしていかなければ、どこまで経っても世の中の仕組みや考え方が変わっていかないのではないかという気が一方ではするのですね。
自然保護の問題で非常にむずかしいと言ったのは、自然保護自体がなぜ保護されなければならないかということも、先程申し上げたように非常にやっかいな問題を含んでおるわけですけども、もっとやっかいな問題は、自然を保護すべきであるということと全く同じ並びで経済的に豊かになりたいとか便利になりたいとか、この地域をもっと活力あるものにしたいとかという、別の価値というものがあるわけです。そうすると、しばしば、ある価値と別の価値がぶつかるわけです。道路を作るということと、そこの自然を保護するということは物理的に全く相入れない形でぶつかるということがしばしば起こる。そこをどう回避していくのかっていうのが実は議論の根本だろうと思うのです。
したがって、貴重な植物が霧立越にあって、その植物を守るか守らないかということは、個別にテーマであることは間違いないし、そこで何らかの手だてを打たなければいけないことはまぎれもない事実であると思います。しかしもう少し深く考えると、別の考え方、別の価値感と、自然は保護すべきであるという考え方を、一体どこでどうやって調整していくのか、ということこそがテーマであろうと思うのです。それは、便利になりたいとか、早く買い物に行けるような道路が欲しいとか、そういうことが価値がないということはいえない。いくら自然が価値があるといったところで、片方を無視するわけにはいかない性格のものだと僕は思うのです。
そしてその調整の論理というものは、われわれはまだどこにも見付けだしていないということから出発した方がいいのではないか。これは、ヨーロッパだろうが中国だろうが、まして日本のどんな偉い思想家であれ、哲学者であれ、役人であれ、学者であれ、まだ指示してないということだろうと思うのです。人間がものすごく巨大な化学技術文明を持って、自然全体に決定的な影響を与えるところまで来て、始めて考えだしたということだろうと思います。
こうした中で解決の道を探しだしていくには、具体的な地域、具体的なテーマの中で自然を保護するということと、生活なりなんなり別の価値をどう調整していくのかを考えていくしかない。いろんな工夫があると思うのです。コストの問題もあれば、技術の問題もあれば、一人一人のモラルの問題もあれば、それに対する呼びかけの問題もあれば、もっと言えば教育の問題もあれば、ということだろうと思うのです。具体的現実の中で様々な工夫をしていくことでしか、このテーマを解決する方法はおそらくないのだろうと思います。
こう考えた上で、今のテーマに戻れば、じゃ知らしめた上にやるのか、ここは知らせない形で結果として保護されるのがいいかといった時に、そこは明らかなんだろうと思う。知らした上でどうするかということを真っ向から取り組まない限りは、ある特定の人が特定の権威と権力に基づいて守る、結果として守られて次代に引き継ぐ、ということはすばらしいこととは思うのですが、それだけで済むテーマなのかというふうに考えた時に、知らしめた上で危険を覚悟でやることも真剣に考えた方がいい。つまり、個別のところでは全部知らしめるべきだと僕は思ってはいないのですが、やっぱりそういう態度というか考え方というのが、自然と人間の関係とか、環境と人間の関係、社会との関係を考える時一番基本になる考え方ではないか。そういうふうに私自身は20何年悩んでたどりついたということです。

秋本 大変難しい問題で「まだ解決の方法が見つかっていない」とおっしゃいました。そして、知らせてその上でどう守るのかということを真っ向から取り組まなければ、結果として「ただ守って次代に引き継ぐだけでよいのか」ということでございます。「知らした上で危険を覚悟で取り組むことも真剣に考えなければならない」。そういう考え方が基本だというようなお話でございます。
そこで今江先生、先程のご講演で先生のお考えは少しは理解できたと思うのですが、もう一度先生のお考えを聞かせてください。

歯止めがなければ知らしむべからず
今江 僕は、それほどまじめに権力的にならない方ですね(笑い)。というのは人間が信じられないというだけではない問題がものすごくある。知らせるという決断を誰がするか。知らせたことによって起きたことの責任は誰が負うのか。そのことがはっきりしなければダメだと思うのですね。何となく知らせた場合の責任がそうなるということです。
ところで今、情報公開という言葉が流行っています。公開することの意義が非常に大きく取り上げられているけれど、それではプライバシーってのはどうなんだろう。情報公開が全部された時にプライバシーのうんぬんがでてきたらどうなる。人間は皆平等にあるべきではあるでしょう。陰ひなたなく、お互いに隠しごとをなくして付き合いましょうという理屈はあります。だけど、それならプライバシーの保護なんてことはどうなるのか。それと同じように考えたいのです。
キレンゲショウマは大事なものである。だけどキレンゲショウマを知らせるなとは言いません。盆花に使うなとも言いません。阿蘇ではヒゴタイとかヤツシロソウとかそういうものを盆花に使っております。僕はそういうものは盆花に使えと言います。先祖代々使ってきたものではないかと言いました。ただ、そういうものが生えている原っぱが無くならないように努力してくれ。そういう地域のシンボルにもなるようなものは大いに話題にしてそれで皆んなで大事にしようといいます。キレンゲショウマそのものが絶滅するような時までにはまだ大分距離があります。山をできるだけ自然の状態に戻すようにしていけば、自然に復活してくるだけの力をもっている。キレンゲショウマというのは学名までもがキレンゲショウマパルモアタという、キレンゲショウマというそのものが学名の植物です。そんなことはいいんです。ただ、そういうのをお盆の時に考える。しかも貴重なものだということで知らせる。そういうことだと思います。
では、ウスユキソウをどうするか。ウスユキソウはここと洞岳しかないのですよ。石灰岩の岸壁に。あれを取りに行こうとしたら石灰岩の岸壁で落ちるかも知れないところまで行かなければありません。それだったら知らせても誰も行かないだろうと判断するか。それとも、そこにしかないから取るという者がおるので困るから、白岩にはありますよとだけ話してそれ以上言わないか。ウスユキソウなんて名前がいいからある意味で威張りたがる人がいるのです。例えば役場がそうとは言わないけれど、観光課の担当が前の人はじっとしておったけれど、知らしめて活用する方がいいのだということで、観光パンフレットにこうやってありますよと出すような知らせ方をするとする。そこで取りに行く人間が出た。しかも、もっと大げさにいうと崖から落ちて死んだ人間が出た。そういう時に責任うんぬんまでとなった時、責任まで取れるかみたいになった時は問題でしょうね。
それから貴重であるということだけで、他の意味では話題性のないものがいっぱいある。そういうのまでも貴重な植物だからといって掘出して貴重だとして知らせる必要があるのか。権力が庇護すると大げさに言わずに、そこは全くプライバシーみたいなもので、「誰々さんは妙なところにホクロがあるよ」なんて言わなくていい。何もかも裸にしなくたっていいではないか。ただ、心の中の誇りとして持っておく。だから役場は知っていたっていいのです。それから何人かの人は知っていたっていいのです。それを公表して表に出すことがどうなのか。
ひとつひとつのものについてその地域の中で考えいく。そして、その所有権は地域の者の所有ですよ。国家権力でどうするものではなくって。ですから地域が地域おこしでどうこうする時に「そういう貴重なものがある、大事なところだぞ」という時に、金の卵を産むアヒルを卵を繰り返し産ませるようにするか、ぱっとスリップしてからたくさん出して、へたすると腹を裂いてという結果になるか。僕は情報公開うんぬんという時にプライバシーというような形で考えることだと思うのです。人間というのは、ただ金を儲けるというだけでも行動する。珍しいというだけでも行動する。どうにもならない人種がおるということです。キレンゲショウマの場合には、多少そういう人間がいたって、丈が大きくなるからそうやたらとどこにもは植えられないでしょうみたいなことで、取られにくい条件があるならば話をしてもいい。話をしていいものといけないものがある。
ウスユキソウは秋本さんが言われたから例として言いましたけれど、まだ、もっと大事なみたいなものがあるけど僕は名前は出しません。そういうような心配りをするということです。ここの霧立越が大事ということを皆に言う時に、珍しいという学術的な学者先生のつけた順番で売り出すのか、自分たちがこれはきれいだ、これは誇りに思うと、そういう景色をつくるのか。そういうようなものから話をしていくかということです。だから、山の生活の中で、それから地元以外の人たちで、どういうものを美しいと思って感動してくれたかというような、そういうものを今度は逆に採集してそれを売っていけばいいんです。それこそもう大きな声で、ブンヤでもなんでも巻き込んでいっぱい言う。
そういうことで、全部画一的に知らせないというのではないのです。知らせるものはうんと知らせる。黙っていた方がいいものは、黙っておく。そういう判断を、ここの当事者の一人一人の方がしなければならない。ただ、その時についつい役場の観光課の担当が変わった途端にそれをパッとやろうという安っぽい反応にいくというケースが非常にたくさんある。だから言うなということです。載せるのだったら少なくとも自然保護課かなんかにいっぺん相談して、この程度なら大丈夫かな、くらいしてもいいのではないか。そういうくらいの歯止めが大事という意味で僕は「知らしむべからず」と言うているので、住専国会を出されるほど極端な権力主義者ではありません。(笑い)

秋本 ありがとうございました。お説の趣旨はよく理解できたと思います。それでは、会場からもご意見を頂きます。どなたかありませんか。
 
野の花の里帰りは止めよう
会場 ほんとに今日は楽しいです。講師の先生方の自然環境や自然の保全の考え方を聞かせていただいて、この霧立山地をどうやって子孫に伝えていくかということで非常に参考になりました。
私はちょっと違う立場からお話を申し上げたいと思います。この霧立越のエコ・ツーリズムというパンフを頂いた時に、これは本当にいいなあ、すばらしいなあというのがはじめての感想でありました。これを頂いた時によかったなあと思ったのは、せっかくの霧立山地を自然を愛する方々に披露するという意味におきまして、私どもが構想を通って水上の江戸、市房、こういうものをつないだところをお考え頂ければ非常にうれしいなあと思っております。実際この前、黒峰から小川岳に入ってみたのですが、これは相当なスズタケで手ごわいというところでありますけれども、これがつなげればこの四町村の清和、五ヶ瀬、椎葉、水上と向霧立山地まで網羅した霧立の山地でトレードを引っ張ることによって有効に使い、皆さんに紹介することができると思っております。
この保護の問題も、当然そういうような人たちを招じ入れれば、そのうちに一般の方々も当然自然は大切にしなければならないという思想は自然に育ってくるのではないかと考えます。
 今のシンポジウムとはいささか外れた意見ではありますが、その点についてご検討いただければと思います。

秋本 どうもありがとうございました。私たちもおっしゃるように霧立連山のすべての尾根を歩いて自然に触れるということができればということも視野に入れながら進めているところでございます。また、いろいろとご協力をお願いしたいと思います。
それから、会場から質問表が届いております。植物の自然共生関係を大事にしながら自然の花園をつくることができないのか、その場合基礎的な条件はどういうものがあるのかということでございます。それと、貴重な植物をバイオ等の技術で大量に生産してそれを商品化することができるとすると、そういう可能性もあると思うのですが、それは自然界にとっていいことなのか悪いことなのか、自然界とのかかわり方にはどんな注意が必要かということをお聞かせ頂きたいと思います。

今江 霧立山地でバイオで増やして売ったらいいだろうなあと思われるものに何がありますか。植物の種類で。

秋本 そうですね。キリンソウとかイワギクとかウスユキソウとか、そのほかタネで簡単には増やせないもので美しいものや美味しいものがあるとしたら。それは技術的に不可能なものもあると思うのですが。そういう方向を考えることがどうかということですが。

今江 イワギクは、バイオでやらなくてもタネをとってきて普通のバイオキクをつくるみたいに肥料をたっぷりいれてつくると立派に育ちます。難しい技術はいりません。ただ他にそういうふうにして増やして売れるものがあるかということですが、阿蘇ではハナシノブなど美しいものがあって、幾つかは産業化するようになっています。
そうなった時に問題なのは、人間が育てだすと自然のものとは変わってしまうということです。よく行われて、マスコミで褒めるのは、野の花の里帰りというような行事です。野の花の里帰りというのは、逆に言えば里帰りをさせれば取ってきてもいいのかということになります。お嫁にいくのと違うわけですからね。誤解を招くから絶対やってもらいたくないと思うのです。
それから里帰りと言って戻す時に、取ってきたところから取ってきたものを戻したかどうかです。悪い例を挙げると、あるおかしな男がある家族の女の子をだいぶ殺した事件がありました。あの事件の後、可哀想にああやって殺されるとあの家には子供がいなくなるといいました。その時、あの近くには子供の多い家族があるから少しあの家にまわしてもいいんじゃないかと誰かが悪い冗談をいいました。あの家には子供がいなくなる。子供の多い家からひとりぐらいまわしてやってもいいんじゃないかという。これは違うわけですね。基本のところでその家族とよその家族は違うということです。家族が減ったからよその家族の子供を、その空いたところに穴埋めすればいいということにはならない。野の花の里帰りというものも、よその家族の減ったところに他から持って来て穴埋めすればいいという発想につながります。ですから、増やして売るというだけなら、例えばイワギクのタネを採ってきて大事に育ててということはできます。ただ、それはあくまで商品化したものが出ていくだけです。そうやって育てたものは山のものとは違うわけです。
秋本さんからこの前お聞きした話ですけれど、長年ヤマメをずーっと養殖続けていると、自然での産卵行動が弱くなってくる。砂を掘ってそこに卵を産むことがプログラム化されて進化したものが、人間の手で卵をとりだして受精させることを続けていると自然産卵できなくなってくる。30年ですよ。秋本さんが養殖をはじめられてからは。その間にもう自分で卵を産めないものが出てくる。すると、知っている人は、野生のと混ぜ合わせると産むようになるよという。混血をつくれば戻るかも知れないけれどもそういった遺伝子の欠けた分がその中に入っていくわけです。そういうものが増えることになりますからバイオなどを始めた途端に自然のものではなくなる。そういうことではっきり線を引いて頂きたいと思います。

秋本 そうしますと、例えばスキー場付近に植樹祭としてシャクナゲを植えようとした時に平地で栽培されたシャクナゲを植えるわけですが、そういう行為自体も考えなければならないのでしょうか。

今江 スキー場の横にというのなら、そこは一つの庭園ですよとして植える。これは自然ですよといって植えるならそれは違うということで考えて頂ければと思います。庭園なら平地で挿木したりしたものを持っていって群れにつくって植えても、それは道路標識つくったりしたものと同じようなものがシャクナゲでできているということではないでしょうか。

最後に決めるのは信頼関係
秋本 質問表の自然花園をつくることに関してはどうでしょうか。これはどなたでしょうか。具体的に説明していただければと思いますが。

会場 今、自然界にもバイオ技術などでつくった花がたくさん増えていると思うのです。そこで私は将来、万葉の自然花園みたいなものをつくりたいと思っているのです。先日、福岡の太宰府に万葉園をつくっておられる方を訪ねました。そこでつくったものを万葉膳という形で特別な人に料理して食べさせるということをしておられる。私は頂いたのですが、どうも万葉植物園をしておられる方はどこも失敗をしておられるのですね。いわゆる箱庭的につくろうとすると育っていかないということです。そこで自然の中で花たちが一番いい条件のもとで育てることはできないか、雑草をとらないでいいような自然の花園はできないだろうか。そういうことを考えているのですが。

今江 そういう形でつくった例としては、阿蘇の野草園がございます。そこは、阿蘇の植物が自然状態で生えているのを見ることができるようにつくられたものです。阿蘇の野草を見せる時に一番簡単なのは花壇をつくることなんです。花壇をつくって順番に植えていけばすぐにばっと見れるわけです。これはすぐ、その月にでもできます。だけどこれはあくまで栽培花壇ですね。鉢植えを並べたことと同じです。
阿蘇の野草園を自然のようにするのに3年かかりました。これは手入れが相当かかります。雑草をとらないでなんていうことはできません。放っておいたら、珍しい話題にしたい植物は遠くに離れて疎らに生えるわけです。疎らには生えるけれども、そんな間延びしたのではしょうがないからまとめたいわけです。まとめてくっつければくっついてお互いに干渉する。そこで邪魔になるものを少し除けてということになります。だから自然に見えるようで実は相当手がかかったものになるのです。自然のようにしようとすればするほど手間はものすごくかかります。
 お考えは、どの程度のものでどういうことかはわかりませんが、小さい範囲であれば、万葉なら万葉の植物で話題になったものを小さい鉢植えにするとか並べ植えにして見て回れるような仕掛けのほうがずっと楽になります。それを自然のように見せるのだったらその管理は随分増えると思いますね。

会場 今日は、植物に詳しい先生方がたくさんいらっしゃるので、一緒に霧立山地を縦走して、植物の名前などいろいろ教えて頂こうと楽しみにやってきました。僕は登山を始めるようになって友だちからササユリをもらって育てました。いろんな友だちにササユリを見せていましたが、その内に自然のものを取ってきたのだなあと思われそうでだんだん見せ難くなってしまいました。自然のものを取ってくるのが恥ずかしくなってしまったのです。
あるところで薬草を栽培しているところがありまして、そこへ訪ねていったのです。すると「この種類はなくなってしまって、ほとんどの方は延岡の方へ取りに行かれますが、もう少ないでしょうね」といわれるのです。この植物は見たことがあるなあと思ってそのサンプルをもって合わせてみたら私の知っているのと同じなんです。そこでこの植物は人に知らせないことにしました。それが貴重な薬草であるならば、人に知らせると延岡、日向、入郷地帯の貴重な植物がなくなると思ったからです。
その反面、こういうイベントを通じて自然の植物を学び、山に行った時友だちにいろいろ教えてあげようと思うわけです。そこで、今、先生方のいろんな意見を聞いていますと、はたしてどうしたものかなあ。勉強はしてみたい、みんなにも教えたいけれどどうしたものかなあと考えるのです。貴重な植物を採るのは、今採っておかなければ無くなってしまうからということもあると思うのです。問題は人間にあって、非常に難しい問題だととらえているのです。明日縦走しながら、これは聞こうか聞くまいか、聞いて人に教えようか教えまいか、迷ってしまうのですが。

今江 できるだけ勉強して頂きたいと思います。そして、できるだけ多くの方に教えてやって頂きたい。みんなで覚えても問題のないものがほとんどなんです。ただ、その中で幾つかのものだけが問題になるものがある。ですからそういうものは、安心できる人にだけしゃべる。その安心できる人が次々に言っちゃうと問題がありますけれど、そこは人間の信頼度の問題だと思います。基本としては、できるだけ勉強して頂く、そしてできるだけ多くの人に教えて頂くことが大切です。さっき私が知らせるなと言ったのは、全部を知らせるなと言ったのではないのです。全部のものをできるだけ知らせて、知って理解することによってそのものに対する愛情も育つのです。
今、言われたように俺が持っていかんと誰かが持っていくからという発想、例えば500円玉が山の中に落ちている。そのお金を拾わなければという浅ましい人種が相当にいるから警戒しましょうと言いたいわけです。警戒をするために、やっぱり口にチャックをするという部分が要る。これは我々だけがするのではなく、みなさん全部で、或るところまで知ったところでこれはここだけだからと言った時にチャックということがある。チャックと思った時に、言うほうにするか言わないほうにするかという時、この人どうかなと思ったら言わないことなんです。この人は安心だと、それだけの信頼関係のある人にだけ言う。だから明日は一番大事なところは僕は教えません。初めて会う人には。(笑い)

心に訴えるものを
松村 なんかすごい話になってきました。私も山は素人なんですが、山へ行ってこれは何だろうと思った時、それを知ること、勉強することはとても必要だろうと思うのです。もちろん事前に勉強して行かなくてはいけないのですが。
お話を聞いていると、例えばコンサートへいった時ワーワーと子供が騒いでいる。それを見て黙っている。注意すると人の子だから怒られちゃうとかいう部分があって、やはり教えなければいけない部分は教えないといけないということですね。
今の話は自然界における話かも知れませんが、もし霧立越でそれをやろうとしたら「ここの通りは残っているね」といわれるような場所を作っていくということが必要ではないかなと思うのです。そのためにはどうするかということで、教える教えないではない方法は考えられないかなという気がします。
例えば、家に持ってきたものを見る喜びと、大自然の中でそのまま生きている場所にいって見る喜びとは違うと思うので、ここの道は採っていく人がいないのはなぜだろう、ガイドさんがちゃんとついて行って案内しているからだろうとかですね。
私たちの家の通りも駐車違反が多くてどうしょうどうしょうといっているのですが、黙っていればレッカー車で持っていきますからそういう通りには人は行きたくないと思うのですね。その時に考えついたのが、大友宗麟の歴史の勉強の中でキリシタンの禁制の札があり、これだと思ってカードをつくりました。このカードをワイパーのところに挟むのです。「いま、わたしたちは素敵な通りづくりをしようとしています。だからあなたの駐車駐輪はこの場所ではちょっと困ります。今度きた時にはここに留めてください」というのを裏に地図を書いて挟めておくんですね。すると来た人は「あっ、しまった。悪いことをしたなあ」と良心で気が付いて、次の時は考えようということになります。
もうひとつは、大友宗麟がつくった印鑑に「非」というのがあります。「あらず」と書いてある。これをヒントに「これは駐車違反ではありません。用事がすみしだい車を移動します」ということを書いたカードをつくってその通りに留める車のフロントにおいてもらうということをしました。こうして何か心に訴えるという部分をした時に初めてみんなの気持ちがそうなっていったというようなこともあるんです。だから、できたらそんなふうに共に生きるというのか、保護するという部分をぐっと精神的に訴えるようなことをして、保護をするということにできないものかなあと思いました。

秋本 そうやって心に訴えることは大切でしょうね。参考になると思います。
ところで昨年の霧立越シンポジウムで、会場から霧立越に白い花がいっぱい咲いていたがあれは何の花でしょうか。そういった分からないものには説明の立札みたいなものが必要だという意見がでました。ユキザサのことなんですが、今江先生は、立札を立てたところから無くなるよといわれました。この問題はどう考えたらよろしいでしょうか。

自然から遠ざかっていく時自然はおかしくなる


小野寺 屋久島の仕事をしている時に調べたことですが、屋久島の住民の人が山菜採りとか家の庭を直すとかいうことで野草とか木本類をどれだけ使っているかということを、聞き書きで昭和30年以前と30年以降ということで分けてデータ整理したものがあります。それによると昭和30年代の半ばで、あっと驚くくらい変わっていまして、昭和30年以降あれだけ自然にめぐまれたところで地域の人が野草を採取して食べるとか山菜をどうということから全く遠ざかっているのが鮮やかに出ているデータがあるのです。屋久島の自然がおかしくなってきたというのがほぼ同じ時期なんです。
自分たちで食べたり楽しんだり使ったりということをやっていた時と、そうではなくなって一種の都市生活というか、そういうライフスタイルになって来たという時から、自然に対する考え方というか関係というか具体的な行動というものが変わってきたこととが非常に符号している。何か示唆的ではないかと思います。それは今の高山植物の盗掘にどういう手だてがいいのかということとは直接つながらないと思いますけれども、非常に示唆的じゃないかと思います。
それとは話は違うのですが、総理府が5年に一回世論調査をしています。有名な調査ですが、「あなたは心と物とどちらが大事ですか」という質問があります。それによると、それまでの傾向と逆転するのが昭和50年代で、それからは心が大事とみんな言うのですね。総理府のコメントは充分ではなくて、「物から心の時代に移りつつある」というだけをいっているのですが、そこをもっと深く考えてみると、ものづくりのみでやってきた日本という国が、ただ安くていいものを提供すればいいという時代から、どうも豊かになった人たちというのはそれだけでは満足できなくて、物にプラス何かが加わっていること、付加価値がついていることの方が望ましいと思いはじめたということではないでしょうか。
DCブランドの服がなぜいいかというと、もちろんスタイルとかフォルムというのもあるのでしょうけれども、そういう限られた人たちしか着れない高い服の意味というのがきっとあるのだろうと思うのです。世の中の価値の考え方そのものが、ただ実用的なものからプラス何かがあるものへと移りつつあって、それを総理府の質問に答えるとすると「物から心へ」ということになっているのではないかと思います。
そういうことで考えると、都会の人たちが霧立越に来て高山植物を楽しむということも、こうした意識変化の一つの現れであるし、また、この地域の人がこの地域をどうつくっていけばいいかという時に、これまでの考え方というのは、公共事業をどれだけもってくるか、企業誘致をどれだけするかということだったのだろうと思うのですが、そこがどうもかわってきているということから出発した方がいい。その時に、環境の問題とか自然の問題とかいうものの価値が、世の中の変化の中で既に相当大きな位置を占めるというところまで来てしまっている、ということを前提にした方がいいと思うのです。
そこで一番の問題は、行政が、私も役人の端くれですから自分で自分の身をあげつらうことになるのですが、制度というのがそういうふうに出来てないのですね。いままでの通り道路予算がいくら、農業構造改善事業がいくら、山村振興がいくらという形で制度ができていて、今の世の中の変化や、地域が求めたり個人が求めていることと、かなりのタイムラグがあるというのは事実なんだろうと思うのです。従って、なにか先端的なことをおやりになる時に、制度が遅れていますから、かなり御苦労されることは間違いない。だけれども誰かがやらなければ世の中は変わらない。
いろんな制度がありますが、大体はエリートが外国に行って、フランスの制度を学んで何をつくったとか、アメリカの制度を学んで国立公園をつくったとかいわれています。しかし、これらとは逆に、環境問題とか社会福祉問題とかいうのは、先ず問題があって、住民レベルの話があって、次に自治体が動いて、国が動いて、国会が動くという順番で制度ができていくわけです。
そう考えれば、本当に新しいことというのは、個別の地域あるいは個人から始まって最終的に制度というものに結び付いてくるということになります。役人としては情けない話ですけれどもこれが現実であります。フォレストピアをすすめているこの地域というのは、既にそういうところにたち至っているのだろうと思います。そういうことですから、前例がないとか、いい制度がないとかいうことを考えるよりも、そこまできているということをむしろ誇りにしてやって頂くということではないかと思います。

秋本 大変貴重なご意見ありがとうございました。お話を伺っていますとだんだんと先が読めてきたような感じがいたします。
今日はテーマが植物でございますけれども、環境問題は動物との関係も深いわけで専門家もおいでいただいているので、野生の動物たちについても少し触れておきたいと思います。会場の中からどなたかご意見はありませんか。

野性動物の世界でも異変がおきている
会場 私はこの地域で猟をしているものです。今日は植物がテーマでありますので、夜の晩餐会の席ででもお話ししようと思っていました。
この前の新聞に、九州では長崎と宮崎が雌鹿も捕っていいようになるという記事が出ていましたが、雌鹿を捕ればこの地域の本来の鹿は数年で絶滅するのではないかという気がするわけです。
私は40年間この地域で鹿猟もしていますが、近年鹿の姿に異変が起きているように思います。というのは、昔の鹿は大型で、角も三ツ又や四ツ又の大きな角を持っていましたが、最近小型の鹿が捕れるようになりました。これまでの鹿より一回り小さく、角も一本角で3〜4センチしかなく、遠くから見ると雄か雌かわからない状態です。この小型の鹿は、西米良付近に多いとそこの猟師から聞いております。姿が小さくて数十頭群れているということです。それがこの地域にもいくらか移動してきたのではないかと思うわけです。
私どもは遠くからでも雄と雌は姿で見分けます。毛色も違います。雄は黒っぽい色で、雌は少し赤い色をしていますので間違えて捕ることはありません。それでも本来の大型の鹿が少なくなってきたということで、これから雌鹿を捕るとすれば、鹿は年に1回1頭しか産みませんので、本来の鹿は絶滅するのではないかと大変心配しているところです。
鹿の食べ物は笹であります。その笹を少なくしたのは我々人間で、杉山を造り過ぎたから笹がなくなったわけで、人間が自然を無くしたから鹿は植林した杉檜の皮を食べるようになった、これは食べられても仕方ないことです。いつかテレビで放送しているのを見ましたが、山に笹がなくなって鹿は食べ物がなくなり木の皮ばかりを食べて栄養失調で餓死していくということがでておりました。ですから少しは我慢しなければならないと思います。
もし、被害が相当大きい地域があればその地域だけ雌の捕獲をするとか、きめ細かくやって頂きたい、そうしないと雌鹿を3〜4年も捕れば絶滅するということです。こちらのスキー場でお客さんが鹿に出合って大喜びをするという話を聞いております。やはりそのような野生の動物たちの生息環境も植物と同じように大切にしなければならないと思います。

会場 関連したことで発言させてもらいます。普通シンポジウムではこうやって自由に発言させてもらえませんのでありがたいと思います。
今、この方は鹿についてお話がありましたが、僕は狸の件でお尋ねしたいと思います。出身は西郷です。西郷では狸が出没していますが近ごろ里にでてくる狸に異変が起きています。手がなくなって死んでいく狸がいるということです。これは環境の変化や家庭の食べ物を食べる関係でその食べ物に原因があるのかどうかわかりませんが、英国の狂牛病のように食べ物が変わって変な病気が起こるということはありませんでしょうか。僕はこの話を聞いて大変ショックをうけました。環境や食べ物がかわって野生動物たちも本来のものと変わってきているのではないかと心配しています。

秋本 ありがとうございました。雌鹿を捕獲すれば鹿が絶滅するのではないかというお話でございます。野生動物たちの生態についてはそれを捕える猟師さんたちが一番詳しいと思うのですが、その猟師さんのお話ですから説得力があります。それと狸の異変の問題、野生動物たちに異変がおきているのではないかという少し恐ろしいようなお話ですが、先ず中原課長さんお願いします。

中原 雌鹿の狩猟自由化といいますか狩猟解禁ということですが、実はまだ決定をしていないわけです。こういう場で言うのもなんですが、これは環境庁のほうで決定されることで、我々の審議会では一応通りましたけれどもまだ通知はきていないという状況です。ほぼ間違いはないだろうとは思いますので、決定されたという前提でここではお話させていただきます。
雌鹿の捕獲は北海道、岩手、兵庫、長崎についで宮崎が5番目に決定されるであろうということです。今のご意見は我々にとって大変うれしいご意見で、雌鹿を捕れば鹿がいなくなるのではないかということです。我々はいつも鹿を退治してくれという意見ばっかりが常に耳に入っております。
鹿の被害が多い。鹿が杉とか檜の幹とか若芽を食べるものですからなかなか防ぎようがない。猪なんかは電気索などで防げますけど鹿や猿はなかなか難しい面があるわけです。鹿にも忌避剤などを使ってみますけれど効果がない。被害が大きくなるばかりだということでだいたい5億ぐらいの被害ということです。防ぎようがないということでその次にやるのは何かとなると有害駆除でございます。狩猟期以外でも保護区でも害を及ぼした鹿を捕るということになります。それでもどうしょうもないから今回雌鹿の捕獲という順序になってきているわけです。
それで雌鹿の許可は「宮崎県」ということで出てくると思います。しかし、県域全体でそれをやるつもりはないということです。これまでずーっと生息調査をしてきました。そして生息頭数が多い地域については管理をしていきます。個体管理みたいなことをですね。だいたいどれぐらいという生息数をつかみましてそれをどれぐらいにする、そのためには何年間でどれぐらいづつ捕っていくというようなことをして後のモニタリング調査もやっていきます。ですからそういった絶滅するような心配がないようにしたいと思っております。
それから狸の変死が多いということですが、これは潰瘍です。狸だけではなくてカモシカなども高千穂や日之影の方で時々死ぬことがありますが、先生の話を聞くとこれも潰瘍だそうです。標本にもならないくらいです。それからキジもそういうことがあると聞いています。これらは先生方でどういうことが原因かということを調べていますが、環境が原因かどうかということもまだわかっておりません。そういう面では我々の方にもかなりの情報が入ってきております。答えになったかどうかわかりませんが、そういうことで雌鹿については慎重にやってまいりたいということでございますのでご理解をお願いしたいと思っております。

自然と歴史の博物館
会場 霧立越にホシガラスが生息しております。これは大変珍しい鳥だと思いますが、こういうものは公表してよろしいものでしょうか、それとも知る人ぞ知るとしてそっとしておいた方がよいのでしょうか、お尋ねします。

鈴木 ホシガラスは山歩きをされる方はご存知かもしれませんが、このあたりの山間部に住んでいらっしゃる方でも大部分の方は案外ご存じないと思います。それほどひっそりと生活しておりますのであまり目立ちません。目立たないので、希少種がどうとかいうことにも話題にならないのです。
この鳥を知らせて怖いのは写真マニアですね。今日も会場でだいぶ撮っているようですが(笑い)。写真マニアはマナーが悪いです。まわりのことは考えませんから。人の家だろうがよその土地だろうが、野菜でも花でも昆虫でも踏みにじってしまいます。特に都市部から来る写真マニアには気をつけてください。4輪駆動の大きな車で来る人は要注意です。その中にいろんな秘密機材を持っています。メジロを捕ったり植物を捕ったりする人もいます。
ホシガラスは、ハトを少し小さくしたような鳥で、ブナの実や松の実など木の実を食べます。木の実を遠くに運んで隠しておくのです。ですから木の実をあちこちに運んでくる鳥です。非常に人なつっこい鳥ですから見つけたらじっとしゃがみこむのですよ。5分なり10分なりじっと待つのです。すると向こうも珍しいわけですから何しにこの人は来とっちゃろかと思ってこっちを見ているのです。ですから脅かさずにいれば向こうから近づいてきます。ですけどかしこい鳥ですから捕まるようなことはありません。
霧立越は学ぶことがいっぱいあります。それで霧立越は博物館だと思って欲しいのです。博物館ならどういう運営をしたらいいかという発想が出てくるのではないですか。例えば、盗掘の問題にしても博物館なら盗掘に対してどういう処置をとるか、どういう方法があるかという考え方がでてくると思います。地域の人たちや子供たちが、わが村の博物館だと思えば、あるいは村での集会でそういうことが話題になれば地域の人たちも変わるのではないでしょうか。霧立越はそういう自然の博物館と歴史の博物館でもありますし、生産の場としての遺産でもあるわけです。
私ここで困っているのは、自然をペットとして見ている傾向です。ペット扱いの感覚で持ち主不在の意識で見る。特に都市部から来る人たちは、懐しいとか、きれいだとか、安心感があるとか、やすらぎがあるという反面、ペットとして思っているところがあります。そこを警戒すべきであって、地元の人たちは胸を張って教えてあげるようにした方がいいと思います。来てもらおう、来てもらおうということだけより、来たらここで鍛えてあげますよというような自負心を持った方がいいと思うのです。そうしないと都市生活者の見せ物・使い捨てになってしまう恐れがある。
もっといえば、盗掘などに対して県民がものを言わなくなったということもあります。昭和40年代から50年代にかけて自然保護運動が宮崎でも起こったのです。この時いろんな地域、学校、職場、子供たちへものすごい大きなプレッシャーがかかったのです。私は教員していましたけれど「お前いつまでそんなことをするとか」言われました。首が危ないぞとまでは言わなかったですけど、そういうプレッシャーが宮崎県の場合ものすごくありました。そういう歴史がありますので心ある人もものを言わなくなった。そういう人たちがもう60代70代になっておりますが、「もう、しようがあろうか、黙っておこう。どうでもなるだろう」という気持ちがたくさんとはいいませんがあります。
こういう家庭から育った人たち、例えば公務員とか企業とか地域の役員たちの子供はそういう経験をじっと見て育っている。「ああ、ここまでは言おうか、ここはやめようか」ということで、問題に対して怒らないわけですよ。子供たちはそういうのをちゃんと見ていますから、「家の父ちゃんはああいう時にはものいわんから俺も止めておこう」という心が育っている。だからもっと正義感を持って頂きたいと思うのです。自然保護とか新しい仕事には勇気がいります。異議申立てや少数意見の中にも大切なことがよくあります。

秋本 ありがとうございました。時間が少なくなりましたので最後にこれだけは言っておきたいという方がいらっしゃったらお願いしたいと思います。

知らせるには知らせる責任を
今江 さっきわたしが言ったことで誤解があるかも知れませんので一つ付け加えます。あしたご案内しても一番大事なものがあったって私は知らない人には教えませんよといいました。ただ、明日はまだ早春ですからものが出ていない、芽が出ていないのでわからないものがたくさんあると思います。だから隠しているのではなくて、わからないものがあるということです(笑い)。私が教えないって言っているのは百のうち一つか二つです。一つか二つの話とたくさんの話がいっしょになって受け取られる方がありそうです。秋本さんが知らせようと思っている量と僕が教えないといいながら教えようと思っている量とは違うのです。この植物は貴重ですよ、あの木の股の上にありますよと教えますか。そこはプライバシーではないかということなんです。
そして都会の人間は、そりゃあ滅茶苦茶であるわけです。おっしゃられるように「見てやるんだ、有難く思え」というようなことですね。このあいだ熊本で地元の写真家から聞きました。熊本の観光写真などでごらんになったと思いますが、宇土半島の北側、あのへんの干潟は実にきれいに引きますから夕日の時に美しい縞模様ができます。まさに潮と風の造形です。その写真家に僕はあつかましく聞いたのです。「あれはどこで撮るとが一番上手に撮れると?」って。ほんとうは失礼な話ですが、すると「あれはどこどこから上がってここんとこの蜜柑園の横からが一番よく撮れる」と。「だけど先生、今行ってもだめよ」。彼は言いました。「この前、都会から来たのが荒らして行った」と。普通、皆さん方は人のお家の邸の先の蜜柑園に黙って入りますか。「ちょっとすみません入ってよろしいでしょうか」とことわって入りますよね。じゃなくて「ここは場所が悪い、お前の態度悪い」と喧嘩売っているのです。だもんだから腹立てて柵を作ってもう入れないようにしているというのです。だから誰も入れませんといいます。
だから教えようとする時に、鈴木先生いわれたようなことがあるのです。マナーの悪いのは市中引き回しの上、はりつけ獄門に処するというくらいに、そこまではできませんけれどもそれに近いくらいにして、五ヶ瀬に来た時に、ここの自然に接する時は、我々がいうように従えというくらい、勝手気ままはしてくれるなというくらい、やっぱり文句をいわなければいけない。文句を言えないところで知らせたら大間違いだということなんです。文句を言わなくてもちょっと度はずれたのがいて間違いをしてもそれが擦り傷くらいですむものだったら知らせてもいいということです。
ユキザサもユキザサの現場に札を立てたら、その札の立っているところだけ無くなります。だからユキザサはパンフレットをつくってこうこうだというところまでに留めた方がいいというのです。いっしょに連れていく時は、これはユキザサといいます。名前もいいですもんなあ。山菜としても食べられますと説明してもいいですよ。いっしょに行動している人はそこでは取らないわけです。立札は鳥の巣のあり場所を教えるようなことになるからするなというのです知らせるには知らせる責任をとってくださいということです。絶滅したけどあれは取りに来た人間が悪いのだとは決して言うてくれるなということです。観光課の担当が変わった時にポッと出してしまうようなことがあったならその責任をとってくださいということです。そういうことがチェックできるような機構の中でどこまで明かすという、そこのところをキチンとして頂きたいと思います。
やかましいことをいうようですが、そういうことは阿蘇の方が先進地でございます。阿蘇には泥棒みたいな人がいっぱい来ます。野生のものを採集してあちこちにぼっかぼっか穴が開く。一番あきれたのは、峠道にあった桜の大枝が最近ごそっとなくなったというのです。花が咲きだしたら活け花材料として福岡あたりでは相当出るものなんだそうです。福岡というと訴えられると困るので、確定ではありません。ただ、福岡の方の市場ではよく出るからという話だからあっちの方ではないだろうかという話です。取る方はその位までして平気で取るということです。そういうことで慎重にして頂きたいと思います。

秋本 何だか恐いような話になってきました。確かに現実問題として受け止めなければならないでしょう。慎重にすすめなければならないと思います。

  元の自然に復元していくこと
甲斐 先生方にご指導頂きたいと思うことがあります。諸塚の場合人工林率が86%であります。これも植え過ぎたなあと思いますが、ただ幸いにも人工造林率の中の樹種の比率が針葉樹が7、広葉樹のくぬぎ林が3というようなことでモザイク模様と言われております。それから林内の路網密度がヘクタール当り53メートルを越えております。そういうことが有名になってすばらしいとおっしゃるのですけれども、まったく反省がないかというとそういうわけにはいかないのです。
私は皆伐をしたら後が大変なので長伐期を指向した中で択伐みたいなことをして、できるだけ自然へ返すということが必要ではないか、自然を守るということも大事だが自然を復元するということが必要ではないのかという気がしております。六峰街道を走りまして、あの道より上を切って造林したのは間違いだったと思うのです。しかし、これは植林してあるのですからそれはそれなりに活用して、その後これを伐採した時そのまま放置したらそれで自然に戻るのかどうか、どうしたら自然を復元できるか、それを先生方に是非ご指導頂きたいと思います。
行き過ぎたことに対しての反省から、これを元の自然に復元をしていくということ、守ることも大切だが自然を育てる、自然を作るということがこれから先の我々の森林管理で一番大切なことではないかと思うのです。
この話を、先だって林野庁のある課長さんが見えられた時お話しましたら、そんな理想論言っても山村で飯が食えるかというのです。それはおっしゃるとおりなんです。おっしゃるとおりなんですが、結論は、今の日本の経済の成長というものが21世紀に入って生活のレベルを落とさなければ自然環境問題でいくら議論したって堂々めぐりみたいなことになるのではないか。これは非常にむずかしい問題だろうと思います。今日は、それぞれの分野の先生方がお出ていますので、後ほどご指導をお願いしたいなと思っております。

秋本 ありがとうございました。甲斐先生は復元の努力ということばをお使いになりました。私も自然保護というよりは本当の自然の再生という考え方ではないかなと思っているところです。最後にまとめを小野寺先生お願いします。

地域全体の産業とのかかわりあい
小野寺 まとめみたいなことはできませんが、先程エコ・ツーリズムという言葉が出てまいりました。これはまだはっきりした定義のある言葉ではありませんが、欧米で発達した観光旅行の一形態だと思います。端的に言えば、特に大型動物を観察するための旅というのがもっとも象徴的だと思います。
私の知っている一番はっきりした例では、ネパールのチトワン国立公園にタイガーロッジというのがあって、アメリカとかヨーロッパとかの金持ちたちが黒豹を宿舎のまわりで見て楽しむ。銃を持った監視員が横に付いていて見る。そして翌日はワニとか水鳥とかうじゃうじゃいる河を遡行するというのがあって、これが最も典型的な例と思います。
日本でも小笠原でホウェールウォッチングというのがあり、熊本県の天草でもイルカで今やっています。見る船が多すぎて危ないということも起きつつあると聞いています。今のところ日本では、エコ・ツーリズムとは本当はなんであろうかというのを議論しているところだろうと思います。交通公社とか近畿日本ツーリストなんかの人たちと議論しても、これからちょっとおもしろい市場になるかも知れないという感覚はどうも持っているようで、企業も個別の勉強会みたいなものをやりはじめたようです。
植物や動物を見ることは、エコ・ツーリズムの非常に分り易いイメージではありますが、私は地域振興とからめて考える時にそういうことだけにとどめるのではなくて、鈴木先生もおっしゃったように山村なり農村の産業とか歴史とか生活ということを、自然と合わせてエコ・ツーリズムのメニューの中に入れていった方がいいのではないかというふうに思うのですね。そういう広い意味でのエコ・ツーリズムと、地域の経済というのがどう結び付いていくのかというのがむしろテーマなんだろうと思います。
もうひとつ考えなければいけないことは、エコ・ツーリズムというのが出てきた背景には、ようするにマス・ツーリズムというのがあったわけです。これは簡単にいうと大型観光バスで温泉観光地に行って、女の人はそうではないでしょうけれど、男の団体は芸者を上げてどんちゃん騒ぎをして帰っていくということだと思うのです。そうすると、そこで酒飲んだり芸者をあげたりする金だけが地域とのかかわりかという議論だったのだろうと思うのです。
これから五ヶ瀬地域をはじめとする全国の農山村で、もし観光を考えなければならないとすると、そういう狭い意味での経済だけではない関係を地域と持つ観光というものを考えるべきじゃないだろうかと思うのです。秋本さんのところで、おやりになっているかどうかわかりませんけれども、例えば1次産業なり1.5次産業とフランス料理が、やまめの里の何とか料理というものがどう結びついていくのか。土産品と地域全体の産業と雇用の関係がどう結びついていくのかということを、むしろ前面に立てて議論されるべきであって、その時にエコ・ツーリズムということもひとつの有力なメニューとして登場してくるのではないでしょうか。そういう社会的な条件は、かなり成熟してきているように思えます。

自然への畏敬の念を
鈴木 今の小野寺さんのお話にちょっと付け加えてもいいでしょうか。この地方で観音鳥というのをご存じでしょうか。どなたかご存じの方はおられますか。えっ、かんさんどりですか。この地方ではかんさんどりですか。そうです。ホトトギスのことですね。
山を歩いていて鳴き声をきいて「ああ、ホトトギスですね」といったらそれは都会の人です。「ああ、かんさんどりが鳴いていますね。うちへんではかんさんどりというのですわ」といったら、それだけで風景なり自然観ががらっと変わる。

会場 こちらでは、「日がっぽうに雨かんさん」といいます。かっこうが鳴いたら天気になり、かんさんどりが「カンサンカケタカクワックワックワッ」と鳴いたら雨になるといいます。

鈴木 そういうのが地元の財産ですね。種蒔き鳥が来たとか雨ごい鳥が来たとか、あるいは河童の話があるとか、地域の人たちがずーっと語り継いできたものを戦後50年の間に捨ててしまった。そういうものを子供たちが受け継ぐ場所もないし、それを宝物とも思わない。ここにはキレンゲショウマがあるとか珍しい植物があるというだけではなく、もっと心の中に芽生え残っていく伝承話や、春ゼミの「ギオン」「祇園」と聞き取る自然と心のゆきかい、そういうものが今まで一番見捨てられたという感じがします。
それから若い人や子供たちが、自然はいいなあ、気持ちがいいなあと快適ばっかりを言っている。山のてっぺんに上がった時の感想はそれに尽きるのですが、逆に、自然は人間の力ではかなわない、とらえきれないものを持っている、もっと怖い恐れがあるということを是非体験させてほしいと思うのです。自然の恵みは知っているけれど自然の怖さということを子供たちはほとんど体験しないのです。ちょっと怪我をしたらすぐ責任はどこだというでしょう。ちょっとした怪我なんてのは子供の責任ですよ。自然にはそういう危険があるということを体験させることが必要と思います。今の学校を頼っていたってどうにもなりません。学校だけではだめだと最初から思った方がいい。そうすると腹もたたず気も楽になります。自然の畏敬の念と用心深さを是非考えてほしい。霧立越でそういうことをさせてくださいよ。(笑い)

秋本 どうやら霧立越の霧も晴れて見通しも明るくなったようでございます。もっともっと時間がほしいところですが、かなり超過してご迷惑をおかけしておりますのでこのへんで終りたいと思います。先生方そして会場の皆さんありがとうございました。(拍手)

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第13回霧立越シンポジウム
九州脊梁山地文化圏
平成22年10月24日〜25日


第12回霧立越シンポジウム
『柳田国男100年の旅』
平成20年7月19日〜21日




第11回霧立越シンポジウム
『自然体験とインタープリテーション』
平成20年5月10日(土)〜11日(日



第10回霧立越シンポジウム
西南戦役130年
平成19年4月21日〜23日



第9回・霧立越シンポジウム
過疎山村の町村合併を考える
2002年11月22日



第8回 霧立越シンポジウム
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2002年7月20日〜21日
 


第7回 霧立越シンポジウム
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第6回 霧立越シンポジウム
日本上流文化圏会議
1997年11月2日
 


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森とくらしのあり方を探る
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第4回 霧立越シンポジウム
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1996年11月8日
 


第3回 霧立越シンポジウム
霧立山地の植物
1996年5月11日
 


第2回 霧立越シンポジウム
タイシャ流棒術350年と霧立越
1995年10月2 1日
 


第1回 霧立越シンポジウム
「霧立越を語る」
1995年5月14日
 


森シンポジウム
―地域の光の創造と発信―
1992年10月25日

五ヶ瀬ハイランドスキー場
パネリスト
竹内宏氏(長銀総合研究所理事長)
後藤春彦氏(三重大学助教授)
藤井経三郎氏(リブ・アソシェーツ代表)
車 香澄氏(福岡大学教授)
長沼武之氏(宮崎県観光振興課長)
秋本 治 (やまめの里代表)
コーディネーター
鈴木輝隆氏(落ち穂拾いの会)



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2009.03.10〜