霧立越

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第4回・霧立越シンポジウム 自然の循環に共鳴する作法の極意


 第3部 パネルディスカッション

パネリスト
原田解氏   民俗音楽研究家
後藤俊彦氏  高千穂神社宮司
寺本哲郎氏  浄専寺住職僧侶
中川修治氏  NHKディレクター
尾前善則氏  狩猟儀礼伝承者
ジェラルド・ワンベア氏 インディアン儀礼伝承者
コーディネーター
秋本治  やまめの里


千の宝石
秋本 それでは、ただいまからパネルディスカッションに移らせて頂きます。先程の、尾前善則さんの狩りの作法のお話は、自然の循環の中に組み込まれたような見事な生活の哲学が感じられました。「のさらん福は願い申さん」とは、まさに、悟りの境地そのものである思います。
 また、ジェラルド・ワンベアさんのインディアンの作法は、生きとし生けるものはすべて親戚であるといわれる。自然への祈りと感謝の念や、自然の生態系の中に組み込まれたような暮らしの作法は、まさに今、行き止まりの都市文明、物質文明に大きな警鐘を鳴らしてくれるものだと思いました。
それでは、これからお二人方にも参加して頂き、更にお話を深めて頂きたいと存じます。まずは、原田さんからお願いします。

原田 原田でございます。尾前さんとワンベアさんのお話は、本当に興味深く聞かせて頂きました。大変勉強になりました。と申しますのは、私の仕事も根の部分ではお二人の話につながっていたからでございます。
私は、ライフワークとしまして、民謡や郷土芸能など、いわゆる民俗芸能と長く取り組んでおります。この五ヶ瀬町にも田植え歌があるということで、先日参ったばかりです。昭和30年代から民謡の調査をしておりますので、もう、40年近くになりますか。それほど、この世界には足を踏み込みますと、奥の深いものがあります。魅きつけられるものを持っています。
例えば、民謡の場合ですと、一曲の歌の調べと申しますか、旋律が非常にユニークというだけでなく、私はむしろその歌の背景にあるものに、より興味をそそられるのです。それが歌われた時代、あるいは暮らしのありようですね。例えば、農作業や山の仕事がその当時どうであったか、嫁とり歌はどういうしきたりの中で歌われてきたか。そういう背景にあるものに、より魅かれるのです。もちろん旋律もそうですが、そういうことで長いスパンの取り組みをしてきているわけです。
民謡は、暮らしの文化、生きた文化遺産と言われますが、これが、県内になんと今、300曲も伝承されております。郷土芸能は、だいたい700種ですね。合わせて千という数が先日の文化庁の調査で分かりました。まさしく、これは千の宝石だと私は申し上げております。全国に誇れる文化遺産だと思います。それだけに、歌っていらっしゃる当事者はもちろんのこと、県民の方や関係者の方がその大切さを分かっていらっしゃるかどうか、若干疑問に思うところもございます。それでもまだ元のままの古い形を残して歌い伝えられている、踊り伝えられているということは、本当にすばらしいことだと思います。
私はそういう民謡を通して、それを素材にして学ぶ立場なんですが、一曲の民謡の中から学びとれるものは、大衆娯楽であったり、農民史であったり、社会文化史であったり、いろんな切り込み方によって学ぶことができると思います。それら300の民謡と700の郷土芸能は全部私たちの暮らし、とりわけ第1次産業とつながって生まれ、ここまで育ってきたわけです。
その肝心の第1次産業は、残念ながら衰退をしつつあります。それなのに、宮崎県には、なぜそれだけのものが残ってきたかと言うことですが、ご承知のように宮崎県は3方向を山で囲まれまして、残る海岸部の方も、海岸線が非常に単調で凸凹が少なかったために良い港ができなかったんですね。辛うじて、細島とか、宮崎の赤江港とか、内海港とか、油津港みたいなものがありますが、これも南部の方の港は、日向灘という荒れる海を越えなければなりませんので、もっぱら細島港あたりを中心に、上方との交易とか旅人の往来がはかられ、そこを玄関口にしていろんな文化が運ばれて来ています。そして、流れをさかのぼって五ヶ瀬川や一ツ瀬川、耳川の上流まで伝えられ、それがその土地の色に根づいて今日に至っているのです。
ところが、3方向を山に囲まれている地理的条件のために、持ち込まれたものが外に出無かった。そのため、運ばれてきた元のところは、社会環境の変化が激しかったために根が枯れてしまったものの、運ばれてきた宮崎ではまだ生き残っているということになっているのです。それは、非常に時の流れが緩やかであったから、自然環境、社会環境の変化がゆっくり時を刻んできたからそうなったということで、民俗文化の点では、むしろ後進県といわれたことに感謝しなければならないと思っている次第です。
そういった大切な文化遺産が自然や人間の暮らしとともに息づいているということをまず、申し上げたいのです。これは、先程のお2人のお話と根がつながっています。風の音を聞いたり、自然を見て自分との関わりを判断する。そんな自然に対する畏敬と感謝の念を持っていらっしゃる。そのあたりは、全く私の世界に通じるもので、これが一つのキーワードではないかと思っているところです。

秋本 なるほどですねえ。自然や民俗文化の点では後進県といわれるところに感謝しなければならないところもあるわけですねえ。廻れ右しますとトップになれるわけですね。この民謡の300曲が自然界との関わりの深さを表しているということですが、それはどんな部分にあるのでしょうか。

原田 そうですね。自然界と深く結びついた民謡が宮崎では多いように思います。例えば、仕事歌、山や野の仕事歌ですね。これは、木を切る民謡から、田の草とりから、田植え歌から稲刈り歌から、たくさんございますけれど、とりわけこの九州山地に歌われている農作業や林業に関する民謡は、まさしく自然と切っても切りはなせない、特色あるものだと思います。

秋本 そうですねえ。またお聞かせ下さい。それでは、高千穂神社宮司の後藤さんお願いします。

縄文の精神を受け継ぐ神道
後藤 私は、日本の神道、神社の代表という立場でございますので、とりあえずおおまかに神道の全体像といいますか、看板のようなものをまずここでお話をしたいと存じます。
私は只今ご紹介がありましたように、この町の隣の高千穂町に住んでいます。高千穂といいますと、天孫降臨の神話で有名な所ですが、簡単に申しますと、遠い昔に神様が国を治める為に高千穂へ降りて来られた。その時に、高千穂は真っ暗闇の霧の中であった。そこで神様は、高天原から持ってきた稲の穂を抜いてそのモミ種を播いたところ、たちまち霧が晴れて日月(にちげつ)が姿を現し、明るい世界が開けてきた。したがって、この土地を「臼杵郡・智舗郷」(うすきごおり・ちほのさと)と名付けた。これが、日向国風土記に書かれた高千穂の地名伝説の由来でございます。
日本神話では、日本の国は稲作の伝来と共に国が始まったと語り伝えられております。それで、神社のまつりでは、五穀豊饒、天下太平、国家安泰という事を祈願致しますので、何となく神道というのは、弥生時代をはじめとする稲作文化だといわれ、日本の文化もまた稲作文化だといわれておりました。
ところが、最近になりまして、それ以前に1万年にわたる縄文文化があったということになった。青森市の工事現場から三内丸山遺跡などが出まして、縄文時代の文明、文化の素晴らしさというものに私どもは改めて驚かされたわけです。そのような歴史の見直しの中で、縄文と弥生という二つの時代を対立的に捉えて、結果的には「縄文はすべて美しき良き時代、弥生時代以降は、だんだん自然環境を悪くしているのではないか」というふうな考え方が一つの流れとして出てきているように思います。そのような考え方を僕は必ずしも否定してはいませんが、神道を弥生文化とするには、大事な視点が欠けているのではないかと考えています。
確かに、神道というものは稲作を中心としてこの3千年近く、我が国固有の信仰を作り上げてきましたけれども、神主が例えば地鎮祭などに出かけて行きまして、お社(やしろ)以外でお祭りをする時に、必ず四方に竹を立てて注連縄(しめなわ)を張ります。これは、、いわゆる藁(わら)文化という稲作文化の象徴でありまして、神の聖なる境界を示すものなんです。ところが、その中で神様をお招きする神聖な依代(よりしろ)は何かといいますと、それは榊の枝でありまして縄文以来の「樹木崇拝」でございます。榊という1年中色の変わらない木に純白の神垂(しで)をつけて、それが神様の降りてくる場所になるという考え方です。
これは、神道の稲作文化、弥生文化といわれる中にあっても縄文の精神というもの、価値観というものは、厳として生き続けている。これを最近、学者は見落としているのではないか。私たちの歴史の中には、何かが常に継承され続けているということを抜きにしますと、議論というものが非常に半面的なものになるのではないかという気がしているわけでございます。

森を使い果たした時文明は滅びた
先程、ワンベアさんがおっしゃったアメリカインディアンの人々の考え方とか、日本人が古来持っている考え方を、キリスト教の世界の人たちは、祖先崇拝や自然崇拝の宗教というのは未発達段階の宗教なんだ、と、軽く見ておったのではないかとの思いがございます。1神教のような、いわゆる神はただ1つであるという考え方。祖先崇拝や自然崇拝というものを脱却して、ひとつの神学体系を持ったものこそが高等な宗教であるという考え方がキリスト教徒には強かったと思います。
私も小さい頃は、何となくキリスト教というと崇高な宗教で、私たち田舎の氏神さんの祭りというと、まあ、そのへんのお祭りという考え方が私にもあったんですが、最近になってその考え方はとんでもない間違いではないかという考え方をするようになりました。
と、申しますのは、自然を人間が支配するというようなキリスト教的な考え方がすでに行き詰まってしまった。例えば最近、紀元前2〜3千年前のシリアとかレバノンなどハビロニア文明といわれる古代文明が発達した地域の考古学的な調査をやりますと、むしろ、あの砂漠地帯といわれるところは、古代はうっそうたる森林地帯であったといわれております。彼らは、その森林を利用することによって農耕を行い、文明を築いていた。そして、その森林を使い果たした時、彼らの文明というのは滅びていった。つまり、自然を支配するというヨーロッパ人が持っていた考え方には、大きな過ちがあったと私はそういう気がいたします。

太陽の蘇りを願う岩戸隠れ神話
ところで、高千穂といいますと神楽が有名ですが、昨夜はこちらの鞍岡祇園神楽を感銘深く見せていただきました。その時に、天の岩戸が開きますと天照大神(あまてらすおおみかみ)様が出てくるわけですね。昨夜の説明によりますと天照大神は小さな子供となって出てくる。これは、寒い冬になりますと日照時間がだんだんと短くなってきます。つまり古代の人々は、一年間天地自然の、なかんずく太陽の恵みで作物が実り自然が生きてきた。一年間私たちを育ててきた。そのために太陽は年の暮れになると力が衰えてくる。だから、太陽にもう一回再生し復活してもらおうということで始まったのが、いわゆる天の岩戸開きをモチーフとしたお神楽です。太陽がだんだん衰えて身を隠してしまうのではないかという冬の時期に、岩戸開きのお祭りが行われるということが大事なんですね。
だから、天の岩戸を開くというのは、太陽が力をつけてもう一回蘇って復活してくるということです。蘇るわけですから、若々しい命でなければならない。ですから、あそこで天照大神様のおばあちゃんが出てきたら困るのですね。やはり、永遠の生命を象徴する若々しい命が出現しなければいけないということですね。あの神楽を見て、昨夜は改めて大切なことを教えられたような気がしました。

サンタクロースの服はなぜ赤い?
ところで、先程高等宗教であるキリスト教と言いましたけれども、実は彼らキリスト教徒がそういう民間宗教をうまく利用しておった。と申しますのは、これから皆さん方クリスマスが近づいてまいります。12月24日になりますと日本中でクリスマスを祝ってケーキなんか食べてですね。その日だけは、まるでクリスチャンみたいなるわけですね。そして、大晦日になりますと、隣の席の浄専寺の寺本先生には大変申し訳ないのですが、除夜の鐘がなる。お寺で鐘が鳴るんですね。そして、今度は神社に来てお賽銭を上げてくれるんです。私、こんなすばらしいシステムを生み出した日本に感謝しているんです。(笑い)
クリスマスというのは、古代ゲルマン民族のゾンネンベンデという冬至のお祭りがその起源といわれています。ゾンネンというのは太陽という意味ですね。太陽の復活のお祭りをしていたのです。そこで、キリスト教を広めるため、古代のゲルマン民族の人たちに「実は、その日にイエスキリストが生まれたんだ」と、うまくトリックを使ったんですね。そうやってキリスト教信仰というものを拡め、その日が聖なるクリスマスの日。聖誕祭になっていった。
サンタクロースの服はなぜ赤いのか。今だったら青だっていいじゃないですか。白だっていいじゃないですか。森英恵デザインだっていいわけですよ。ところがあれはなぜ赤いか。あれは、太陽の色、陽の色なんですよ。サンタクロースはなぜ煙突から入ってくるか。あんな煤けたところにあんな太ったおじさんが入れるわけがない。サンタクロースというのは、昔の北欧の火の神・聖ニコラスが起源で、ヨーロッパの古代の人たちにとっても竈(かまど)信仰があったのですね。火の神様を崇拝する気持ち、台所の火を焚くところは神聖な場所であった。だから、そこから福の神が降りて来ていろんなプレゼントをしてくれるという考え方です。日本で正月に門松を立てて年神様を招き、家の竈に餅を供えるのと一緒です。
冬になるとサッカーやラグビーなどのスポーツが盛んですが、古代ケルト人というのは、秋になりますと皮で作った丸いボールに収穫物を詰め込んで、村単位でその奪い合いをしたんですね。それがサッカーやラグビーの起源といわれています。それで、その丸い玉のことをスールと言います。スールと言うのは、古代ケルト語で太陽という意味なんです。つまり、太陽を奪い合うということから生まれたスポーツなんですね。そうしますと、キリスト教の人たちも古代においては、ワンベアさんや私たちが信じる自然崇拝であったということがいえるのではないかと私は考えます。
先程、尾前さんとワンベアさんのお話を聞いて凄いと思いました。この中身のあるお話に実際もう圧倒されているのですが、そこでふっと思いましたのは、動物も自然も親戚なんだという考え方についてです。
神社に行きますとキツネが神様のお使いとか、鳥が魂の生まれ変わりだとか、一部の鳥は神の鳥とされている。あるいは、ヘビを敬う信仰がございます。また、我が国では山岳信仰が盛んで、富士山、白山、出羽三山、当地では祖母や阿蘇など全国いたる所に神山と言われる山々が信仰されています。かって、ドイツの元首相のシュミットさんが来日された時、苔寺をお参りになりました。この時「これほどすばらしい先端技術を持った日本人が、秋になると苔寺に行って落ちているモミジの葉を大事に拾って自分のポケットにしまっておる。すばらしいことだ」とおっしゃったことを思い出しました。
私はキツネも鳥もヘビも、あるいは自然界のすべてが、人間と同じ命の中にあるんだと考えれば、それは本当にその通りで、むしろ我々はそういうものの命というものに魂を通わせるところに、人間の間違いのない生き方というものを教えてくれるのではないかという気がいたしました。
いろいろとお話を聞きながら教えられ、尾前さんとワンベアさんお二人のお話を聞きながら、私が今考えているこれからの神道のテーマというものにすばらしい示唆を与えていただいたような気がいたしております。
今日は、神様と仏様が、尊敬する寺本先生と相並ん座っております。(笑い)先程の尾前さんのお話を聞いていると、山の神様にナムアミダブツというのですからねえ。もう、本当に我々を超えた方がおられましてですね。日本の宗教の神髄を尾前さんに教えて頂いたような気がしております。ありがとうございました。

秋本 なるほどですねえ。宗教の原点は自然崇拝なんですねえ。神道は木に神が宿るという縄文からの思想を受け継いでいるというお話がありました。 私が考えていましたのは、2千数百年前、縄文人といわれる原住民族が住む日本へ、大陸から弥生人といわれる人たちが渡来してきた。そして縄文人を征服して大和国家を築いた。
渡来して来た弥生人は、文字や稲作技術、鉄器製造の技術などを持っていたので、縄文人から見れば、神と呼ばれるような存在であった。渡来人は、縄文時代を無かったものとして大和国家の起源を正当化するため天から降りてきたものと語り、渡来人の女王を天照大神としてシンボル化し語り継いだ。そういう語り伝えを天地創造、天孫降臨、神武天皇の東征などとして太安万侶が記録したのが「古事記」であり、それが日本神話の原点として神道が発達した。このように思っていましたが、その思想の奥深くには、日照時間が短くなると太陽のエネルギーの衰えを心配する縄文時代からの自然崇拝の思想があったわけですねぇ。
そこでワンベアさん、インディアンのスピリットについては、先程お話を伺ったところですが、日本の神道に共通するものがありましたらお話頂けますか。

苦しい修業の「サンダンス」
ワンベア 今の話を聞いて、アメリカインディアンの宗教と日本の神道はよく似ていると思いました。僕の部族は、北アメリカの大きな盆地に住んでいますが、そこの部族の一番大事なセレモニーは、サンダンスと言います。太陽ですね。太陽は、私たちにとってはとても大事なものです。今でも、朝起きるとまだ暗い内から、多くの人たちが外へ出て太陽の昇るを待っています。太陽が出ると歌をうたいます。夕方も同じですね。太陽に「今日は、ありがとうございました。さようなら」と。
我々インディアンたちは、昔から太陽を大事にしています。太陽からは明かりももらいますし、熱ももらいます。太陽がなければ、何も生きていくことができません。太陽がなくなれば、この地球は氷の海になっちゃうですね。僕は日本に来た時、神道に興味があっていろんな本を読みました。日本の宗教は、太陽で、アマテラスのことを読んで深い印象を受けました。我々と同じだと思いました。太陽が大事ですね。
私達は、毎年サンダンスをやります。それは、ものすごい苦しい修業です。夏の一番暑い時に8時間行います。その時は、一日中、深夜まで踊らなければなりません。休まずに食べ物もとらないで、水も飲まないで踊り続けます。そして、最後には多くのダンサーが自分の胸の肉にナイフを刺して、木に縄を結んで胸のナイフとつなぎ、引っ張って自分の胸の肉を破るのです。これが我々のやり方です。この修業で、太陽がいかに大事なものであるかの深い印象を受けます。

インディアンの宗教と日本の神道の共通点
インディアンの宗教と日本の神道の似ているところは、例えばキリスト教は、神様が一つでしょ。我々インディアンや日本には、たくさんの神様がいることも共通しているように思います。 日本では、八百万(やおよろず)の神々と言うでしょ。山の神や木の神などいろいろありますね。僕のリザベーションに行くと、ところどころに大きな木があるんですね。そこに行くと、自分が大切にしているものをその木の枝に結びつけてあります。遠くからでもキラキラ光って見えます。日本人は、オミクジを引いたら木の枝に結ぶでしょ。インディアンはそういうことはしないけど、自分の大事なもの、例えば、自分の時計、指輪などを木の枝に結わえて神様に上げる。
あるところでは、形が変わったすごい岩があります。インディアンたちは、そこに神様が住んでいると思うのですね。その神様は、いろいろな力を持っている。僕は知らないけれど、メディスンマンたちには分かる。例えば、ある病気であったらそこの岩に行ってその岩を触ったりお祈りしたりすると治るといわれる。子供ができない女の人は、ある岩のところに行って触ったり、体を全部合わせたりしてお祈りすると後で子供ができるといわれる。その点では日本の宗教と似ている部分がありますね。
僕は、今日本に住んでいるので塩釜神社に行きます。白人の友達は「なんでそういうところに行くの。関係ないでしょ、あなたは日本人ではないのだから。」と言います。私は「そうかも知れないが、今、私は日本に住んでいますから」と答えました。この国の神様は神社に住んでいる。僕の神様は、自分の国にいる。だから、日本に行っている間は、僕は日本の神社に参りますね。
この前、塩釜神社の神主さんに「私は、こちらに来ている外国人にとしては変ですか、僕を見てニヤニヤ笑っている人がいますが」と尋ねました。神主さんは「多分、外国人がお参りしているのでびっくりしているのでしよう」と言われました。僕は、毎月1日と15日にはお参りに行きます。病気でない時は。この間は風邪をひいて行けなかったけどね。私の家内が「今日は雨が降っているから行かない方がいいですよ」といっても「いや、行かなければならない」。自分で似ていると思うのはやはり神社ですね。もちろんお寺にも行きます。両方とも好きです。

秋本 ありがとうございました。ワンベアさんは、日本の神社やお寺にもお参りされるということですが、お寺の話が出たところで今度は寺本さんに日本の仏教の立場からお話を伺いたいと思います。
日本の仏教は、インドから中国を経由して伝わったわけですが最初の仏陀の教えは、修業を積んだお坊さんだけが仏に成れるという思想であった。それが、日本では念仏を唱えさえすれば誰でも仏になれるという教えになった。歎異抄(たんにしょう)なんかを見ればややその思想みたいなものも分かるような気もしますが、仏教の教えは非常に奥が深く難解です。 仏教の自然観などのお話も伺えたらと思います。

寺本 私は、山が好きで年に数回九州の久住山とか祖母山、英彦山などに登っています。昨年は、富士山に登りました。その時、高山病にかかりました。腹痛をおこしたり、頭痛をおこしたり、貧血をおこしたり。いろんな高山病がでましたが、何とか頂上をきわめることができました。それほど山が好きでございます。
そういうことで、先般秋本さんからのご連絡で霧立越のツァーに参加しました。初めて歩いたわけですけれども、約6時間ほどで内の八重に下山しました。かなり難行軍でございましたが、心うたれたのは、ああいう山の上の道が平坦な道であるということです。非常に歩き易い。これは、ハイキングコースだなと思いました。昔の人がこの道を馬の背で塩や酒を運んだ、本当に歴史の道だなあと感じ、昔を偲びながら歩いたのでございます。
この鞍岡には、祇園山という山がございますが、実はこの祇園というのが非常に仏教とかかわりの深い言葉でございます。釈尊(しゃくそん)が今から2千5百年前にインドでお生まれになりまして須達(すだつ)長者という長者が土地を買って、釈尊に寄進しました。そうして最初にできたのが祇園精舎という寺院です。平家物語に出てくる「祇園精舎の鐘の声、諸行無情の響きあり」というのがあの祇園精舎のことであります。
この祇園を遡ってみますと京都の祇園ですね。そこの八坂神社です。この神社は、神仏習合の時代は、仏教の守護神であった牛頭(ごず)天皇です。現在は、須佐之男命がお祀りしてございます。このようにして、山には仏教とかかわりの深い名前がついております。釈迦岳とか雲仙の普賢岳、普賢は普賢菩薩からきているのですね。これはお釈迦様の脇に補佐役で立っておられる文殊菩薩、普賢菩薩からきているといわれております。

仏教の伝来
仏教は、非常に広くて深いものがあります。ここで、短い時間に説明することはできませんが、だいたいの流れを申し上げます。仏教は、8万5千の法門と、また、別の言葉で、応病与薬、病に応じて薬を与えるというくらいでお釈迦様はいろんな教えを説いておられるわけです。それが、二つに分かれて、一つは南方の方にいって南方仏教になった。別名「小乗仏教」といいます。それから、北の方は、これは北方仏教、別名「大乗仏教」ですが、これが中国、韓国、日本というふうに渡ってきた仏教でございます。
そして、日本に渡ってきたのが西暦538年でございます。それを特に政治の中に取り入れたのが聖徳太子でございます。7世紀の初め頃ですね、そして、仏教の基本原理を特に聖徳太子が取り入れられたのが「和」の思想でありました。17条憲法の中に「和をもって貴しとなす」とですね。そのくらい「和」ということを非常に重視されて日本の律令制というものを定めていかれた。そういういきさつもございます。「和」ということを別な言葉でいいますと「平等」ということになります。
それから8世紀に入りまして、比叡山の最澄(さいちょう)、後の伝教大師。それから南都、奈良を中心に、特に高野山あたりを主として教えを説かれた真言宗の空海ですね。弘法大師です。これは、四国八十八ヶ所でもあります。それから13世紀に入って本当に日本的変容を遂げた仏教は、いわゆる鎌倉仏教といいますけれども、この中には、親鸞(しんらん)とか道元とか日蓮とか、こんにちに影響をあたえている各僧が輩出したという大変な変革をなされた鎌倉仏教。これが、こんにちの日本の仏教といってもいいのではないかいうことを申し上げたいと思います。

仏教の自然観「山川草木悉皆成仏」
それで、先程のワンベアさんのお話ですが、動物や植物は皆親戚だという思想。これが、日本仏教の中で実は出来ておるのですね。どういうことかと申しますと、「山川草木悉皆成仏」または「山川草木悉有仏性」です。それまでは、仏に成れるものと成れないものとの差があったわけです。それが日本に来てから「山川草木悉皆成仏」となった。山も川も草も木も全てのものに仏のタネがある。平等だというすばらしい教えが出てきて、平等の精神が日本に行き渡ったわけであります。
私たちがよく読経の最後に「平等施一切」(びょうどうせいっさい)と4句申し上げますが、これは、そういうところにあるわけでございます。
行基菩薩の歌に「ほろほろと鳴くやまどりの声聞けば、父かとぞ思う、母かとぞ思う」という有名な歌がございます。やまどりの声を聞いて「ああ、お父さんではないか、お母さんではないか」こういうふうに風に頭を下げていったとか。あるいは、道元禅師の自然をうたった有名な歌に「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて清(すず)しかりけり」があります。これは、川端康成がノーベル賞を受けられた時の記念講演の冒頭にこの歌を持ってきて使われたということもございます。こうして、日本仏教の中には、南方仏教と違い、山川草木を大きく取り入れられたということでございます。

秋本 なるほどですねえ。ワンベアさんのお話にありました「生き物はすべて親戚」というインディアンの思想と日本仏教の「山川草木悉皆成仏」の思想は、本当に同じような自然観ですねえ。
「山川草木悉皆成仏」の思想は、縄文時代の思想が伝来の仏教に入ってきたものだといわれる。生きとし生けるものはすべて、あの世とこの世を行ったり来たりしているという輪廻転生の思想ですね。これはまさにDNAのことを言っているような気がします。
日本の縄文もアメリカのインディアンもそれぞれ原住民族は、自然界の循環の中に生きていくという思想があったんですねえ。
ところで、尾前さんの狩りのお話は、まさに日本の狩猟採集文化、縄文の思想を今も伝えているように思いますが、それをこんにちまで実践されているということは大変すばらしいことだと思います。そこで尾前さん、もう少しお話いただけますか。山の神様に「ナムアミダブツ」が出て、高千穂神社の後藤さんがびっくりされていましたが。

若者は自然を知ろうとしない。
尾前 これは、獣の命を絶ったから自然にこういう祈りがでてくるんですねえ。成仏するように「ナムアミダブツ」と。これが、猪まつりでは「奉り申す」になります。猪まつりは、山の神様に御幣を切って上げることから始めますが、神様や仏様の作法が分からない場合は「シマンヤヘエ」と言って上げればよいとされています。初めての人は、「シマンヤヘエ」と言って梶紙をただ破って上げるだけで、神様にも上がり、仏様にも上がるものだと私たちは教わっているのです。「シマンヤヘエ」とは、神様も仏様も全部一緒ということです。
猪まつりは、1月16日、5月16日、9月16日に行うようになっています。旧暦なんですが、昔からずーっと続けてきました。これは、神様も仏様も一緒にして祀るわけです。昔は、9日まつりもありましたが今では省略しているところもあります。神も仏も一緒にしてお祀りできればこれに超したことはないと思います。
私は、若い人たちにいつも言い聞かせています。「山の神を大事にする心がなければ何事もうまくいかないよ。山に行ったら山の神、川に行ったら水神様、道を歩けば道ろく神というものが祀られている。」と。すると今の若い者は、「今は昔と時代が違う」と言うわけですね。時代が違っても人間は変わっていないわけです。何とか説得をしようとしているのですが、これがなかなか分かってくれません。
今日は、霧立越のシンポジウムですが、私も霧立越には以前からずーっと関心がありました。大自然の霧立越から学ぶものは大きいものがあると思います。もう、何十年も前から牛や馬が通らなくなってから、村役場や教育委員会に何とかして霧立越を通れるようにしようじゃないかとお願いし、営林署の方にも何度もお願いをしました。ところが、役場にお願いをしますと、現地が国有林だから村役場ではできないといわれるし、国有林の営林署にお願いしますと国有林に必要な道はすでに造っているからということで、どうしても実現しないわけですね。なんとかならないかと考えていた矢先に、秋本さんからいい案がでたなあと思い参加したわけです。更に、今日ご参加の皆さんのお力も借りてご協力を頂いて、この霧立越の歴史や自然を残して学んでいきたいと思います。
今、通っている霧立越は、本来の道から外れた部分もあるんですね。だから、昔の、馬が通る本来の道も全部復活したいなあと考えるわけです。その点を秋本さんどうかよろしくお願いします。これから一緒に頑張っていきましょう。

秋本 はい、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。 これまでのお話をお聞きしまして、民謡や郷土芸能の世界も、神道の世界も仏教の世界も、非常に深い自然界とのかかわり合いの中からそれぞれ独自の世界観が生まれてきたことが分かりました。それは、自然への畏敬の念であり、自然への感謝の哲学であり、人間が永遠に生きていくための生活の作法であるような気がします。これを尾前さんやワンベアさん達は、今でも実践してその伝統を継承して頂いているわけですね。
元宮崎銀行頭取の井上信一さんから、歎異抄を解説されたご著書を頂いたことがございます。その中で井上さんは、念仏を唱えるということは、ありがとうございますという感謝の言葉を唱える意味だとおっしゃっていたように思います。山の神も水の神も自然への感謝を表したものかも知れません。
ところが、今の若者はこのような伝統的な作法を理解しょうとしない。自然界を知らない。「今は時代が違う」と言って都市の方ばっかり向いているということでございます。
そこで、NHKの中川さん。今、先端技術を駆使してメディアの中で活躍されておりますが、「時代が違う」という若者の気持ちを現代っ子の代表としてどうお考えですか。

自然を使い果したら次に生きることはできない
中川 自然を知らないと言われましたが確かにそうです。あのう、若者と言われましたが私はもう41歳ですよ。(笑い)
私は、石川県生まれで小学4年生からは大阪で育ちました。大学は、哲学及び倫理学専攻という変なところへ行きました。そして、人間とは一体何だろうと考えるようになりました。「人間とは情報の乗り物」でもあるわけですから、僕たちはここにいるお爺さんたちから何かを受け継いで、それにプラスアルファをして、次の世代に伝えていくという形で生きていかなければならないわけですが、どうもそこへんが「切れているな」というふうにすごく思いました。
これまでのお話で、聖徳太子の「和」ということがありましたが、仏教は輪廻転生という生物の循環みたいなことをすごく訴えていたと思うのです。神道は生物循環の基になるエネルギー、太陽のエネルギーを重要視しなければならないということを伝えられてきたということですね。尾前さんのお話は、自然を大切にしなければならないということを教えられたと思うのです。これは「人が生きるということは自然を壊したら次にもう生きることはできないよ」ということがすごくはっきりとわかっていたからと思うのです。それが、現代にはないなと現代っ子の僕がいうのはおかしいですが、それはすごく感じているのです。
例えば、今は化石燃料を使って我々は生きているのですね。この会場に来るにも中東の向こうで掘り出した石油を延々と日本へ運んできて、それで電気を起こし、その電気を送電線で運んできてその電気でリフトを廻し、そのリフトに乗っかってスキー場まで来るということをしている。この化石燃料を使い果たしたらどうするのか、まったく後は考えていないということなんですね。
日本の仏教や神道は、農耕文化のもとにこんにちまで受け継がれてきたわけですが、その思想が外れていたら、こんにちの日本の文明は古代メソポタミアみたいに滅びていたであろうということです。日本の農耕文化は、神道とか仏教に基礎を置いたからこんにちまで生き延びてきたと思うのです。ですから、これからの社会にそういうものをどのように再評価して取り入れ、文化のあり方をどうつくるかということが大切ではないかと考えました。

地域の遺伝子
秋本 あのう、「地域の遺伝子」という言葉があるんですね。中川さんの「僕たちはここにいるお爺さんたちから何かを受け継いで、それにプラスアルファをして、次の世代に伝えていくという形で生きていかなければならない」というお話でふっと浮かびました。これは、早稲田大学の後藤春彦先生が地域づくりのお話でおっしゃる言葉です。地域自体にも遺伝子的な存在を考えるのは面白いと思うわけです。自然とのかかわりの中で地域の遺伝子はどういうところに存在するのかなと思うわけです。
また、生物には各々の個体に各々固有の遺伝子があって、先祖からその生物のあり方やその個体の特性が遺伝子によって受け継がれていく。生物の個体は死んでも遺伝子によって、その生体を通して子孫に受け継がれていく。生物が生きているということは、その過程の一部にすぎないことかも知れないわけです。遺伝子は、その生物が生きていくために必要なものは進化させ、必要で無くなったものは退化させるということですね。私は、ヤマメの養殖でそのことを目の当たりにしてきました。
ヤマメは、狭い渓谷の中で、濁流や渇水に晒されながら過酷な気象条件のもとで長い年月その小さな生命を維持してきました。ですから、気象の変化や外敵などには非常に敏感です。天候が悪くなると濁流がくることを予知して、大雨の前にはもりもり餌を食べます。ですから、ヤマメ釣りには天気を見てから出かけなければ釣果が上がらないのはそのためです。
こうした野性的でたくましい能力を持ったヤマメが、人工孵化養殖の年代を重ねていくとしだいにその野性的なたくましさが無くなり、外敵に対して警戒心もなくなり、天候の変化にも反応しなくなりました。人工孵化を続けていれば、自身で産卵できないようにもなりつつあります。養殖の歴史が長い虹鱒がそうですね。自然では産卵できない魚になってしまった。
人間世界においても、自然界から離れてきてからそういう野性的でたくましい能力が退化してきたと思うのです。ヤマメのような下等動物の魚でさえ気象の変化を予知できるのに、我々人間は、明日の天気を体で予知できない。自然の変動を予知できない。これは、明らかにその能力が退化したからだと思っています。
私たちの祖先は、自然生態系の中に組み込まれて森と一体化した狩猟採集の暮らし、縄文時代という1万年もの長い歴史を一部経験しているわけです。晩氷期後、気候の温暖化により落葉広葉樹のブナ林が広がり、木の実などの森の恵みが与えられた。そこで人々は木の実の灰汁抜きをするための土器を発明した。食料のストックができるようになると独特の縄文文化を築いた。それが文明とまでいわれるような縄文時代ですね。
縄文時代は、年によっては気象の変動により木の実が採れない年もあるわけです。木の実の豊作が続けば、人々は丸々と太って人口が増え、不作の年が続けば、痩せ衰えて人口も減少していく。自然界は人口まで調整していたと思うのです。そういう厳しい環境の暮らしゆえに、自然界からいろんなことを学びとり、自然と一体化した暮らしの作法と自然界を感知するたくましい能力が進化したのではないか。
ところが、弥生時代以降農耕文化が発達してくると人々は、自然を排除することが快適な暮らしであることに気付いた。そして、森から出て2千数百年、自然を排除して快適な都市という装置を営々と築きあげてきたわけです。特に明治から100年、とりわけ戦後の50年の目ざましい開発がこんにちの究極の都市文明を築いた。
ところが、ここにきて都市文明の行き止まりのようなものが見えはじめた。人々は自然界の波長に対する感受性を失い、自然界とのかかわり合い方がわからなくなった。野性的なたくましい能力も退化してきた。自然界とのかかわり方がわからないというこの延長線上に、人類の未来はないと思うのです。
原田さんは、どうお考えですか。

民謡は地域の遺伝子
原田 「地域の遺伝子」、DNAというむずかしい話になりましたが、今、秋本さんのお話を聞いていて、ふっと思い出したことがあります。  先日、ロシアから帰った方から面白いことを聞きました。ソビエトの体制が崩壊してから、今、ロシアの科学者たちは生活に困り果てて、これまで開発した先端技術をどんどん他の国へ売っているというお話です。その中にこんな話がありました。
それは、飛んでいる「蠅」の研究です。この蠅の遺伝子をどんどん元祖返りをさせる研究をしているそうです。そして今、出来上がった蠅は非常に古い原始のDNAを持っているのだそうです。この蠅は何をやるかといいますと、動物の排泄物を食べて処理してくれるのだそうです。蠅を使った廃棄物処理が考えられるというのです。それだけのたくましい力を先祖返りした蠅たちは持っていたということです。
それからもう一つ。日本の歴史の中で日本人が一番身体が小さかった時代は江戸時代ということです。これは、一番華奢な時代、贅沢をしていた時代ですね。これが一番身体が小さかった。それから、一番大きかった時代は、やはり縄文時代。その次が弥生時代というふうになっています。
今、地域のDNAとおっしゃいましたが、これをこんにちの人間と自然のかかわり合いというテーマでもう一回考え直して見ますとですね。どうも、椎葉の話ばかりで恐縮なんですが、椎葉の民謡を調査して椎葉が面白いと思うのは、ここには自然と暮らしの文化がきちっと共存しているからなんです。例えば、椎葉の民謡は季節の巡り合わせで歌われている。これはずーっと昔から伝統的に歌われています。
正月には正月の歌を歌い、春には春節、まとい節、茶摘み歌、木おろし歌、秋には稗つき節、神楽せり歌ですね。秋節もあり駄賃付け歌もありますよ。このようにきちっと季節に応じて歌で暮らしが営まれているということ。これは、伝統的な地域のDNAだと思うのです。春には春節を歌う。秋には、秋節を歌う。もし、戯れ言でもいいから春に秋節を歌うと山の神が三尺飛び上がって驚くと今でも信じられています。まさに、季節の巡りと自分たちの暮らしが一体化しているということができると思います。そして、それを大事にしている。しっかりと受け止めているところが素晴らしいですね。

ほどよきを尊きとする心
先程の尾前さんのお話を伺っても、ルールとモラルというものがきちっとあるんですね。獣を殺すのではない。自分も生かされているのだと。これは頂いたもの、恵まれたものである、自分が捕ったものではないとおっしゃいました。これは、ワンベアさんの話にも通じます。私は、その考え方が素晴らしいと思うのです。
戦後の高度成長は、心より物が優先した時代で、自然破壊、社会破壊が行われて来ました。確かに物質的には豊かになってきたけれども、しかし、利便性、経済性、快適性と引換えに失っていったものがこの結果なんですね。これは、人間の飽くことなき欲求の結果だと思います。
先程、若い連中が森の忌諱(きい)、水の忌諱ということで、山を大事にし、水を大事にする、それを大事にしなかったら罰が当たるよということに対して、時代遅れだと言ったような話がでましたが、私は時代遅れでも何でもなくて彼ら自分たちの欲望の変化でそういっているだけだと、感じとっております。ここには、住職の寺本先生がいらっしゃるのでちょっと口はばったいのですが、人間の欲望の中に四苦八苦というものがあるそうですね。生老病死という四つともう四つですが、その中の一つに「求めて求められざる苦しみ」というものがあるんだそうで、それが現代社会の中では、大きな悩みにまで膨れ上がってきているということです。つまり、人間の不遜とか傲慢とかいうもので、これが自然破壊などにつながっているのではないかという気がしてなりません。私たちは、もっと謙虚に生きていくべきだと思います。
仏様は人間の欲望の解消について「ほどよきを尊しとする」とおっしゃっているようなんですがこの「ほどよきを」ということを私たちは、考えないといけないと思うのですね。ですから、原子力問題でも、社会環境、自然環境破壊でも欲望のままにこれを膨らましていくととんでもないことになる。その「ほどよきを」でどこまでブレーキが架けられるかということをよくよく考えていかなければならないと思います。

秋本 はい、ありがとうございました。都市文明の行き止まりの一つに、際限なく「水が必要であればどこまでも水を供給しましょう。電気が必要であれば、際限なくどこまでも電気を供給しましょう」というところに実は問題があるような気がしますね

自然循環システムは山村にあった
中川 その限りなく供給するのが当たり前というのが、都市の立場なんですが、その反省を求められたのが、実は、阪神大震災ではなかったかなと思います。僕は、ちょうどその時大津にいました。あれは、確か5時40何分かだったんですが、ふっと目が覚めたらぐらぐらと揺れましたんでそれですぐテレビをつけました。3分位経ったら社のアナウンサーが出てきて「只今関西地方で地震がありました。」と大慌てでやっているのですね。それで揺れた時間から距離でみると「あっ、これは大阪より向こうだな。大阪がゆれてから家が揺れたから」と分かったんですが、それでもあれぐらい揺れるというのは大変なことだったんです。
それで分かったことは、地震が起こったのは非常に狭い地域なんです。それが、そこに百万を超えるものすごい数の人間が住んでいたからあんな被害が起こったわけで、椎葉みたいなところであったら、済みませんけれどあんな犠牲者は出ないのですよね。宮崎で起こってもあんなに犠牲者は出ないだろうと思います。ああいう狭いところへあれだけの人間が集まるシステム自体にも問題があると思うのです。
その狭いところへ、山村や世界中からエネルギーを集めまわって供給していく。地方や田舎からのものを皆んなそこのところに持っていくことが「いいことだ。いいことだ」と教えて回り、走らなければいけないようなシステムになっている。ものすごく危ないシステムになっているような気がするのです。
日本は、油の上に浮いているような国です。化石燃料ばかり運んできては使っているというのは、そう長くは続かないと思うのですね。今のままで石油を使って45年といわれます。アジアがこれから急速に発展しますと、そこで使えばおよそ20年しか持たないわけです。それまでは、まだここにいらっしゃる方は生きているのですよね。子供たちも大変な時代を迎えるわけです。それで、どうやるのかということを本気で考えなければいけない。
石油は、製造しなくていいから便利ですね。あれは地球が貯めこんだものを勝手に掘り出してくればいいのですから。本当はその分を造らなければいけないわけです。造らなくて平気で我々は使っているという状態ですね。自然が造ったものを自然が補給してくれる分だけ使わせていただきますよということをやっていたのは、尾前さんたちがやってきたことです。「ここは休猟区ね。捕っちゃいけないよ。」という仕組みをちゃんと作ってきたということなんですね。このような仕組みというものを我々は新しい社会の中でもう一回作り直していくということをやらなければならないだろうと僕は薄々感じています。それには、まず、山村や田舎というところから作り直していくことを着実にやって頂ければ、都市は一度つぶれてもいいんじゃないかと思います。

秋本 はい、ありがとうございました。都市がつぶれてもいいというのも困りますが、これからは、田舎や山村の時代がくるという認識が私たちにもあります。今は過疎で喘いでいますが、これからは山村や田舎から情報を発信することが必要で、山村の出番が近づいているように思います。 ところで、先程「飽く事なき欲望をほどほどに」という言葉が出ましたが、仏教や神道のお立場でそこのところ何かあればお話ください。

精神崩壊の危機
寺本 今年の2月頃、作家の司馬遼太郎さんが亡くなりましたが、この方が亡くなる前に言っておられたことが「日本は今成熟峠から下りはじめた」ということです。「これは美しき成熟で終わればいいが衰退にかからねばいいが。」こうおっしゃっていました。
先程の「若い物が」という話ですが、実はわたしの若い頃を反省してみましても、若い過ちを犯していたことが今になってわかるのですね。私の若い頃、昭和32年から3年間アメリカのロスアンジェルスで生活をしました。アメリカが一番栄えていた時代です。為替レートが1ドル360円時代で、羽田からブロペラ機でハワイ経由で30時間かかって到着するというようなことでした。
アメリカでは、自動車がいたるところに捨ててあるのに驚きました。日本では、自転車が家にあるかないか、単車が西臼杵郡内に何台あったでしょうか。そんな時、アメリカでは、手の裏を返したような生活があったものですから、もうびっくりして、アメリカは凄い国だと思いました。物は、使っては捨て、使っては捨てる。ゴミと同じです。街角ではオーバーとか背広、靴などがまだ使えるものをたくさん捨ててあるのです。それを日本に送っていたような時代です。
その3年後、日本に帰って生活を始めた時、母から「もっと物は大切にせにゃ」と言われました。私は、「物は使い捨てにしなければ、物は安くならない」と、こういう返事をした覚えがあります。
このように、自分自身が大きな過ちを起こしているから「今の若い人たちには、そういうことが分からんだろうなあ」と一面同情みたいなものがありますが、もはやそういうことでは済まされない時代になってきておると思うわけです。
最近、梅原猛という学者が「3つの世界の危機、日本の危機」ということを言っておられます。一つは核の危機。二つは環境破壊の危機。三っつ目は、精神崩壊の危機です。この精神崩壊の危機というものが実は一番恐いのではないかと思うわけです。精神崩壊の中には、先程からいわれておりますように、物を大切にできない心や、自然を軽視するというようなことだと思います。
西洋の思想は、自然を征服して豊かな文明を築くということが目標であったようですが、これは限界がきて、自然との調和、自然への畏敬の念というものを今こそ持たなければならない時代にきていると思うのです。孫子の時代はどうなるだろうか。果してこの地球はこのまま存続できるであろうか。こういう杞憂とも言えない心配をしておるところです。
そうしたなかで梅原さんが言っておられるのは、仏教の「空」の思想、「自利利他」の思想、これをもっと拡めなければだめだと、結論としておっしゃっているのが特に私の心に残っているのでございます。まあ、空の思想というものをお話しますと大変長くなりますのでできませんが、「空」というのは「そら」と書いてクウと読み、これが仏教の根本思想でございます。梅原さんの書物には「共生と循環の哲学」というこの頃出た本がございますので詳しくはそれをご覧いただけたらと思います。

神楽は地域の遺伝子
後藤 先程、秋本さんがおっしゃった「地域の遺伝子」という言葉ですね。僕は、それが昨日拝見した神楽にあるのではないかと思いました。 一つは、太陽というものを自然界の中で最も重いものとして受け止めて、それを神格化していく。あまねく人々に恵みというものを平等に与えていくものを天照大神の心としてたとえてあるわけです。それが、「天の岩戸開き」に天照大神様を隠れさせてはならないということでお神楽となっているわけです。
その「天の岩戸開き」の前に、「岩くずし」という神楽がありました。すばらしい剣を持った舞でした。あの剣は「水徳の剣」といいまして水の力を讃えるお神楽なんですね。そうしますとあの2番続いた神楽の中にも、すでに太陽と水という、非常に私たちの生活、生命に最も深いものがあの神楽の中に遺伝子としてきちんと我々に示されているということです。
私は、この地方の神楽というのは、実は21世紀の世界の人たちが、それを観ることによって、さまざまなヒントを与えてくれる情報を発信しているのではないかという気がいたします。そして、日本はその天照大神様の子孫といわれている天皇様が国を治めてこられた。先程冒頭で、天孫降臨の稲を蒔いた話をしましたけれど、今年の10月2日に天皇陛下が春にご自分で植えられた米の稲刈りをなさっておられた。これは、神宮の神嘗祭(かんなめさい)に奉納なされるのですけれども、遠い昔に自分の祖先が、日向の高千穂にもたらしたお米が今年もこのように実りましたという報告のおまつりをしておられるわけですね。このように、今もこうした神話が生き続けている国というのは、素晴らしい国だと思うのです。

雑草という植物はない
今は亡き昭和天皇様のエピソードをご紹介したいと思います。昭和天皇様がある時に「平和」についてお話をなされたことがあるそうです。「平和」とは、戦争がないことだけが「平和」だろうかという議論が出た時、天皇様は「国と国とのハーモニーではないだろうか」とおっしゃったわけです。それは、今、寺本先生がおっしゃった「自然と人間の調和」という言葉に置き換えてもいいんじゃないかと思います。
それから、昭和天皇様は、生物学の研究者でもございます。実はわたしの友人が昭和聖徳財団の事務局長をいたしておりまして、昭和天皇様は素晴らしい生物学の研究成果を残しておいでだといっておりました。それは、世界の学者が目を剥くような膨大な資料を集めておられるということです。
昭和天皇様は、たとえば海辺で海草とか海の生物を採集された時、顕微鏡等で調査なさるわけですが、その時絶対に必要以上のものは採ってこられなかったといわれます。それから、研究が終わると生きているものは必ず元の海に返されたということですね。これは、今の話のなかで自然というものに対する時に、考えなくてはいけない慎みといいますか、最低限のモラルをお示しになったのではないかという気がします。
天皇様が、全国のあちこちに巡られると、その地域の偉い方々がご案内をなさいますが、天皇様は生物がお好きですから、草木の質問が多いんだそうです。案内される方に「これは、何という植物ですか」と質問された時、自分が知らない植物を「それは、雑草でございます」と答えたそうです。そうしましたら、天皇様は、お帰りになってから図書館で一生懸命調べられて「これは何々科の何々という植物なんだ。これは珍しい植物だよ」と、側近の人に言われ「実は雑草という草はないんだよね」と言われたというのですね。こういう昭和天皇のご精神というものを日本人はちょっと知らなさ過ぎるのではないかという気がいたします。
それから、神道について私が思いますのは「つながりの宗教」ではないかということです。神社で行われる「おまつり」というのは、ただ単一に一人の人間の救済とか悟りとかいうのではなくて、地域共同体全体がもれなく繁栄するためのおまつりなんですね。つまり、地域共同体とのつながりです。
第2に自然とのつながりです。神道の神様というのはただ人格的な、大国主の神とか管原道真公など、名を持った神様だけではなく、山にも川にも海にも野にも神様はいらっしゃる。当然動物や草花にも神様の命は宿っておる。むしろ、神の命から人間も自然も生まれてきたのだという自然とのつながり。
それから3番目に先祖、あるいは歴史とのつながりです。ある地域において行われるおまつりとか、お神楽というものは遠い昔の神話やその地方の歴史に根ざしたものがおまつりとして残っていることが多い。そのつながりというものがだんだん失われつつあるのが現代ではないかという気がします。

フロア ワンベアさんのご出身について、もう少しくわしくお聞きしたいのですが。

白人は遊びでインディアンを殺した
ワンベア 部族のことですね。私の部族は二つあります。父と母は違う部族からきています。
父は、カリフォルニアインディアンでロスアンジェルスの近くのサンタバーグラーとベントラーとの間にチューマッシ(CHUMASH)というところのかなり大きい部族でした。昔は5万人位居りました。今は100人位しか残っていません。皆んな殺されました。殺されたり、酒や梅毒で白人から犯されたのです。
その時代は、白人はインディアンを殺すことに何の抵抗もなかったのですね。我々インディアンは、動物にしか見られてなかったようです。動物と同じように殺しました。たくさんのカウボーイたちは、酒を飲んで酔っぱらって遊びとしてインディアンを殺しにきたのですね。そして、政府は何もしなかった。だから、今はほとんど残っていません。この部族は、カリフォルニアだから海の近くです。だから、ほとんど魚と鯨を食べていました。鯨はよく捕っていました。大きな船を造っていましたですね。
母は、今はネスピレスというアイダホ州とモンタナ州の近くにあるリザベーションが出身です。ネスピレスの正しい発音はネイペレスです。フランス語ですね。この部族は、昔、川の中の白い貝を採っていました。この貝に穴を開けてピルスにして飾っていました。それは、大変きれいだと昔は思ったのですね。その貝を一番最初に見つけたのはフランス人だったのでア・ピルス・ノウス・ピープルと言うことからネイペレスと呼ぶようになったのです。今は、アメリカの呼び方でネスピレスと言います。この二つの部族出身です。

秋本 どうもありがとうございました。何だか凄い話で悲しい歴史がありますね。さて、残り時間も少なくなりましたが、寺本先生もう一言お願いできますか。

名著、歎異抄
寺本 先程、秋本さんから歎異抄のことが出ておりましたので少しお話します。歎異抄と言うのは、親鸞の弟子の唯円(ゆいえん)という人が弟子の間に信心のあり方について、いろいろ間違いがあったのでそれを但して正しく残そうと言うことで唯円が書き残したもので、これは素晴らしい名著です。
もし、どこかの離れ島に一冊だけ本を持って行くとして、何を持って行くがよいかと問われると、昔の人は大概この歎異抄と答えた程の非常に深い内容の本です。
今でも、私、ある女の先生にこの本を一冊貸してあげましたらですね。その方が「私はこれで人間が変わりました。これまで、非常に暗い人生でしたけれども、これを契機に世の中が明るくなりました」とおっしゃって、このように人生の大転換をなされた方もあるほどの内容です。
この中には、いろんなドキッとするような言葉がございまして、あまり深くものを知らない人は、これを読むと子供に刃(やいば)を持たせるようなものだから、読ませてはならないという蓮如という人の言葉もございます。例えば、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」なんてですね。そのような言葉もあります。
ワンベアさんがおっしゃった「この世は夢の世で、あの世が本当の世だ」という、これもの思想の中にございまして、この世は仮の世「化土」(けど)というふうにいわれております。「命が亡くなってもあの世に行って、またこの世に立ち返って私たちを導いてくれるのが先祖だ」という、これが大きな特徴でございます。専門用語で「還相回向」(げんそうえこう)という言葉です。これが、一つの輪廻転生の中の言葉にも当てはめられるのではないかと思います。輪廻転生そのものは、衆生が三界六道に迷いの生死を重ねてとどまることなくぐるぐると廻ることを一般的には輪廻転生といわれますが、それをもう一歩も二歩も進んだ世界が浄土という思想であります。
昔の人は、お山に登られるとき「六根清浄、六根清浄」と言いながら登ったものです。この言葉は、今は言う人がいません。「六根清浄、六根清浄、お山は晴天」というのです。六根というのは、私たちのいろんな悩みの元は、眼、耳、鼻、舌、身、意で「ゲン、ニ、ビ、ゼツ、シン、イ」と読みますが、この六根を清らかにすることが、悩みを少なくしていくことだということで、山岳信仰などで修験者は、この六根清浄を唱えながら登ったわけです。皆さん方も山に登られる時には、この言葉も思い出されるとよろしいと思います。この言葉が縮まって「どっこいしょ」というふうに変わったと言われております。

秋本 なるほどですねえ。今日は目からうろこが何枚も落ちているようです。神道も仏教も自然界とのかかわりあいの中から凄い精神世界を築かれてきたものですねえ。さて、あともう少し言い足りなかった方はいらっしゃいませんか。

生物は年に五万種も絶滅している
原田 先日聞いた話ですが、地球上の生物や動物は、アミーバーを除いて2百万種いるそうで、それが1年に5万種づつ絶滅しているということです。また、その後、宮崎県総合博物館で行われました「日本の消えいく植物たち」というのを見ました。これは、大変反響を呼んだ展覧会でしたが、それによりますと日本の野性植物は、6種に1種づつ消滅していっているという、これまた大変ショッキングな数字でした。人間と生き物たちが共存していく上でこのような危機に何とか歯止めをかけないといけないと、強く思いました。
ここに来る前にこの一ヵ月間の地元宮崎の宮崎日日新聞の投書欄を読んでみました。すると、自然に対する皆さん方の投書は多いですね。林業の後継者問題や山の植物をだまって持ち出すなとか、原発問題からその他たくさんあります。皆さんの全部関心がありながら、実際は大きなウェーブにならないのですね。
だから、これはもっとお互いがしっかりスクラムを組んでやらなければならないことだと思いますが、その根っことして、やはり家庭と学校と社会の教育の場というものに入っていくことが大切だろうと考えます。
ですから、こうしたシンポジウムや霧立越の体験ができるこの企画は、大変意義があるというところに私は話を帰結したいと思います。

中川 先人たちが受け継いだものを僕たちは、それにアルファして受け継いでいかなければいけないと強く思いました。僕たちがつくっていけると思います。そうでなければ何かもったいないような気がします。もっといろんな可能性もあるはずだし、そのために僕たちは生きていると思うのです。そうでなければいけないですね。奢ってはいけない。自然と共存するとは一体何なのかということを常に忘れないで生きていくことが必要だと思います。

フロア 私も同じ意見です。結局は、人間のために自然はあると言うことに なりがちですが、私はそうではないと思います。ワンベアさんがおっしゃった「生き物はすべて親戚なんだ」ということですね。人間の欲望のためだけではなくて皆んな親戚なんだと言う言葉に私は感動を受けました。

秋本 今日のお話は皆さんそれぞれに胸の内に深く受け止められたことと存じます。明日は更にこの思いを胸に、霧立越を歩いてブナの原生林の感触を確かめていただきたいと思います。昨日から明日迄、長時間にわたるシンポジウムのご協力ありがとうございます。それではこの辺で終わりにさせていただきます。ありがとうございました。


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第13回霧立越シンポジウム
九州脊梁山地文化圏
平成22年10月24日〜25日


第12回霧立越シンポジウム
『柳田国男100年の旅』
平成20年7月19日〜21日




第11回霧立越シンポジウム
『自然体験とインタープリテーション』
平成20年5月10日(土)〜11日(日



第10回霧立越シンポジウム
西南戦役130年
平成19年4月21日〜23日



第9回・霧立越シンポジウム
過疎山村の町村合併を考える
2002年11月22日



第8回 霧立越シンポジウム
幻の滝を考える
2002年7月20日〜21日
 


第7回 霧立越シンポジウム
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第6回 霧立越シンポジウム
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1997年11月2日
 


第5回 霧立越シンポジウム
森とくらしのあり方を探る
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第4回 霧立越シンポジウム
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第3回 霧立越シンポジウム
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第2回 霧立越シンポジウム
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1995年10月2 1日
 


第1回 霧立越シンポジウム
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2009.03.10〜