霧立越

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第7回・霧立越シンポジウム ―日本のサクラと自然―

▲僖優襯妊スカッション ―霧立越で発見したサクラ― 


パネリスト
  平岡忠夫氏(巨樹の会主宰)
  中村勝信氏(九州森林管理局森林整備部長)
  斉藤政美氏(宮崎植物研究会会員・宮崎県立総合博物館)
  佐野藤右衛門氏(日本の桜研究家・京都)
  大場秀章氏 (東京大学教授・理学博士)
コーディネーター
  秋本  治(霧立越の歴史と自然を考える会会長)


司会  それでは、只今からパネルディスカッションを開催します。約2時間ほどでございますが、本日のテーマの核心の部分に入っていきたいと存じますので先生方ひとつ宜しくお願い致します。その前に来賓の方々をご紹介します。今日サクラを見られたところは国有林であります。そういうこともありまして、来賓の方々をご招待しておりますので、ここでご紹介をさせていただきます。向かって左側から九州森林管理局森林整備部長の中村勝信様です。同じく九州森林管理局指導普及課長の山根義人様です。同じく九州森林管理局労務監査官の森山まさと様です。次に宮崎北部森林管理署署長の井上公明様です。同じく宮崎北部森林管理署高千穂事務所所長の大倉孝行様です。次に熊本森林管理署矢部事務所所長の児玉孝一様です。本日、ご挨拶頂きたいところでございますけれども、時間の都合上ご紹介のみとさせていただきます。ご了承下さい。それではコーディネーターにバトンタッチします。よろしくお願いします。

秋本  はい。それではバトンタッチを受けましてパネリストの先生方よろしくお願いします。佐野先生、先程ご講演で大変お疲れのところですが、引き続いてパネリストもお願い致します。進行は、できるだけ共通項でくくっていきたいというふうには存じますが、私は進行がめちゃくちゃなところがございますので、途中でも先生方は「それについてはこうだよ。」というご意見を、もうどしどし出していただきたいなと言うふうに思いますので宜しくお願い致します。
 それでは、早速進めて参りたいと思いますが、まず佐野先生。「サクラ」を昨日は人為的に咲かせてその花をご覧頂き、今日また現場へお出でいただいて現物もご覧いただいたわけなんですが、率直なご感想からお聞かせいただけますでしょうか。 

佐野  え〜、初っぱなから非常に責任が重いんですが、まず感じたことを申し上げますと、先程ちょっと言いましたように、サクラの自生地は場所的にちょうど西南西の斜面、今日の気温があそこで10度、標高1,600mで、この状況とそれから土、いわゆる石灰岩がボロボロ崩れまして、ずれていくその中で、適当に落ち葉がうまくあの中で攪拌されて埋め込まれていっておりますので、非常に肥料分もうまく混ざってる。そしてまたボロボロボロボロ上から崩れてくる。そういう特種な土壌と地形です。先程いいましたように「シャクヤク」ばっかり、「シャクヤク」がいっぱい生えている。非常に珍しい場所です。
 パッ見たところだいたいサクラは150年位は経っていると思うんですが、その150年の間にどういう変化があったのか。それとどこから来たのか。これが一番興味があるんです。あそこに来たということについては、必ず鳥が運んでおりますので、あの辺に生息している実を食べる鳥、これがはたしているのか、いないのか。そして花を見せてもらったら雌しべがとんで出てますので、まず受粉がしにくい。実がどの程度成るのか、これも今後いろいろと調査をしていただきませんと、まず分かりにくいと思います。あれを本当に知ろうとした場合には約150年前から今日までの気象条件や鳥は無論のこと、それから昆虫類、それと地中の生物がどの程度いるのか、それから小動物、リスとか野ネズミがいるか、いないか。生物がうまく一緒に生活をしてるかなどの調査がこれから非常に重要やと思います。
 私らこの花の咲く時期を考える時に、だいたい月で計算していきますので、月というのはお月さんですが、今日が30日と言うことは、30から5を引くと25。次の新月が5月の3日位やと思います。で、次の新月からぼちぼち咲きかけるのが普通なんです。平地の場合、多少の違いはあるんですが、大体新月から満月に向かって咲いていきます。皆さん方、今年は遅い遅いって言われてましたけれども、決して遅くはなくっていわゆる月例通りに動いてる筈なんです。それで来月の5日から10日の間位が大体花の満開に近い状態やと思います。
 それともう一つ、昨日はここで咲かされた花を見たんですが、もし、今度行かれる場合は必ず、双眼鏡を持って行っていただきませんと、ちょっと見にくいので、その時に必ず普通のサクラの花よりも蕾が長い、必ず雌しべが、とんで出てますので、そのへんの特徴をちょっと掴んでおかれたら1番よく分かると思います。後の難しい事は、また次の先生方にお願い致します。

秋本  それでは、斉藤先生。サクラのある白岩山というその土地の地質の特異性ですね。佐野先生がご覧になって、非常に特徴がある、他の所と違うよ、というようなことをおっしゃられましたが、そこのところをお話頂けますでしょうか。実は、斉藤先生は県の文化課におられたんですけれども、私の方から見たら運が良くと言いましょうか、この4月から県立博物館の方に行かれたんですね。で、そういう専門的な調査研究が出きる立場になられましたから、非常に私どもは頼りにしているところなんですが、この白岩山についても非常に詳しゅうございますのでお話伺いたいと思います。宜しくお願いします。

  斉藤  お手元に白岩山の植物という資料が届いているかと思います。これの左のページ上の真ん中辺りに宮崎県の地図が書いてあります。で、白岩山のポイントがうってあります。その白岩山の、下辺りから右上にかけて、なにやらこう、黒い線みたいな囲いがずっと入っております。これが、宮崎県における石灰岩峰の、まあ、岩峰だけでなく石灰岩の地層の出ている所です。で、白岩山は、白い岩の山と書きますけども、名前の通り石灰岩の山であります。石灰岩という所は、まあ、いろんな特徴があるんですが、一つは、土壌がアルカリ性である。日本はほとんどの土壌は酸性土壌になってます。そういう意味でアルカリ性土壌であるということで、生えてくる植物に変わったのがあります。石灰岩を好む植物、つまりアルカリ性を好む植物が出て来るという事です。
 皆さん石灰岩と聞くと、鍾乳洞を思い浮かべられると思います。石灰岩というのは、雨水に解け易くて、空洞が出来るのです。この地図上でも、椎葉村から、五ヶ瀬、高千穂、日之影にかけて石灰岩の層が走っているわけです。椎葉村や五ケ瀬町、高千穂町、日之影町にも鍾乳洞があります。そういうことで石灰岩があるわけですが、この白岩山は、行かれた方はご覧になった様に白い石灰岩が突き出しております。その下には雨水等に溶かされたりして石が崩落している落ち込んでいるのです。
 いろんな解説書には、白岩山の石灰岩峰に約60種類の非常に貴重な植物があると書かれております。その中の一部を、右のページの方に紹介してありますが「イワギク」とか「シコクシモツケソウ」「ウスユキソウ」「ホタルサイコ」「チョウセンキンミズヒキ」「ノビネチドリ」など、まあ、いろいろあります。なぜここに、そういう貴重な植物があるかといいますと、そういう、石灰岩特有の、アルカリ性だけじゃなくて、まず、樹木が生えにくいところです。そこにいろんな草が、わずかな土壌、隙間で育っていく。樹木が生えにくいということで、しかも、なおかつ太陽光線をもろに受けるし、大きな風、寒い寒風も受けるし、非常に生育条件の厳しいところであるわけです。そういうところで育つ植物ということで、非常に珍しい植物達が沢山あるわけです。
 それと、もう一つは、今日、歩かれた方はご存じの様に、下が崩落地で瓦礫地で、植物が生えにくい、植物が育つには非常に厳しい条件です。逆に言いますと、そこに生えてる植物達からしてみると、非常にある意味では生育しやすい条件なんです。他の植物が生えてこないから、その植物達はそこでわりと、まあ、ノビノビとじゃあないんですけども低い競争の中で生きられる。植物の社会というのは非常に厳しくて、太陽の光を求めて競争をやります。水を求めて競争をやります。そういう中で、岩峰に生える植物というのは、条件は厳しいけれども、そこにいる植物達にとっては、わりと安定的に生育が出来るということです。
 ちょっと話を変えますけども、昔、氷河時代、数万年前から数十万年前に、地球は非常に寒くなりまして気温が下がっていきました。そうすると、北方系の植物が、だんだん南下してくるわけです。そのうちに今度は氷河期が終わります。まあ約1万年前に氷河期が終わって、またまた暖かくなっていく。そうすると気温が上がっていきますので、南下してきた植物達は北の方に追いやられていく。
 ところが、皆さん方ご存じのように、水平分布というのと垂直分布というのがあって、北へ行くともちろん寒くなっていくわけですけども、標高の高いところに上がっていっても寒くなるわけですね。だから、北方系の植物は北へ逃げるものと、上に逃げるものと分かれていきます。上に逃げるものは、どんどん面積が少なくなって最後には消えたりします。そういう中で、石灰岩地帯というのは、非常に厳しい条件があるがゆえに、以外とそこで残っている場合があるんです。
 右のページに6種類あります。ちょっと目を通して頂くと、イワギクというのがあります。文章読んでみますね。「北海道から九州まで、石灰岩や岩場に隔離分離します」。というのが書いてあります。1番下の方のウスユキソウは「大陸系の多年草で、全身が綿毛で覆われています。白岩山の石灰岩に薄く溜まった土に根を張っています。」右上のホタルサイコは「九州では宮崎県の石灰岩だけに見られ、7月虹色の花を多数つける北方系の植物です。石灰岩と無関係の環境にも生えます。」1番下のノビネチドリですがこれは「北方系の植物で東北や北海道では比較的よく見られます。九州では白岩山だけにしか自生していません」という事が書いてあります。
 こういうのを考えていきますと、もともと北方系なんだけども、氷河期の寒い時期に、南下して来て、また気温が暖かくなることによって北へ逃げたんじゃなくて標高の高い所へ逃げ出した。そして分布的な点として残っていくんですね。そういうのを、遺存植物とか残存植物と言います。良い例が、例えば北海道とか、アルプスより北の方にキバナノコマノツメという黄色いスミレがありますけれども、これがなんと屋久島にあるんですね。ポーンと飛んで屋久島にあるんです。これも、残存植物だと言われています。あと、日之影町に「洞岳」という石灰岩峰がありますけれども、そこにミヤマゼキショウいう、日本で、世界で、そこしか無い植物があります。しかし、これの基本になる種が、北海道千島方面にあります。名前をチシマゼキショウといいます。それも石灰岩地帯で残ったんです。
 そういう意味では、残存植物という植物達がいる中で今回の桜を考えてみますと、ほぼそれにマッチするんではないかなあという気が致しております。北海道にある、本州北部にある、それがポーンと飛んで四国にある、宮崎の石灰岩地帯にあるっていうのを考えると、ひょっとしたら、それなのかなあという気持ちがしております。私、そういうプロの専門家じゃありませんので、想像の域を脱しえないんですけれども、そんな気持ちがしております。
 白岩山は非常に貴重な山で、山頂部は県の天然記念物に指定されております。今日は、関係の方もみえてますけれども、森林生物遺伝子資源保存林という事で、もっとも重要な地域として指定保護されております。あと、九州中央山地の国定公園ということでも保護されております。保護されている状態で生えているということで、ある意味では一安心なんですけども、日之影町の「洞岳」に固有種といいますけど、そこしか無い植物があるという中で、白岩山に今までそういう固有種が無かったのが非常に残念だったんですけども、これからどうなるか分かりませんが、ひょっとすると白岩山の固有種になるかも知れないという期待が残るわけです。後は大場先生のこれからの話になっていきますけども、そういうことで白岩山を簡単に案内させて頂きました。

秋本  はい、どうもありがとうございました。白岩山周辺は非常に特異な地質であり、氷河時代からの残存植物という植物達があるというようなお話でございました。あのう、皆さん方のお手元に平岡先生の資料をお配りしております。「巨樹に魅せられた人々」というコピーです。これは「山と渓谷社」の雑誌の5月号に掲載されているものですが、平岡先生の著書も紹介されております。そこで、平岡先生。平岡先生は全国の巨樹の調査をされて、九州山地にも珍しいのがあるんじゃないかというような事をいろいろお話になられております。巨樹のサクラはどうでしょうか。

平岡  今、斉藤先生のお話があって私もその通りと感じたんですけれど、私どもは数字的におさえてるものですから、ご参考にちょっとお話したいと思います。全国に、今のところ分かっている大きな桜が現在954本あるんですね。この中に私達が調べたのもあるんですけど、その中で九州山地にある幹周り3メートル以上のサクラが13本あります。わずかに全国の1.3パーセントです。それだけに、今度見つかった桜は非常に貴重だと考えているんです。ご参考までに5メートル以上のものが159本。これに対して九州が1本ですね。この1本というのは先程、佐野先生からお話があった大口市のサクラですね。これは7メートル以上で、日本最大とされているんですけど、ちょっと問題があって、もめている部分もあるんですけどね。地図を見て頂きますと、まさにそれをマップが表しているんですね。北の方に多くて九州に少ないと。まあ、そんな次第になっているんです。
 それからもう一つ。先程、佐野先生からお話があって東北地方に非常に桜が多いというお話だったんですけれど、それをこのマップが示してると思うんですね。それから、あえてもう一つ言わせて頂きますと、東北地方にある桜はですね、ほとんどが「種まき桜」なんですね。「種まき桜」というのはどういうものかといいますと、桜の花が咲いたら「稲の種を蒔きなさい」と言うんですね。さっき、お話しのあったエドヒガン系が多いんですね。それから、「カスミサクラ」の大きいのがあるんですけど、それは「田植え桜」。ちょっと、開花の時期がずれてるわけですね、そういうもので農業の暦にしていた。
 今日の日を設定するにあたってもですね、随分、秋本さんがご苦労なさったと思うんですけどね。それでもこういうずれが生じる。ですから、今の農業の暦よりは、花の方がはるかに確かな事ですよね。そういう利用をされていて、そこで農業が起きてるんですね、東北ではですよ。ですから「桜大名神」とか、いろんなものをお祭りしたりしていますね。
 (パネルの地図を指して)これはですね。木がどうやって出てきたかを北の方からずーっと落したものです。いろんな木が落してあるんで非常に分かりにくいんですけれど、もし時間が与えられれば、これをばらしたものでご説明します。実は、これを、ばらしていくと大きな木が各地に棲み分けしているって事が分かるんです。

秋本  はい、どうもありがとうございました。それでは、いよいよ核心部分を大場先生にお願いします。このサクラの、まあ、何と呼んでいいのか分かりませんが、このサクラのどこが他のサクラと違うのか、どういう風に大事なのか、珍しい桜なんだとか、皆んな聞きたいわけで、そのために今日皆さんお集まり頂いているんですけれども、ご説明お願いしたいと思います。

大場  あの、大変責任の重いこと言わなきゃなんないので少しドキドキしてるんですけれど。その前にちょっと桜全般について、少しお話しをさせて頂きたいと思います。桜というのは、植物学的に見ますと大きく5つのグループがあります。それで、それぞれのグループを代表する植物を挙げると、えっ、こんなものも桜の仲間かって驚かれるかと思うんですが、一つは、食べる桃ですね。これが一つです。もう一つのグループは梅と杏。それからもう一つのグループがスモモ、それから、問題にしているいわゆるヤマザクラとか、今日、佐野先生がお話しして下さったサクラ。それともう一つがリンボクとかバクチノキという、これは常緑のものなんですけれども、そういうものとか、ウワミズサクラといって、枝の先に花がたくさんつく、そういう変なものがあります。
 それぞれ特徴があって、この桃、梅、杏それからスモモというのは、桜の仲間ですが、その花にはほとんど柄が無いんですね。だから果物の食べる桃でも、スモモでも桃や梅、ほとんど柄が無い果実を食べてるわけです。そういうのに対して、サクラは「さくらんぼ」が果実ですけど柄があります。花に柄があるというのが、この5つの桜のグループの中でサクラの特徴になっていて、我々花につい焦点をあててしまう訳ですけれども、サクラの仲間ではその花に柄があるとか柄の長さとかその柄の部分が分類をしていく上で重要な意味を持つ部分になっています。
 さて、この四番目に挙げたサクラのグループなんですけれども、これは日本では大変多様化している。つまりいろんな種類があってですね、大きく見てこのグループは日本には十種あります。(黒板に書いて)九つだけ書かせていただきましたけれどもチシマザクラ、タカネザクラ、マメザクラ、チョウジザクラ、エドヒガン、ヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、オオヤマザクラで、マメザクラは、地方によって随分変化がありまして、狭い意味でのマメザクラってのは、富士山の周辺だけにしかないんですが、近畿地方から四国にかけてはキンキマメザクラってのもあります。チョウジザクラにも日本海側と中部地方と関東地方で少しずつ違いがありますが、除きますと大体ここに挙げたようなものがあります。
 この中で非常に花が目立って昔から栽培に利用されているのがエドヒガン、ヤマザクラ、オオシマザクラ、オオヤマザクラである訳です。それでエドヒガン、佐野先生がヒガンザクラとおっしゃってたものですけれども、これがこれらの中では一番先に花を咲かせて、東北地方なんかでは、田植えの時期に合う訳ですね。ヒガンザクラが最初に咲いて、それから少し遅れてオオシマザクラ、ヤマザクラそれからカスミザクラ、オオヤマザクラってだいたいそんな風に花の時期もずれています。
 またその開花時期がずれていると同時に分布も少しずつ違っていて、このオオヤマザクラが他のサクラに比べてここに挙げたサクラの中では一番北に偏った分布をしていて、樺太、沿海州にまで分布をしています。それに比べてヤマザクラは殆ど九州から本州のまあ岩手、秋田県くらい。カスミザクラもそんなに北までありません。オオシマザクラは伊豆半島、それから伊豆諸島、三浦半島、房総半島の南くらいという狭い地域に分布しています。ですからオオヤマザクラってのは、全く九州に分布しているって言うことは知られていないサクラであった訳です。
 話が長くなって大変申し訳ないんですが、去年、斉藤先生から「変わったサクラが見つかったので」ということで、押し花標本をいただきまして、それを見たことが私と、このサクラを結びつける最初であった訳です。それを見たときにですね、大変私が驚いた訳です。というのは、どう見てもその標本を見るかぎり、送られたサクラは既存の知られている種の中では、どう見ても今まで九州に無いとされていた『オオヤマザクラ』だけにある特徴というものを沢山持っているものでした。
 たまたま今日、これは秋本さんの方で用意された「サクラ検索」のプリントですが、非常に詳細な表ができております。この中でですね、オオヤマザクラにしかない特徴ってのがいくつかあります。上の方から見ていただくと、どこがいいですかねえ、え〜と「鱗片葉」ってのが上の方から五つ、六つ目くらいのところにありますが、縁に繊毛があるとあります。繊毛ってのは、液体を分泌する部分なんですけど、そういう分泌をする毛があるって訳ですね。それから、花の色のところも、まあ花の色ってのは個体によって随分変わりやすいんですが、非常にオオヤマザクラは、濃い紅色をしてまして、花の色が濃い為にオオヤマザクラのことを別名ベニヤマザクラと言うこともあるんですが、花の色が非常に濃いという特徴があります。それから、何といっても大きな特徴は、包鱗、つまり冬芽、花芽ですね。これが、鱗と呼ぶものに包まれててるんですけれど、その部分が粘着、つまり手で触るとベタベタ粘る訳です。これはオオヤマザクラの大変いい特徴で、会場に咲いている花を触ったら怒られるかも知れませんが、ちょっとこう内緒で後で興味あったら触っていただきたいんですが、ペッと付く訳です。
 それからですね。次はちょっと難しいんですけれども、総花柄って書かれた部分があります。これは、何かっていうと(後のボードに書いて)枝が、模式的に書くと、その枝に花が付く訳ですけれども、例えばヤマザクラですと、これが枝に直接付かないで、このようにですね、例えば三つの花があるとすると、この三つの花に対して共通する枝の部分があるんですね。簡単に言ったら傘の骨がですね、この柄があってそこから骨が付いてる、その傘の握る柄の部分ですね、こういう部分がヤマザクラやカスミザクラ、オオシマザクラにある訳ですけれどもオオヤマザクラはこの傘の柄に当たる部分が無くて、花がひとつずつ直接枝に付いてる。そういう付き方をしているんですね。これはオオヤマザクラを他から見分ける時に大変いい特徴になります。だけど、これは花がひとつしかない時には難しいんですけれどね。普通は、オオヤマザクラも一つの枝から二つ出ますので、この共通の部分、それをここでは「総花柄」という言葉を使っていますけれども、こういう部分がオオヤマザクラには殆ど無いという特徴があります。
 それで、「霧立山地」で見つかったこのサクラはですね、まさにこういう「総花柄」もないし、それから芽の部分も粘ると言うことで、そういう意味ではオオヤマザクラの特徴を持っています。従ってここまでは、これはまあ、主として見たらオオヤマザクラであると言っていいと思います。言っていいと思いますと言うのは、変な日本語ですね。まあ私はこれをオオヤマザクラだと同定します。
 ところがですね、問題はこれから先なんですけれども、実は昨日初めて生育している場所に行きまして、標本では分からない部分、それから、生育場所の特徴、あるいは、樹皮の特徴等も観察する事ができました。残念ながらその開花に出会う事ができなくて花の観察が出来なかったんですけれども、樹皮の状態、これもオオヤマザクラの特徴を持っているとみていいんじゃないかと思いました。
 ところが、秋本さんが咲かせて下さったその花を見てですね、大変ビックリしたんです。先程佐野さんもおっしゃったように、大変その雌しべが長いんですね。それから、もうひとつは、これは標本で見たときも少し気が付いてたんですけど、花の柄、これ「花柄」と言うんですけれども、これがですね4センチ位あるんです。普通のっていうか東北地方や北海道でとられたオオヤマザクラってのは、長くてもですね、2.5センチ位しかないんですね。普通は2センチ位にしかならないんです。これは明らかにまあ常軌を逸した長さ、つまり東北地方や北海道の『オオヤマザクラ』では見られない柄の長さなんです。
 それから、花弁が付く外側に「がく」と言う部分があるんですけれども、オオヤマザクラってのは、ヤマザクラに比べると大体この「がく」の筒になっている元の方の部分と、それに付く切れ込んだ部分、これ「がく裂片」といいますが、それに分かれてるんですけれど、この「がく」の筒になる部分ですね、これをまあ「がく筒」と言いますが、この部分がヤマザクラよりは大体まあ細造りなんですけれども、その生きた物を見ると、その中でも極端に細いんです。こんなに細くなるその「がく筒」を持っているものは、私の見た限り、私が知っている限り東北や北海道のものでは見たことが無い。
 それから、この「がく裂片」。ここでガクとくっついてるんですが、先があまりとがらなくて、細長いボートみたいな格好してるって言ったらいいんでしょうか、倒卵形、長楕円形っていうような言い方しますが、こういうものが多いんですが、今度見ると、細い三角形状で先が尖ってます。まあ、こんなところはすぐ変わるんじゃないのかって思われるかも知れませんが、桜では結構この「がく裂片」の先端の形とかは、種あるいは種の中の変種によって安定した形をしておりまして、このサクラがこんな形をするっていうようなことは、これまで知られていないものであります。
 このように、花の柄が長い、がく筒の部分がよりいっそう細くなる、がく裂片が三角形の形状で先が尖る、それから雌しべが長くなる、という様な点で今まで知られているオオヤマザクラのどの個体とも合わない。そういう特徴を持っています。
 ちょっと分かりにくい説明かもしれませんが、このサクラがオオヤマザクラであることは、私はいいと思うんですけれども、そのオオヤマザクラの中でも、ここのものは、一つの形を出すものだと思います。それで、実はどう分類するかという話なんですが、分類というのは種に分けて、それに学名を与えていくわけですが、その種の下に、種の亜種とか、変種と呼ぶ様なものが区別されてきます。例えば、先程言ったマメザクラではですね、富士山周辺にあるものがマメザクラと言うわけですけれども、近畿地方や、四国の山地にあるものは、富士山周辺のマメザクラと比べて若干の違いがあるので、それをマメザクラから分けてキンキマメザクラいう呼び方をするんです。そういう同じ種の中の若干の違いをもって分けられる様なものを亜種とか変種という風に呼んでいるわけです。
 今の段階では、ここで見つかったオオヤマザクラはオオヤマザクラなんだけど、ただのオオヤマサクラではなくて、オオヤマザクラの中の一つの亜種とか変種として区別できる桜ではないかと考えています。ただですね、これを今すぐここでそうだと言いきる事は、言ったっていいんですけれども、これを確かなものにする為には、先程、佐野先生がおっしゃった様に、まだまだこの桜については分からない事がたくさんあります。
 例えば、どうやって増えてるのかって事もそうですし、どんな昆虫が来て花粉を媒介するのかとかですね、それから今見つかっているのは一箇所だけなんですけれども、本当にここだけにしか無いのであるかとかですね。ここの霧立山地でこのオオヤマザクラが見つかる前までは、オオヤマザクラの南限というのは、四国の剣山とされてたわけですけれども、それは詳しいことが分かってなくて、その剣山にオオヤマザクラがあるということが分かっていただけなんです。この霧立山地にオオヤマザクラがあって、それが北海道や東北のものと違っているということになると、もしかしたら剣山でオオヤマザクラと報告されているものも霧立山地のものと同じではないかという疑問もでてきます。そうすると、例えば北海道から、霧立山地まで通ってくる鳥は無いかも知れないけれども、この山だったら四国の剣山には行き来する鳥がいるかも知れないとかですね。いろんな疑問が湧いてきます。
 まあ、学術論文として発表しない限り正式な発表にはならないんですけれども、今後そういう研究を重ねていきながら桜の正体を解きあかしていきたいなと思っております。けれどもそうした研究の為には、こちらに通ってくる鳥や昆虫たちを通しての観察とか、まだまだやらなければならないことがたくさんあります。私はずっと東京に住んでいて年でもありますから、また大学自体が少子化でつぶれそうな状況にあるので、桜のことばかりやってるわけにはいけないので、とても無理なのです。そこで、私はお隣にいる斉藤さんに、いろんなお願いをして、こうした問題を明らかにしてくださることを大変期待しているわけです。
 そんなわけで、核心の部分はちょっと括弧付きですが、少なくても現段階ではオオヤマザクラとしていいと、ただし、オオヤマザクラなんだけれども、その中では相当変わったものであるということを言いたいのです。それで昨日、佐野さんと話をしていて、佐野さんは「もう、とにかく名前を付けた方がいい。要するに本命で名前を付けた方がいい、そして見守っていくことが大事じゃないか」とおっしゃられていましたけども、私も大変それに同感でありまして昨日の段階では「キリタチヤマザクラ」という名前はどうかということになってるんです。私も、まあ、そういう文学的なセンスが無いから、なかなかいい名前思い浮かばないので、良ければ日本名はですね「キリタチヤマザクラ」という名前を佐野さんが提唱したということで、この名前を学術的な名前として採用したらと思うわけです。あの、学術的な名前とは、いわゆる標準和名ですね。そういう名前として「キリタチヤマザクラ」を論文を書く時に使いたい、是非そうしたいという風に考えています。

秋本  はい、どうもありがとうございました。やー、凄いことになりました。このサクラはオオヤマザクラとも違うものをもっていてこの地域固有の種ではないかというお話しです。あの、「キリタチサクラ」じゃなくてヤマがはいった方がよろしいのでしょうか?

大場  単にサクラといいますとですね、サクラソウのものもありまして、なんとかサクラ、イワザクラとか、それはサクラソウなんですね。それで、紛らわしいのでやっぱりまあ「キリタチヤマザクラ」の方がいいかなとも思いますが、そのへんはどうでしょうかね。

秋本  それでは佐野先生。昨夜の佐野先生のご意見を大場先生はそのまま付けようじゃないかというお話しですけれども、その辺りを少しご説明頂けますか。

 佐野  今、あの、大場先生から、いろいろと学術的にきちっとした説明がありましたけれども、冒頭に言いましたように私は現物現物をと追い求めながら、その時その時の発想でやっていきますので、今の言葉で言いますとネーミングちゅうのか名前は、もしできましたら今日参加された方から応募する方が意味があるように思うんです。その名前、学名は大場先生に、きちっとやってもらうんですが、今日参加された中といいますのは、その方々が一番親しみやすい、馴染める名前、そしてこの土地を理解した上での名前、そういうものにしたらと思います。できたら来年度までくらいにお考え頂いて、その間に大場先生にずーっと追跡調査お願いせなあきませんのでね。
 秋本さん自体は、もうこれは、毎日でも山に登って行ってもらわんと本当のこと分かりません。先程言いましたように、このサクラは何処から来たかていうのが、まず、一番私ら面白うというのか、興味覚えます。できたら皆さん方にせっかくの機会ですので、ずっとこれが残ると思いますので、何かの形で参加して頂く事がよいと思います。地名だけはやはり入れておく方がいいですね。大場先生、どうです?。できるだけここの地名を入れてもらって。
 先程、先生の説明にありました様に、とにかく花のガク筒が長いんです。だからポッと考えた時に、鉄砲山桜という名前もどうやろうということも考えました。ちょうど、鉄砲の筒のように他の桜よりも長いんです。普通のものは、もっともっと丸くなるんですが、非常に筒が長い。いろんな細かい点で面白い特徴いっぱいもってますので、もしできたら皆さん方から応募的なこともお考え頂いたらどうかと思うんです。

秋本  はい、あの、ありがとうございます。まあ、また1年先というのもですね、もう大変でございますので、できれば今日、命名をして頂こうという風に思うんですが、藤右衞門先生からのすばらしいご提案ですので会場にお計りしたいと思います。まあ、霧立越はこの地域のメインでもございますから、キリタチが付くと、もうそのままいこうじゃないかという考え方もあると思いますが、皆さんご意見をお願いします。

会場  「キリタチテッポウヤマザクラ」とか「キリタチオオヤマザクラ」とか「キリタチヤマザクラ」とか幾つか出してですね、それを会員からも選んでもらうことにしてですね。そして何十分か後にアンケートを集約してどれが一番多かったということで衆議一決というようにさせていただいたらいいんではないかと思いますけれど。

佐野  付け加えさせていただきますが、参画していただいた以上、最後の最後まで面倒は必ず見るという気持ちにもなっていただきませんと、名前だけ付けてほったらかしでは冒頭にいいました子育てみたいになりますので、その点よろしくお願い致します(笑い)

秋本  はい、それではもうしばらくしてから皆さん方にまたまたお考えを出していただきますので、何かいい案をひとつ温めておいていただきますようにお願いしたいと思います。それでは、九州森林管理局の中村部長さんにお願いしたいと思います。実は中村部長さんとはですね、群馬県片品村にいらっしゃる時に私共がこのスキー場をつくりたいと、元の町長さん達とスキー場の勉強にお伺いしてえらいお世話になった方でございます。それがご縁という訳でもないのですが、今日こうしてお出でいただいてここに出来たスキー場をご覧頂けたということでございます。そして今度は、非常に珍しい「サクラ」が見つかったというようなことで、またまたご縁があるわけです。その地主さんでございますが、これまでのお話しをお聞きになっての感想とかお感じになられたことと合わせてですね、この「サクラ」の名前の命名について何かいいお考えをお出しいただければと思いますけれども、よろしくお願いします。

中村  え〜皆さん。この地で非常に珍しい「サクラ」が見つかったと、それを大事にしていきたいという気持ちは皆さんと同じでございます。そして、これがずっと続くように願っておられるのもまた同じではなかろうかと思います。私ども国有林もその観点では出来るかぎりの協力をして参りたいと言うふうに考えております。
 そこで、この国有林がどういうふうにこれから自然を扱っていくのかと言うことを若干説明させていただきたいと思います。これまで、国有林というのは、木を切るとことばかりという風に思われておりましたけれど、これからは木材生産ということよりは公益的機能重視、そういうのを経営の方針に大きく展開しております。公益的機能と申しますと、国土の保全だとか、自然の維持だとか、あるいは、いろんな森林レクレーションの場の提供、そういったものを重点的にやっていこうというふうに致しております。
 それと共に、もう一つは国民の皆さんに開かれた国有林にしていこうというふうにしております。とにかく、国民の皆さんの声を聞いたり、あるいは国民の皆さんの参加を頂いてやっていこうということです。まあ、声を聞くからといって、今日言って明日すぐできるというわけにはいきませんけれども、例えば国有林の5ヵ年計画では、5年毎にこの山をどうやって取り扱っていこうかという計画を作っております。その計画を作る時には、いろんなところに、こういう「五ヵ年の計画を作りますよ、ご意見のある方はどうぞ出して下さい。」という方法もとっております。
 そういった五ヵ年の計画を建てまして、例えば「高千穂事務所では五ヵ年間でこういう計画で森林を取り扱っていきます」と。これはいろんな人の意見を聞いて作った計画でございます。この計画も公益的機能重視をまず大きな目標としてやっていこうということが書かれている訳でございます。さらに、その計画に基づいて二点ございます。一つはその自然の維持というのもただ、黙って放って置くのではなくて、貴重な野性生物は積極的に維持培養していこうということもしております。
 例えば、矢部に「ゴイシシツバメシジミ」という貴重なレッドデータブックに登録されているチョウがございます。これは、エサは「シュシンラン」の花しか食べません。「シュシンラン」の花が咲く時しか活動しません。ですから、一年間のうち一ヵ月活動して、まあ十一ヵ月は冬眠状態でございます。その、チョウの為には「シュシンラン」という花が咲かないといけない。ということで、花をいかに作っていこうかと維持培養していこうというのも国有林自らやっております。更に、屋久島とか、種子島にあります「ヤクタレボヨウ」の維持培養をしようとか、あるいは、そういう木が育つ環境をどう作ったらいいかとか、その森林生態系にはどういう環境がいいだろうかということも研究として取り組んでいる訳でございます。
 これは、国有林が自ら取り組んでいきますけれど更に国民の皆さんが色々協力して皆んなでやろうということにも取り組んでいます。国有林の中には大きな、いわゆる巨樹、巨木というのがございます。この巨樹、巨木を地域の皆さんと一緒に守っていこうではないかということで、先般、国有林内にあります100の巨樹、巨木を選びました。どこにどれだけの巨樹、巨木があるということについては、今日パネリストとしておいでになっています平岡先生にも非常にご尽力いただいたところでございます。
 九州では大口市にありますエドヒガンなど、あるいは屋久杉とかいろんな木が約20本選ばれております。こういったものをいろんな人のご寄付をいただいて、その寄付を募っていろんな遊歩道だとか、デッキだとか、あるいは樹勢の回復措置だとか、そういったものを国民の皆さんと一緒に取り組んでいこうと言うふうにしております。そういうことで、いろんな貴重な野生生物を皆さんの声を聞いて皆さんと一緒に守っていこうというのが私どもの基本的なスタンスでございます。
今度の「サクラ」についてちょっと私一つ気掛かりな事がございます。というのは、私はかつて高知営林局の計画課長をしていた事がございます。高知には、今日お出でになっている先生方はよくご存知かと思いますけれど、剣山のすぐ近くに「にしくま」と言うところがございまして、そこの「にしくま」地区は、かつて、・・・あえてかつてといいますが、ヤマザクラの自生地として非常に有名な所でございました。
 私も計画を作る担当でございましたので、ヤマザクラは陽樹でございますから、陽が沢山当たらないとなかなか育たないのではないかと考えました。いろんな他の落葉広葉樹、陰樹、日陰にも強い木がだんだんだんだん生えてきますと、このまま放っておきますとその陰樹に圧倒されてヤマザクラがなくなるんじゃないかと考えまして、ヤマザクラをずっとこのまま残す為には、切り透かしをした方がよろしいんじゃないですか、ということで、地元の方、地元の自然保護団体の方にも申し上げましたけれど「いや、ここは手をつけない方がいいんだ」とおっしゃるんで、まあそれは、地元の意見ですので手をつけないままにしておきました。
 私もこのシンポジウムに来ます時、地元のかつての営林署長、今は森林管理署長ですけれど、彼に「にしくまのヤマザクラはどうなってる?」と聞きましたら「いやいや、他の木に圧倒されて全部枯れちゃったよ」というふうに言われました。せっかくのこういう貴重なオオヤマザクラが見つかった訳ですし、これがまた将来ともずっと生き延びるためには、そういったことも、まあこれはちょっと私も専門的にわかりませんし、今日いろんな専門の先生も見えていますんで、そういったこともひとつ意見を聞きながら守って行く手だても必要ではないかなと言うふうに思っております。

秋本  どうもありがとうございました。守っていく手だてをどうしたらいいんだろうというようなお話しの部分もございました。今後このサクラに手を入れて増やしていくことがいいのか、悪いのか、例えばその苗を育てて数を増やしていくことがいいのかどうか、あるいは今のままを守るだけの方がいいのか、そして、その守るとするとどういうふうに、どういう方法があるのか、佐野先生その点はどのようにお考えでしょうか。

佐野  今、私も中村さんのお話を聞いて喜んだのは、国有林関係の方がああいう発言をされるという事は今までなかったんです。というのは、ヤマザクラ自体のその陰樹との関係、そこまで考えてやっていただけてるということは、あんまり考えつかずに営林署というのはホントにものを分かってやってんのかいなというような感覚で捉えていましたけど、ありがとうございました。
 私らも、いつも「サクラ」を扱う場合には、陰樹との関係、特に下の方ですとモミジとの関係をしょっちゅう考えていくんですが、やはり、負けるものは負けるんです。その負け方にも問題がありまして、やはり、どんなものでも寿命がありますのでね。で、これをまた大場先生にちょっとまたお伺いしたいんですけれども、我々が見ているひとつの大雑把な考え方なんですがヒガンザクラにオオシマサクラは千年。普通のヤマザクラは大体まあ四百年という寿命をひとつ考えながら、手をつけているんですが、それを考えますと、今、オオヤマザクラらしきもの、どっちかいうとやや負けかけてきたかなあというような樹勢じゃないかと思うんです。で、一番手前の道下の若木を一本見せてもらったんですが、あのう、この辺の笹は何笹ちゅうんです?。スズタケちゅうんですか。あれにやや負けかけておるんですが、これも現場で秋本さんと話しておったんですが、今の状態では、種が落ちてもあの笹の中では生えそうにないんです。
 あそこで、サクラの若木が一本だけ生えたという時には、笹はなかったと思うんです。その笹がなかった時、あの若木はまだ三〜四十年、もうちょっと経ってるかなと思うんですが、その時の山の状態はどうやったんですかというてお聞きしてたんです。ちょっとやっぱり分かりにくい・・・・・。と言いますのは、何べんも言いますが、やはり最低百五十年くらい前から今日までの山の変化、これを確実に捉えていきませんと、成長過程もちょっと分かりにくいと思いますし、ひょっとしてあのう、裾側も全部上がってますので、これ以上伸びることはないかも知れない。平岡先生は、全国の巨木を全部ご覧になったと思うので、ちょっとお聞きしたいんですが、だいたいあのサクラはあとどの位伸びると予想つきますか?。どうです?。ずうっと今までご覧になってて。

平岡  え〜、実はですね。サクラの大きな木は殆ど今まで山の中にございませんでね。まあ、あえて言えば、あのう「御蔵島」で七本ばかし、山の中で出てきたんですけどね。その辺とこの辺は樹層が全く違いまして、あの辺は照葉樹林帯なんですよね。そういうことで、ちょっとね、私もその辺のお答えはちょっと出来ないんですけど。

佐野  という事で、予測がつかないんです、お互いに。だから、もういっぺん出来たら、ちょっと無理かなあ、80才以上くらいの方で、山の詳しい方おられたらその辺の調査をしていただくともっと分かりやすいじゃないかと思うんです。だから結果は十年先じゃないと出ないという位に思っていただきませんとね。講演の時に言いましたようにスイッチ押したら結果が出る時代なんですが、自然界だけはそれはききませんので、やはりのんびり時間かけてやっていただきませんと、うかつに今ここで結論を出せと言われたら大場先生も大変責任が重すぎると思うんですわ。
 それとやはり、我々は別の仕事を持ちながらやってるので、先生方に毎度毎度来いちゅうのもこれも大変な事になりますので、その辺の協力態勢も整えていただいてもういっぺん1から掘り起こしていただきませんとね。あのう、根を見てますとね。非常に若い根が、随分出てることも出てるんです。ただし、今度、もし、岩山がくずれた場合どうするか、おされた場合どうするか。変に土留めすると今までの根が腐ってしまいます。また、どの程度周りの笹や木を切っていくか、徐々に切ってやれば大丈夫やと思うんですが、今周りを切ってしまいますと全部が変わってしまいますので、もう土も変わりますし、押されるし、周りをバラバラにすれば、雪がどの位降るのか知りませんが、うっかりすれば押される。で、周りを切って一本にしてしまうと、あらゆる障害を自分一人でポンと受けてしまいますので、その時によう持ちきらん。
 で、やるならやるで徐々に徐々に変えていかんと無理かと思います。その時に皆さん方のいろんなご協力をいただきませんとね。今日お出でになった方から、もし間があればちょっと人足に出て手伝おうか、とかいう、とにかく最後まで関わって欲しいちゅうのは、そこにあるんです。今日だけで、もう来年は絶対来んということは私、顔をきちっと覚えときますので(笑い)。そういうことで、できるだけ最後まで関わってやっていただきますと長生きします。そういう事でちょっともう全てが結論出ないと思います。だから10年間は、最低10年は付き合っていただきたいと思います。で、あとの学術的なことはもう大場先生に全て任せて我々は何とかあれをうまく育てるということしか今のところはお答え出来ないと思います。

秋本  はい、ありがとうございます。先程「スズタケ」の話があったのはですね、あの、ちょうど白岩山手前の道端にありましたでしょう。小さいサクラですね。幹周り20何センチかのやつのお話でした。このスズタケの密生地では、たとえ種が落ちても生える筈が無いとおっしゃるんですね。それで、このサクラが芽を出した時は、ここにスズタケがなかった筈だと。いつ頃からスズタケがここに生えたかといわれるけれども、それは昔からありますと言うことで詳しくはわからない。ただ、スズタケもですね、いわれてるのは60年に一回、花が咲いて実がなって枯れて、で、世代交代する。それで山には「ホ―バ」と呼ぶスズタケの無い部分があったりするのですが、そういうことで変わっていくのかな、というふうにも思うんですが、でも、それは定かではないんですね。まあ、どうやってその増やすかとか、その守るかっていうお話ですが、大場先生お願いします。

大場  あのう、守るかについてはちょっと私何とも言えないんですが、昨日あそこの場所を見た時の印象なんですけれども、あの場所ってのは、かなり前にこう崩れてですね、一度崩落した場所だと思うんですね。今もバラバラと崩れている斜面がある訳ですけれども、もう20年とか、30年とかさかのぼるとですね、もう少し顕著で、スズタケは今のようにあんなにあの場所には入り込んでいなかっただろうと思われます。それでだんだんその斜面のズリが落ちついてきて、そこに今「スズタケ」が侵入してきて、今「サクラ」の生えてる場所もこう一面覆うようになってきたんじゃないかと思うんですね。で、「サクラ」と一緒に生えている木の樹齢っていうのを見てみると、あんまり高くはないように思うんですね。だから、一度崩れてそこがある程度安定した時に木が生えだして、それが今に引き続いているような斜面なんじゃないかなという印象を持ったんですが、これは当たっているかどうかわかりません。けれど、そういうふうに何らかの崩れで裸地ができて、その機会に種が発芽して育ったものがあそこのあの辺り一帯の樹木なんじゃないかということを思いました。
 普通、あの高さでああいう斜面で、しかも雪があるということだと、その雪の重さで、発芽の時、木が幹のとこから曲げられて、こういう立ち方をすると思うんですね。で、あそこに生えてる木は、いづれもその根元が曲がってなくていきなりこう直立して生えてますので、そういう意味では何かこう異種の特殊地形なんじゃないかなということを思ったんです。あのような場所が他にもあるのかどうか、するとそういうところにもまた同じようなサクラが見つかる可能性があるんじゃないかと思いますし、それから、そういう場所の特性が分かってくると、個体の位置を考える上でも大変役に立つんではないかと思うんですね。
 あのサクラが樹勢が弱っているかどうか、佐野先生がもうちょっと衰えてきているとおっしゃるのは、たぶん正しいのかなと思うんですが、幸いなことにあの辺りが全部その落葉樹の森林なので、まあ当面はあのような状態で、あそこにあるサクラは維持できるんじゃないかと思うんです。けれども、やはり長い将来のことを考えた対策を今のうちやっぱり考えておくというのは、重要な事の様に思えます。

秋本  そうですね。そこで例えば種が落ちた場合には、鳥が食うかも知れないですが、実生で増やしてみることを考えた方がよろしいでしょうか?。ハイ、斉藤先生お願いします。

斉藤  あのう、私、今年の三月まで天然記念物の保護ということで、5年間関わってきました。その中で、各地に何々の自生地っていう所が結構あるんですね。で、今一番困ってるところが、霧島山のノカイドウの自生地なんです。昔の調査では五百本という記録があるんですけれど、本当はもっと細かい数字があるんですが、最近の調査では約三百本ということで、これは危ない。それで、去年私は1本1本の調査をやっていきました。すると、本当でしたら若い木の数が1才、2才、3才、4才、5才、100才とか、若い木が一番多くて徐々に数が減っていくのが普通の変化なんです。そういう曲線を描くのですね。ところが、今のノカイドウを見ますと、若いのがゼロなんです。いきなり20年、30年からポコッとでてきて、数が減ってる。若い木が無いんです。いわゆる後継、これからの後継樹がゼロなんです。で、どんどん年をとってるやつは、枯れていきますので、このまま放置しておくと、すべて途絶える。地球上で霧島山しかないものが消える。
 で、この今度のサクラも、どうも今まで知られてない、こちらで独自の進化をしたものであろうという事です。だから、これが、もし、無くなったら、地球上から消えるという事になります。で、ちょっとまた、ノカイドウに戻りますけども、今、その原因を探っています。で、その中の一つに、鹿の問題が分かりました。鹿が新芽を全部食うんです。で、じゃこれから、鹿の被害をどう守るかということがでてきました。まあ、その他にもいろいろ原因はあるんです。いわゆる、あそこは火山でできた所で、最初は植物が無くて明るいから、さっきからでている陽樹というのが勢力を増すんですね。そして、だんだん森林が発達していくと、暗くても育つのが入ってきます。そうすると、それが陽樹より大きくなってしまうと、上を覆ってしまって次第に、陽樹が衰退していく。もうまさにノカイドウが、今、そういう時にあります。で、今、そういう上から覆ってる木を、切ろうじゃないか、枝を落とそうじゃないか、あと鹿の対策とか進めてるところです。
 国、文化庁とも相談しながらやっているんですけども、「そこの価値は自生地なんだ、自生地ということに価値があるんだ」と。で、そこに苗を育てて植えようじゃないか、そしたらまた元に戻るじゃないかという話もあったんですけども「そこは自生地という事に価値があるんだ、だからそこに植えるな、とんでもない話だ」。「じゃあ無くなってもいいのか」ということになってしまいます。けれども、本当にいよいよ地球上から消えるということになったら次の新たな策を考えいといけないですけれども、まずは、そこの自生地というのが価値があるわけだから、その自生地のままで、その種がずっと存続できる環境つくりをしないといけないということで、今、ノカイドウもそれに向けて、いろいろ対策を練っているところです。
 だからまず、このサクラは、まあ、今後、調査しないといけないんですけれども、まず、今、何本あるのか、それぞれの、生育年齢はどの程度なのか、後継樹が育ってるのかどうか。もし無いとすれば、なぜ無いのか、どうすれば、後継樹を育てられるかという、とにかく今、あるところをどうやって守っていくか、環境をですね。そういうことをしなければならないと思います。まあ、幸い木ですので、それを掘って持っていく人はいないと思うんですけども、とにかく現状を調べて、じゃあ、どういう手だてが必要なのかということが、これから必要になってくるかと思います。
 そういう意味で、佐野先生も言われている様に、かなり長い時間をかけながらやっていかないと、結論はでないと思います。それと、大場先生も言われた様に、まだ今のところ早急に無くなるというか、悪い条件じゃないので、そういう間にいろいろ調べて、今後の策を練っていきたい。で、山も深いし、厳しいし、できるだけ多くの皆さん方、結構、山歩かれますので、今度から新たな目でサクラ探しをして頂きたい。私達も山に入って調べようと思っております。一つでも多くの木を見つけまして、1個1個のカルテを作ろうと思います。今どういう状況にあるのか、それと結構、白岩山の岩峰から下を見下ろすと鹿がウロウロしてるんですね。だから鹿の被害は無いのかという事も非常に心配になってきます。そういう意味で今後、今の現状をまず把握するという事が、先ずは早急な私達の取り組みなのかなあと思っております。
 それと、今日はサクラの根元まで行って頂いたんですけれども、あまり無闇にたくさんの人が入り込むと、周りの環境や土の環境、根の環境を変えてしまいますので、それも、あんまり良くないんじゃなかろうかということで、そのへんの配慮もお願いしたいと考えております。できたら、もう岩峰から眺めてもらうことにして、あまり近づかない。それと、いわゆる遺伝子資源の問題なんですけれども、現在、林野庁の方で、茨城かどこかですかね。試験場持ってます。林野庁の試験場があります。林業試験場がありますね。筑波ですかね。あそこで、全国の特定の樹木の遺伝子資源保護ということで、挿し木、挿し穂を取って、ずっと遺伝子資源を護っています。是非まあ、そういう遺伝子の保護という意味で、何か取り組みをして頂いて、とにかく、そちらでも一応、万が一を考えて保存をして頂く。そういうふうに取り組んでもらうといいのかなあという気もしております。
 で、運良く私達もここでお話しできるのですけれど、こちらで育てて、山に戻すというのは非常に危険なんですね。もし、万が一、病気を持ち込んだら、害虫を持ち込んだらどうするか。全滅します。非常に怖いことです。だから、先ずは自生地を守る。自生地の環境を守ってやるという事が第一かなあと考えてます。

秋本  天然記念物として指定するのはどうでしょうか。例えば、天然記念物的な価値があるとしたら。それとも、やっぱりもう少し研究が進んでからでなければ出来ないということになりますでしょうか。それとも、早くそういうことも指定した方がいいということになりますでしょうか。

斉藤  あの、天然記念物の価値というのが難しいんですけれども。文化財保護法でいう天然記念物というのは、保護と活用というのがありまして、保護だけじゃ駄目なんで、皆でそれを国民の文化の向上に資するということがあるんです。皆で眺めようじゃないか、眺めるとなると、勢い皆がそこに行ってしまうということになります。最初いいましたけれども、あそこは、林野庁で最も厳しい制限のある生物遺伝子保存林になっているということと、国定公園の特別保護区になってるということ、それと岩峰の方は県の天然記念物に指定されているということで、いわゆる法律的には、もう十分な保護を受けてると思います。だから、あとは実際的な、生育環境をどう守るかということの方が大事だと思います。

秋本  はい、ありがとうございました。今いろんな難しいお話しもでてまいりました。会場の皆さん、何かご意見がありましたら、出して頂きたいと思うんですが、ございませんでしょうか。

会場  この会場にあるサクラの花は人工的に咲かせた花ということですが、その花を見て判断された場合、実際の花は違うということにはならないでしょうか。

大場  はい。人工的なことをやるとですね。そういうところに変化が現れることってのは、ままある事なんですけど、先ほど私が特徴にあげたことは、この花だけではなくて、すでに、実際の自生地に生えてるものから作られた昨年の標本で、確認しても、雌しべが長いとかその他の特徴を持ってますので間違いありません。ただ、ここの、桜全体がそうかどうか分からないけれど、少なくとも1個体には、そういう特徴があるっていうのは確かですね。

秋本  はい。あのですね、大場先生の先程のお話しで花柄が4センチとおっしゃいました。ここに咲いている花は1センチ足らずですよ。葉っぱ緑です。実際は赤いんだけど、これはグリーンなんです。ストーブで暖めて日が当たらないところで咲いたからではないかと思います。で、そんなところを全部ご承知の上で、ここのところはモヤシみたいに育った部分だからこうなんだとか、今までの標本と比較されたりして、いろんなことで判断されてのお話なんですね。
 えーと、それではですね。サクラの名前のこともありますがその前に、ここらでちょっと趣を変えまして、切り口を変えたところのお話も頂きたいと思います。このような豊かな自然の中で巨樹や巨木も生き残っているわけですが、それはどういう環境で、そして人との関わりがどうあって、森の暮らしがどうなってきてということを考えたいと思います。そこで、全国の巨樹を調査されて、なおかつその絵をお書きになっていらっしゃる平岡先生、その奥にあるものや、お考えなど貴重なお話しが頂けると思うんですが、お願いしたいと思います。

平岡 私は、巨樹の絵を書いますが、当初は里の巨樹を追っていたんです。ある時、山の中に巨樹があるというような情報が入りまして、山の中の巨樹を追うようになりました。今は重点的に御蔵島でやっています。御蔵島を10年追っかけまして、その間、秋田県和賀山塊、山形県朝日連峰、青森県側白神山地、あるいは、京都の丹後山地等いろんな所へ入ってやっています。
 皆さんに是非知って頂きたいのはですね。そういう所で巨樹が群生しているということなんですね。今、ここへ1つの報告書を持って参りました。これは、秋田の角館営林署管内の山に入った時のものですね。ここにいらっしゃる宮崎県の課長をなさってる池田さんもメンバーでした。あるいは、農林水産省の研究所におられた樹木医さんやってた方とか、いろんな方がこのメンバーに入って頂いて調査に入ったんです。
 (地図を指しながら)例えば日本一のブナですね。これも最初の年に一つ、「小影山」で見つけたら、また翌年「白岩岳」でそれを上回る日本一のブナが出てきたり、あるいは、「白岩岳」の日本一の栗、これもまた数年経って今度は朝日連峰でそれを上回る日本一の栗が出てきたんです。それらを新聞では日本一としてしか書いて頂けないんだけど、実は巨木は群生してるんですね。そして、私達がびっくりしたのはカツラの木です。カツラはどの本を読んでも渓畔の木と書かれているんですね。渓流にある木。そういうものが山の頂上台地に出てきたんですね。このようにいろんなことが分かってきました。ご覧になりたい方はここにございますので後ほど見てください。
 私の見倣す巨樹は幹周り5メートル以上なんですが、これらの調査で日本の巨樹ベストテンに相当するものが次々と出てきたんです。一昨年、秋田県の白神山地で巨木フォーラムがありまして、その時ブナを一本見ましたが、5メートル以下だったんですね。私は口走ったんです「白神には大きな樹はないんですね」と。それを弘前大学の先生が聞いて昨年、学術調査で青森側白神山地コアの部分に帯同してくださった。10時間ぐらい歩いた所で、カツラとケヤキの巨樹の群生に出会いました。その途中でもカツラやブナの群生を見ました。
 このように、巨樹の群生地が各地に残ったことについて私は、人との関わりが大きな要因であったと気づきました。今、私が住んでいるのは奥多摩の日原山地ですが、ここが修験の地だったんですね。いろいろと歴史を調べていくと、日原山には高札場があってその掟で不伐の森だったということが分かってきたんです。その由来は修験なんですね。修験というのは、そもそも巨樹信仰というのが原点にあって、それに中国から入ってきた仏教や道教に由来する森林崇拝の風習がプラスされたものですね。ですから自然を非常に大切にするわけです。
 修験道は、明治に入り政治的に世から抹殺されましたが、その痕跡は今でも地名として各地に残っています。
 天目山が仏教と道教の本拠地なんですが、そこには天目山が二つあるんですね、西天目、東天目と。私が住んでいる奥多摩の日原山地にも西天目山と東天目山の二つがあり、そのほか山伏沢とかいろいろあるんです。この中に白神山地と共通の地名が出てきたんですね。
 それからもう一つ、この地図にある日本一のブナが出てきた秋田県和賀山塊にも共通の地名が出てきたんですね。「ウトウ」です。「善知鳥」と書くんですね。これは、実は能楽4番の殺生戒めの曲なんです。で、「善知鳥神社」というのもあるんです。まあ、それだけではご当地とは結ばれてこないんですが、私どもの奥多摩日原山地に白岩山や白石山という地名があります。この地名でご当地と繋がってきたんです。私たちが確認した日本一のブナが出た所も白岩岳なんです。その白岩岳には「錫杖が森」とかですね、修験を思わせるところがある。
 ある時、私が町へ買い物に出たら、その地方を支配していた修験の頭領の家が観光で開放されていたんですね。そこには修験者が、その頭領の配下に800人いたという資料があったんです。それ程に修験道が、日本の山野の中で大勢力だったというのが分かったんです。佐竹藩が茨城から秋田へ移封される時に、そういう人達を引連れて来たといいます。そのような修験道が根源にあって森が守られてきたことが判ってきたのです。
 そこで、ひるがえって地図でご当地を見ますと数々の山の名から修験の気配がプンプンするんです。白岩山がここにあるんです。ここ一帯がですね。そこで昨日、県から資料を頂いて、調べたのですが市房山系の非常に盛んな修験の地の北限がこの白岩山であったということです。
 かつて私は白岩のこっち側に大変大きな巨樹・巨木林があったよということを、ある方から伺った事があるんです。皆さんの行かれた白岩山の西側ですね。で、ここに実は修験の場があった「阿弥陀が岩屋」とか「ガゴが岩屋」というのがあったということを秋本さんに昨日教えて頂いたんです。自然信仰、巨樹信仰プラス中国の思想の修験道がどうも、ここの山地に関しても大きく作用して大きな木がいっぱい残ったんだろうと思うんですけどね。
 以前に黒木さんという方がおられて、西都市の「有楽椿」を世に紹介されたんですよね。昔、京都で創られた椿です。私は、それを見に行ったんですが、京都の椿がなんでここに来て、こんなに立派な花を咲かせたのか不思議でしょうがなかったんです。今日、県の資料を読んでて判ったんですが、実は修験者が京都と繋がってたんですね。ああそうか、と。それからこの山間地がどうして豊だったのかって事も分かったんです。こういう信仰の道を通ってですね、成人になった証に皆さんがこの地にお参りに来ているんですね。信仰の道をずーっと辿っていくと宮崎の先の日南市までが勢力範囲で、広い地域の多くの方達がここへ来てこの地は大いに賑わったようです。
 話を戻します。私が今住んでいる奥多摩・日原山地も徳川幕府直轄の寛永寺の、また直轄の修験地だったんですね。で、修験道は明治維新になった時に消されているんです。歴史上からですね。それは、なぜかっていうと、新しい明治政府が一番恐れたのが、修験道だったんですね。消されて今残ってるのは名前だけなんですよ、土地の。そういうこともあり、この千年期に日本の山地にどういうことが起きたかということ、どのようにして森が守られてきたかということを次の千年期に向けて残すのは大事なことだと思うんですけどね。
 私はここの地域も、先人達の自然信仰により、ガッチリと守られてきたんだろうと思っています。そういう様なことをもう一度掘り起こして頂いて、これからどうするかお考え頂ければ結構なことと存じます。桜を含めましてね。
 私は、あさって「ぼんさん峠」という、宮崎県と熊本県の境の山へ入ってブナを描こう思っています。数年前に私はこの山へ入って遭難しかかった事があるんですが偶然その際に見たブナの巨木です。このような隠れた巨樹は、まだまだこの地域にあるんだろうと思っています。あの桜だけでなくてですね。そういう素晴らしい先人が残したものが、あるいは「有楽椿」の様に、この地が栄えた時代の文化の産物が、この山地にはまだまだ潜在していると思えてなりません。
 それから、先程から話にでている石鎚山のオオヤマザクラが植生上こちらと繋がっているかどうかということですが、人が繋がっている話もあるんですね。烏帽子岳にある蔵王権現を彫った修験者は、いろいろ交流があって石鎚山からこちらへ勧請したと県史に書いてありましたけどね。自然自然と言いますけど、それを残した根底には、やはり人々の営みがあったんじゃないかと考えてるんですね。そういうことで私が各地を歩いて、見たこと、聞いたこと、調べたことを別に学問というわけじゃないんですけれど、ご紹介したいと思いお話しさせて頂きました。

秋本 はい、どうもありがとうございました。明治時代に抹殺された歴史の部分があるということで、日本の山野に一大勢力があった修験者のお話しがございました。修験者といえば、私どもの村に「タイシャ流」という古武術の型がございまして「白刃」と称して真剣の刀と棒との切り合い打ち合いの演武が祇園神社の夏祭りに行なわれるのです。
 これは、その巻物の古文書があるんですが、その巻末の伝尾判によると、一能院友定という人が、これは歴史上まだ出てこないんですが、一能院友定という人が柏村十助殿としたところから始まって、正保2年に鞍岡の山村四兵衛が伝授して、それから椎葉の尾前岡右衛門とか鞍岡の渡辺源次郎とか年号と伝授者の名前が記されており椎葉と鞍岡を行ったり来たり行ったり来たりしていることがわかるんです。最後は巻物によって違うのですが、嘉永とか安政で終わっている。一番遅くまで書いてあるのが、椎葉の巻物で明治まで書いてあるんですね。
 で、これはおそらく山伏だろうと考えるわけです。丸目蔵人のタイシャ流を基にして山伏がそういう武術を伝えてきておると思うんです。ですからそういう山伏系統の修験者の大勢力があったというお話はうなづけるんですね。で、そういうのが確かに今、ほとんど歴史から消え去っている。先程、平岡先生がお話しされたような、白岩山の下に「ガゴが岩屋」とか「阿弥陀が岩屋」というところがございます。そこには6畳ぐらいの立派な岩屋があって人が暮らしていただろうなという所があるんです。
 子供の頃、悪さをしていると「ガゴ」が来るぞとよく脅されたものです。「ガゴ」がどういうものか全くわからなかったのですが、何となく弁慶のような怖い姿を想像して恐ろしがっていました。そういったところが全く今は伝わっていない。消された部分というのがあるかも知れないなという様な気が致します。まあ、いろんな面白い問題が次々と出てくる様でございますが、この話題も奥が深いと思いますのでまた改めて折を見て深めたいと思います。
 さて、肝心のオオヤマザクラらしいサクラにちゃんとした名前を付けようということでございます。皆さん方、今までの時間に何かネーミングを温められた、思いつかれたことと思います。そのアイディア、ひらめいたものがありますと、出していただきたいと思いますが。どなたでも結構です。はい、どうぞ。

会場  やはり、白岩山で見つかったわけですから「白岩山桜」がよいと思います。または、先ほど佐野先生のおっしゃった「霧立山桜」ですね。

秋本  はい。「シライワヤマザクラ」と「キリタチヤマザクラ」ですね。他にございますか。はい、どうぞ。

会場  この会は「霧立越の歴史と自然を考える会」ですので、どちらかというと「白岩山桜」より「霧立山桜」のほうがよいのではないかと思います。それもたんなる山桜ではなくて「大山桜」と「オオ」を入れた方がよいのではないかと思いました。さきほど、大場先生のお話で白岩山で発見されて「白岩」が出なかったのですが。どうしてでしょうか。

大場  あのー、あえて「白岩」というのを採らなかったのはですね。白岩って全国にいっぱいあるんですね。だから、どこの白岩か分からないという欠点があると思うんです。それで、あまり他に例がない霧立の方が私は、ここを表しているっていう感じがしまして、よろしいのかな、っていう気がしたんです。だから、あえて白岩というのを採とらなかったんですけれど・・・。

秋本  あ、なるほどですね。「白岩」は、東北の方とかあちこちにいろいろございますですよね。で、「キリタチヤマザクラ」にオオを入れて「キリタチオオヤマザクラ」とした方がいいんじゃないかという意見ですが、この点はどうでしょうか。はい。どうぞ

会場  オオヤマザクラの「オオ」とは、どういう意味をもつのでしょうか。大きいという意味を指すものでしょうか。

大場  オオヤマザクラには、だいたい三つの呼び方があります。まあ、一般的にはオオヤマザクラという名前を使うんですけれどもオオヤマザクラのオオってのは花が大きいという意味でオオヤマザクラです。ヤマザクラに比べて大きい。その外に花の色が濃い紅色なんでベニヤマザクラという名前も有ります。それから、北海道に多いのでエゾヤマザクラという言い方もあるんです。そういうことで、オオヤマザクラのオオは花が大きいという意味ですね。

秋本  そうしますと、オオヤマザクラは花の大きさが3センチ〜4センチ、ここのサクラは2センチちょっと。普通のヤマザクラと同じくらいの大きさのようなんですが、それはどうなりますでしょうか。

大場  あの、種がオオヤマザクラに入るものですから、まあ、なんとかオオヤマザクラでも、もちろんいいんじゃないかと思います。

秋本  それでは、まあ、「キリタチオオヤマザクラ」としてオオも使えるという事でしょうか。ほかに、皆さん何かございますか。会場からもっとございませんか。歴史的な記念すべきことになると思いますので、おおいに参加して頂きたいと思います。パネリストの先生方、何かありましたらお願いします。あの、桜の名前についてのアドバイスがー。

中村  「キリタチオオヤマザクラ」ということで、話が進んでるんですけど、例えば探してみれば「祖母」、「傾」にもありましたとか、あるいは、国見岳にもありましたという事だって出てくるわけですよね。そうした場合も、それはどこに出てきてもキリタチオオヤマザクラで通すことになるんですよね。それは、まあ、植物の世界ではごくありうる事なんでしょうか。
 あのう、役人の世界で変な話をしますと、地域を限定されると困るというのが役人の世界です。奥尻島で地震が有りましたですね。その時、役人の世界は奥尻島だけだとみんなが奥尻島だけと思うから「奥尻島地震」と名前を付けられないといって騒いだことがあるんですよね。これは地震の話で植物とは全く関係ありませんけれど。植物の世界では、例えばミヤマとかキリシマと付いてても、どこに出てきても不自然じゃないからその辺はいいのかなとも思いますけど。どうなんでしようか。

秋本  そうですね。例えば、ここの白岩山にシコクシモツケがあります。何で四国なのかとかですね。ツクシシャクナゲ、これは筑紫つまり福岡よりもこちらの方が多いのに何でツクシシャクナゲなんだろうとか思う事があるんですが、そういう点は大場先生どうでしょうか。

大場  ええ、そういうのは「最初に発見された場所」ということで付けられた名前が多いのでそうなっています。名前は一度付けられたら変えない。それでなければ名前を付ける意味がないので、ずーっとその名前を踏襲していくっていうのが植物学的な名前だと思うんですね。
 だから、例えばハコネシダっていうような植物があるんですけど、箱根にはほとんど無いんですね、今や。だけど、それだから名前を変えようなんてことはしなくて、その名前を我々は継承して使ってます。例えば霧立山桜が他の所で見つかってもそれは一向構わなくて、最初ここで見つかったんだということをその名前を使われることによってですね、常にここに帰って来るということになるわけですから大変結構なことになるんじゃないかなと私は思います。

秋本  はい、ありがとうございます。よろしゅうございますか?。やっぱり、最初に名前付けたものが勝ちなんですね(笑い)。斉藤先生どうでしょうか。名前について。

斉藤  はい、さっきシコクシモツケがでましたけど、そのシコクシモツケのすぐ1m脇には、ヤクシマホツツジがあるんですね。(笑い)。あそこにカラマツソウというのがあるんですけど、どうもあれもイシヅチカラマツじゃないかと今、噂されてます。それと、キリシマミズキというのが霧島山にあるんです。それは霧島にしか無いってまで今までいわれていたんですね。それが最近、四国で見つかりました。そういうことで、それをいい出すときりがないんですね。で、今日のサクラも四国にあるものと、ひょっとすると同じかも知れない。すると四国の方が先に気が付いて、向こうが先に名前を付けるとこちらは負けてしまいます。早いほうが勝ちということのようです。
 霧立って非常に響きがいいですよね。あの、和歌にも「霧立のぼる」という「秋の夕暮れ」というのがありますけど、非常に響きもよくてよろしいんではないでしょうか。普通はですね、例えば宮崎県で見つかった場合は日向なんとかなんとかですね。九州で見つかったとすると筑紫なんとか。筑紫っていうのは九州全域を指しますので筑紫なんとか。筑紫大山桜、日向大山桜、なんかは通り一遍等で可愛くない面白くないですね。

平岡  私達は巨樹を探してるんですがね。今回みたいな学術的なことじゃないんですが、例えば日本一のブナを見つけたり、日本一のクロベ見つけたり、まあ、早いもん勝ちだよってことで、どんどん名前付けちゃうんですよね。それがまあ、なんとなく定着して、さっき中村部長さんお話しの様に今回、林野庁で100本選んだんですけど、その中に実は、ここだけで密かにいわせていただくと、私がネーミングしたのが何本か入ってて、まあ、腹の中でニヤニヤしてるんです。(笑い)
 まあ、そういうことでともかく早いもの勝ちなんでしょうね。いろんな所に行くと、そういうお話しを随分聞くんですね。例えば「大島桜」は面白くないっていうことを御蔵島に行くといわれるんですけどね。まあそれは、しかし、しょうがないだろうということになって、その後、早いもの勝ちで一時も早く決めちゃってパツと付ける。そういうことが決断だろうと思うんですね。

秋本  はい、だいたいいい話ができたようでございます。それでは今日、只今から、霧立大山桜と呼ぶようにしようということですが、よろしゅうございますか。(大拍手)。はい、どうもありがとうございました。

佐野  あのね、それもよいですが、先程、斉藤先生の話の中で、今日、皆さん方に参画して頂いたことはものすごく意義のあることなんです。というのは、もし、あの桜が無くなった場合―どんな変動があるか分かりません。その時、語り伝えられるのは、今日、参画された方だけなんですよ。そこに大きな意義があるんです。また、残っても皆さん方が伝えていけるんです。だから、先程、言われたように、本当に今日は歴史的な一瞬なんで、もし今の名前を付けて頂けるなら、そこに紅を付けて頂けたらもう一つ迫力あるんじゃないかと思いますが、大場先生、どうです?。紅大山桜と、そうすると、その赤さから発見された意義もでてくると思うんですけど。あの、これは提案なんでよろしく。

秋本  佐野先生から霧立紅大山桜という風に紅つけたらというご提案でございます。いかがでしょうか。(拍手)
 はい、それでは、そういうことで霧立紅大山桜ということにして頂きます。ありがとうございました。(拍手)
 えー、大変歴史的な時間であったというふうに存じます。私ども「霧立越の歴史と自然を考える会」といたしましては、もう、天にも登る思いでございまして本当にありがとうございました。

秋本  えーと、せっかく日本の桜の大家の先生方においで頂いておりますので、お手元のコピーの大山桜についての記述のある最後の方なんですけれども、このところを少しお話いただこうと思います。実は私、韓国の方に知人がおりまして、このシンポジウムのお話しをしました。そしたら、この方がですね。「日本の桜は韓国から行った」と、「日本が持って行った」という様なお話しがございました。何年前かの朝鮮日報にそういう記事があったということをお話になり資料を送ってくださいました。
 次のページですけれども「山林庁」とあります。韓国では「山林庁」と呼ぶようですが、林業研究の欄の何ページかにこういうサクラがあるというふうに書かれております。ハングルの中にも漢字がかなり入っているので、多少は分かるんですけれども、次のページにですね、ハングルの部分を韓国の方が日本語に訳して入れ込んだのがこのページなんです。で、「済州島」。まあ、今の「チジュ島」ですが、これが日本のサクラの原産地で「オオノサクラ」、王さまのサクラと呼ぶというんですね。これは「ソメイヨシノ」のことらしいんですが、その「済州島」が原産でここから日本に持って行った。「今の日本のサクラは韓国のサクラだ」と、いうのが朝鮮日報に載っていたというんです。先程もお話の中で済州島のことがでましたが、「ソメイヨシノ」のハッキリ分からない部分もあるというような、お話しもあったんですが、こういう記録があるということでもう少し整理してみたいと思います。先生方いかがでしょうか。

大場  え〜とですね、「ソメイヨシノ」というサクラは、学術的には明治時代になってから初めて学名が付けられているんですが、その由来について、これまで幾つもの説が出されてきました。その一つが京都大学の教授「小泉げんいち先生」という方がですね、「済州島」にあるとされている、今はこれを「タンナザクラ」または「サイシュウザクラ」と呼ぶんですけれども、その標本を入手した。またその「済州島」から船で当時大阪に入られる定期船があったんですが、その船の方が「済州島」から持って来たというサクラを見られて、それが「ソメイヨシノ」に似ているので、「ソメイヨシノ」の原種は「済州島」にあるという事を書かれたものがあります。
 しかし、今日ではより詳しい研究が行われていて「ソメイヨシノ」と、この「済州島」にあるサクラは、似ていても異なるものだということが明らかになっています。「ソメイヨシノ」は、いろいろな分析を通して雑種に由来するサクラであるということがハッキリしていて、その親になるサクラは、「エドヒガン」と「オオシマザクラ」であるということも明らかなんですが、だからといって「オオシマザクラ」と「エドヒガン」を掛け合わせれば、すぐ「ソメイヨシノ」が出て来るかっていうと、それも似たものはできるんですけれども「ソメイヨシノ」そのものにはならない。
 「エドヒガン」と「オオシマザクラ」を掛け合わせて作ったサクラは、もう今から三十年位前になりますけれど、静岡県三島にある国立遺伝学研究所で「竹中先生」という方が、熱心に研究されていろいろ雑種を造って「ミシマザクラ」という名前を与えられました。それは、「エドヒガン」と「オオシマザクラ」を掛け合わせて作った物ですが、今、全国で植えられている「ソメイヨシノ」と完全には一致しないんですね。だから、「エドヒガン」と「オオシマザクラ」が掛け合わされたものが、更に、また何かの雑種を作るというような、かなり複雑な過程を経て由来したサクラだというふうに今では考えられています。
 ですから、明確な答えは無い。但し、「済州島」のサクラが「ソメイヨシノ」の元だということは否定されています。それから、佐野さんも言われたことですけれども、今、全国に植えられている「ソメイヨシノ」ってのは、挿し木で増やしていますから、今、ヒツジとかウシで有名なクローンですね。株は違っても、ひとつひとつの木の持っている遺伝的な性質は、ほとんど異ならない。そういうことです。

秋本  そうですか。どうもありがとうございました。まあ、韓国では日本が持って行って自慢しているというようなお話しを聞いたので、ちょっとギクッとしたんですけどね。それでは、もうそろそろ時間も近づいて来たんですが、一言ずつ何かいい残しといいいますか、これはいっておくべきことだったとかですね、そういうことがございましたら頂戴したいと思います。

中村  先程、この貴重なサクラを遺伝子資源として保存して欲しいというお話が、斉藤先生からございましたけれど、そういう趣旨でお手元に国有林で作りました九州中央山地の森林生物遺伝子資源保存林という資料をお配りしております。九州中央山地で約六千ヘクタールを将来に向けて遺伝子資源として保存しようと考えているところでございます。これは、そこにいろんな木があるけれど、それを全部保存しようという趣旨です。今回出てきたこのサクラは、この保存しようとしている中にスーパースターが現われたということで、このスーパースターも何とかしてくれという話になります。
 まあ、このスーパースターをどうするかということに付きましては、林野庁では全国にいろんなサクラがございまして、そういうのをまとめて研究しているところがございます。先程斉藤先生もおっしゃいましたけど筑波にもあります。森林総合研究所となっています。では、実際にどんな木でどんな花が咲くということに付きましてはですね、見本林を作っております。東京の高尾山という山をご存じだと思いますけれど、高尾山に「多摩樹木園」といいましたかね、植物園といいましたか、そこに全国のサクラを全部植えまして、そこへ行けばすべてのサクラが咲いている。いろんな全国のサクラが咲いています。
 その中にまあ「キリタチベニオオヤマザクラ」は、ちゃんとこういう木が生えてますよということも考えられます。で、写真もデータもありますけれど、これが、変種、あるいは亜種として登録されるかどうかというのは、今後の取り組みだと思いますんで、これはもう私ども九州森林管理局あるいは森林管理所とも相談しながらやっていきたいと思っております。全国のサクラの種についてはそういうことで高尾山に全部植えられているという状況でございます。これはご披露申し上げておきたいと思います。

秋本  はい、どうもありがとうございました。こちらの「キリタチベニオオヤマザクラ」も登録されて、そちらの方でも花を咲かせることができればありがたいと思います。他に先生方ございませんでしょうか。え〜と、会場から何かございませんか?。ハイ、じゃあ、お願いします。

会場  あのう、ここには「スズタケ」がたくさん生えてますね。サクラのある付近も大きな木が倒れていますが、あんなのは、大きな木の根を竹の根が張って樹勢を弱くするからあんなに枯れるんでしょうか?。たくさんのブナが枯れています。「スズタケ」の中にサクラの小さいのが一本ありましたけれど、あれも、いつか竹の為に枯れるんじゃないかなと思うんですがどうでしょうか。というのも、今、日本の里山が殆どもう竹林に変わりつつありますんですね。それで、もう竹が根を張って、その為に日本の森林がどんどん減っていきよるのではないかという気もするんですね。竹林が今増えてるんですよ。そのために折角のサクラが枯れるんじゃないかなと。そうするとあのへんの「スズタケ」も刈り取ってもらうとかする方法はないかなという気がするんですけれど。中村先生どうでしょうか。その竹と木の問題とかをちょっとお聞きしたいんですが。

中村  「スズタケ」が生えて大きな大木が倒れる因果関係というのは、私は詳細には承知しておりません。ただ、いろんな理由は考えられるんだと思います。竹が枯れる時に花が咲くと言われますよね。で、何で花が咲くかといいますと、竹は基本的には竹の子で自分の体を増やしていく訳ですね。まあいわゆる楽をして自分の個体を増やしているんです、理屈言いますと。そういうことで、竹がだんだん増えていきますと、土壌中の養分をどんどん吸い上げていきます。土壌中の養分はごく微量になりまして、なかにはゼロになるのがあるんですね。
 その養分となる物質がゼロになったら竹にしても「スズタケ」にしても、ここではオレは生きられないなということになる。じゃあ、この場で生きられないからということで、花を咲かせてその種子をどこか遠くに飛ばそうという活動に出る。それで死ぬ時しか花が咲かない、これはもうオレは生きられないという時に。それは何故かというと、土壌中に必要な養分がゼロになったという時です。
 例えば「スズタケ」がいっぱい生えて土壌中の養分をどんどん吸ってしまえば、木に回らないということも考えられないことはありませんけれど、私はそれは確証は持っていません。それと、もうひとつは、木が大きくなると自分の老化現象とともに自分を支えられなくなる。しかも養分が少なくなると根も十分張れない、そういうのがいろいろと重なってそうなるんではないかなと思います。まあ学術的には私申し上げられませんので。

会場  大場先生、あのう、小さい問題なんですけれども、先程サクラの種には10種あるというお話しがございました。そして黒板に書いていただいたのですが、あれは10じゃなくて9つしか書いてもらわなかったんですね。何か、もうひとつ書き落としがあれば、教えていただきたい。いいでしょうか、読まなくて。(笑い)

大場  いやいや、分かっています。意識的に落としましたんで分かってます。あえて書かなかったのは「イシヅチザクラ」ってのがあるんですけれど、これはもう今、問題にしてる「オオヤマザクラ」とはちょっと違うものなんです。けれども、これは非常に変わったサクラであることは分かってるんですが、まだ正体がよく分からない。そういうものがあります。それでまあ10になりますですね。まあ、それはサクラの仲間です。それで、日本には野生のサクラの仲間としては10種と言っていいかと思います。(チシマザクラ、タカネザクラ、マメザクラ、チョウジザクラ、エドヒガン、ヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、オオヤマザクラ、他にイシヅチザクラなどまだ詳しく分かっていないもの)
 それから、さっきの「スズタケ」の問題ですけれど、まあ自然界のバランスっていうのは、大変絶妙な関係で成り立っているので、そこで、働いている仕組み、摂理がですね、良く解きあかされるまでは、あんまり早まって笹を刈るとかですね、そういう事をしない方が私は賢明なのじゃないかな、という意見です。

秋本  ハイ、どうもありがとうございました。よろしいでしょうか?。え〜と、丁度時間が予定より一分過ぎた所でございますので、ここで終わりたいと思います。パネリストの先生方、本当に遠い所からお出でいただきまして、素晴らしいお話しをお聞かせいただき、そしてまた新しいものを今日生み出していただきましたことに厚く感謝申し上げまして、本日のパネルディスカッションを終わらせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。(拍手)

会場  え〜と、すみません。あのうサクラに関するTV放映のお知らせをひとつだけお願いしたいと思います。先程、いろいろとお話が出ました鹿児島県の大口市にあります「エドヒガン」ですが、このTV放映が5月8日、連休明けて5月8日の月曜日にございます。午前11時25分から、番組名が「ご存じですか」で日本TV系でございます。この「エドヒガン」ですが、樹高が28m、幹周り10m99cmあります。是非、皆さん方もご覧頂きたいということでお知らせします。ありがとうがざいました。

 
閉会行事

司会  じゃあ先生方、どうもありがとうございました。しばらくまたその席にいていただきたいと思います。え〜、ここで謝辞を当会の理事の「黒木勝実」が行います。

黒木  黒木でございます。会長さんいらっしゃるんですけれどもこの会を代表いたしまして一言お礼を申し上げたいと存じます。
 先程来ご案内のように、実は1年前の4月29日に会長の秋本が今日ご覧をいただきました「オオヤマザクラ」らしいものを発見いたしまして、それからいろいろ調べまして、そして先生方のご協力もございまして、それでもなおかつまだハッキリ確定をする事が出来ませんでした。
 それで、今日、第七回の霧立シンポジウムをこの「オオヤマザクラ」の開花に合わせまして仕組んだ訳でございます。
 生憎、自然界は私どもの思う通りにいきませんで、サクラは花を開かせてくれませんでしたけれども、それでも2000年の幕開けにふさわしいシンポジウムになったと思っています。
 皆さん方は、新しい時空と出会いを求めてこの「霧立山地」にお出でいただいた訳ですが、まさしく期待どおりの素晴らしい一日になったんではないかと、そのように私は思います。多分皆様方もそうだと思います。
 まあ、今日は素晴らしいパネリストの先生方にお出でいただきました。基調講演の佐野先生は、サクラの処に行きますとサワサワとなって先生が来たのを喜ぶんだそうです。サクラと対話できる日本で只一人の先生だそうでございますけれども、その辺りの話は今日ありませんでしたが、本当にありがとうございました。
 それから、サクラの学術的権威のトップにいらっしゃる大場先生にはサクラについて詳しく分かり易くお話しをしていただきました。そして、大場先生につないでいただきました県立博物館の斉藤先生にはいろいろとアドバイスをいただきました。
 また、全国の巨樹を調べて2000枚の巨樹の絵を描かれてライフワークとされ、ご活躍の平岡先生には、巨樹や自然が人間の暮らしと密接に結びついていることをお話いただきました。
 そして、地主さんといいますか、私ども株主なんですけれども、九州森林管理局の中村部長さんには本当に聞き応えのあるお話しをいただきました。
 お話しの中で感じましたのは、今のサクラをひっくるめてその現象をそのままの姿で捉えるだけではなくて、150年なり1000年という時空を越えてじっくり見つめる事が大事なんではないかというお話もございました。今日はそういう面で深く大きな学びを得たなというふうに思っているところでございます。
 私どもの会では、これからもますます霧立山地の植物を学んでいきたいと今年の活動方針でも確認しております。そうして、わずか20名足らずの会員ですけれども、できれば霧立山地の植物達の図鑑を作りたい。こういう申合せをしているところであります。しかし、何十年かかるかわかりません。幸いに本日のパネリストの先生方のお話で、会場の皆さん方には今日一回だけの関わりではなくて末永く関わっていただきたいというお話しがございました。私どもがお願いしたかったことでございます。
 そういうことで皆さん方も、今後共この「霧立越の歴史と自然を考える会」とお付き合いいただきますように心からお願いを申し上げまして、今日の素晴らしいシンポジウムを閉じたいと思います。本当に今日はありがとうございました。

司会  最後に、この場をお借りしましてご紹介をしたいと思います。向こうの席に座っていらっしゃいますけれども、今回のシンポジウムを開催するに当たりましてこの会場を快くお貸しいただきました「株式会社五ヶ瀬ハイランド」の光井常務でございます。ご紹介いたします。どうもありがとうございました。
 それでは、なごり惜しいところではございますけれども、いよいよ閉会ということになります。今回の「キリタチベニオオヤマザクラ」の発見と共に今回のシンポジウムが我々にとって大変意味深いものになったと思います。
 これを今後どのように活かしていくかについては地元森林管理署や関係機関の方々のご指導をいただきながら皆さんと共に勉強して、今後の活動に生かしていけたら嬉しく思っておるところでございます。
 また、今度は「霧立越」も是非皆さんと一緒に越えてみましょう。よろしくお願いします。それでは閉会の言葉を当会の副会長の「椎葉英夫」が行います。

椎葉  どうも長時間ありがとうございました。これから私たちも、いろいろと活動をしていきながら皆様とまた「霧立越」を歩き、ご案内したいと思います。また新しい植物をこれから私たち会の中でも探して、珍しいものが見つかったら皆様にもお知らせして皆様とまたそれを鑑賞したい、そういうふうに考えでおります。
 今日は本当にありがとうございました。心から感謝申し上げまして本日のフォーラムの全てを閉じさせていただきます。どうもありがとうございました。
 皆さんにお知らせします。シンポジウムの模様は記録して残すことにしております。この記録をご希望の方は会場後方の入口で受付をしておりますのでお申込み下さい。記録冊子が出来あがりましたら後日お送りいたします。尚、当会はお金を持っておりませんので有料になりますがよろしくお願いします。



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第13回霧立越シンポジウム
九州脊梁山地文化圏
平成22年10月24日〜25日


第12回霧立越シンポジウム
『柳田国男100年の旅』
平成20年7月19日〜21日




第11回霧立越シンポジウム
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第10回霧立越シンポジウム
西南戦役130年
平成19年4月21日〜23日



第9回・霧立越シンポジウム
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第8回 霧立越シンポジウム
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第7回 霧立越シンポジウム
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第4回 霧立越シンポジウム
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第3回 霧立越シンポジウム
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1996年5月11日
 


第2回 霧立越シンポジウム
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第1回 霧立越シンポジウム
「霧立越を語る」
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森シンポジウム
―地域の光の創造と発信―
1992年10月25日

五ヶ瀬ハイランドスキー場
パネリスト
竹内宏氏(長銀総合研究所理事長)
後藤春彦氏(三重大学助教授)
藤井経三郎氏(リブ・アソシェーツ代表)
車 香澄氏(福岡大学教授)
長沼武之氏(宮崎県観光振興課長)
秋本 治 (やまめの里代表)
コーディネーター
鈴木輝隆氏(落ち穂拾いの会)



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2009.03.10〜