霧立越

kiritachi-net



霧立越ドキユメント

幻の滝探検記


滝の音が聞える
 2001年3月12日。残雪の霧立越を私たちは扇山に向っって歩いた。日陰の雪は軽く、ぐぐっと音をたてて膝まで入るが日向に出ると重たくなりシャーベット状でくしゃくしゃと音を立てながら歩く。頭上ではヤマガラやホオジロが梢の膨らんだ固い蕾をついばみながら賑やかに鳴いている。根雪に覆われた霧立越のブナの森はとても静かで美しい。

 目標の扇山は標高1661mで山頂には風雪に耐えたシャクナゲやドウダンツツジ、ミヤマホツツジなどがまるで造られた庭園のように背をまるめて樹形を低くし、浅い表土にしがみつくようにしている。ここからの眺望はすばらしく、阿蘇や九重、祖母、霧島、国見岳など九州の主要な山々が一望のもとにに見渡せる霧立越のビューポイントである。

 扇山に到着して山頂に立った時、椎葉で民宿「龍神舘」を経営している椎葉英生さんは、「ここにはどこからともなく滝の音が聞えるという話がある」といった。「雨季で水量の多い時だと思うが滝の音のような水の音を聞いたという人がいる」というのだ。彼は「霧立越の歴史と自然を考える会」の副会長をしてもらっている。この日は会が主催する「霧立越山開き」で30人ほどのツァーのガイドをしてきた。根雪が浅くなる3月の第2日曜日に登山口で神事を行ってその年の霧立越トレツキングを始めるのである。

 行政による山開きもある。それは5月の第2日曜日でシャクナゲの花の季節に行なわれる。私たちは、それとは別にその年の歩き始めの日にも山開きを行なうことにしているのだ。ブナの原生林に覆われた「霧立越」はあらゆる生きとし生けるものが共生する聖域である。神聖な森だ。12kmのトレツキングコースでは予期しないトラブルに遭い身の危険がせまることもある。神事を行なって「山の神」や「生きとし生けるもの」に山への立ち入りを許してもらい、今年の登山者の安全を祈願して敬けんな気持ちでお神酒を捧げることから始めるのである。そうするとなんとなく気分がさわやかになるのだ。

 「扇山に滝の音が聞える?そんな馬鹿な」そう思って双眼鏡を取り出して残雪の残る遠くの山々を覗いた。ブナ林の斜面をなめるようにレンズをゆっくり移動していると、白いものがチラッと見えた。「もしかしたら滝ではないか」。まさかと思いながらレンズがぶれないようにしっかり両手で持ちなおし、目を凝らして焦点を合わせて見ると木々の間に黒い絶壁が剥き出しになり、そこには縦に白い布を引いたようなものが見えるのである。白いものが水であるとするとそれは滝に違いない。それも結構大きい。

 私は、双眼鏡を覗きながら「あれは滝ではないか」と叫んだ。その声に近くにいた人たちが寄ってきた。その人たちにも双眼鏡を渡してかわるがわる覗いてもらうと皆んなも「滝ではないか」という。それにしても1661mの山頂に音が届くとはただごとではない。側で見ていた椎葉英生さんは「いつか泊まった釣り客が4時間ほどかけて険しい谷を遡行して釣りに入ったという話しを聞いたことがある。この付近はとても険しいらしいですよ。地元の人も入らない。」という。そこで、いつか滝探しをやろうと話し合った。

 4月になり、霧立山地固有種となったキリタチヤマザクラの発表会を行なうため「霧立越の歴史と自然を考える会」の総会を開いた。席上、扇山から双眼鏡で覗いた滝も探検しようと「アドベンチャー・幻の滝を探して」と題したイベント企画を提案した。すると出席者は興奮気味になった。その場で理事の黒木勝美氏や霧立越インストラクターの吉村梅男君たちは、目標地点に近い木浦集落の親戚や知人などに電話を入れて情報収集する。が、どうも誰も行ったことがないらしい。黒木勝美氏は、数年前まで椎葉村役場の助役を勤めていたので彼が知らないということは地元も知らないということである。

 「面白い、探検しましょう」ということになったが地形が険しいという不安もある。「下見しなければぶっつけ本番では危険ではないだろうか。」などの意見も出たが、下見したら探検にならない。イベントの日が下見で、見つからなければもう1度チャレンジするということにして5月17日を決行日とした。報道関係者にもFAXで案内状を送った。「行きたいけれども日程の都合がつかない、他の日にはできないだろうか」などの電話があったが、あちら立てればこちら立たずでそのまま決行することにした。報道関係では、朝日新聞社のカメラマン氏から参加の連絡が入った。




はやる気を押さえて
 2001年5月17日。霧立越の歴史と自然を考える会の会員7名とカメラマン氏の計8名が木浦谷を渡る橋に集まった。 橋の近くには、この土地の地形にもっとも明るいといわれる那須和美さんが住んでいる。数日前ガイドをお願いに来た時は、はっきりと承諾がもらえていなかったので再び自宅を訪ねた。氏は自宅近くで椎茸原木の手入れをしていた。

 「なんとかなりませんでしょうか。」といいながら地形図を広げて目標としている位置を説明する。ツァー参加者全員がその地形図をのぞきこみながら口々に「お願いします」という。すると笑いながら立ち上がって傍らからリュックを取り上げられた。ちゃんと準備して私達が来るのを待っていてくださったのである。「良かった。これで8割方成功だ」と思った。

 橋の袂から右岸渓谷沿いには作業道が入っており、その入り口にはワイヤーが張られてカギが掛かっている。「やまめ釣りや山菜採りが車で入って荒らすのでカギをかけている」といいながら那須和美さんはワイヤーを外し私たちの車を誘導した。上流域の森林は彼の土地が多く、この作業道は彼が管理しているという。車の通ることの少ない作業道は、わだちの跡が深くえぐれ中央部は盛り上がってオオバクなどの草が茂っている。車は、草を跨ぎながら谷川沿いにくねくねと上って行く。「よかった。これで随分時間が稼げる」。当初は、谷を遡行する予定であったので嬉しくなった。ほどなく道路は左カーブして急坂路となったところで右に下る分岐が見えた。そこを下るとすぐ目の前に草が茂る広場が見え、車はその草むらの中に乗り入れた。以前は水田であったらしい。B地点である。 車から降りてそれぞれ荷物の点検をはじめる。さあ、いよいよ探検開始だ。行く手にはどんなことが待ち受けているだろう、想像もつかない。皆んな興奮気味だ。「先ずは出発前の記念写真をとろう」といって私はデジカメを取り出した。ファインダーをのぞきながら「この姿で全員無事に帰れるだろうか。」と一抹の不安がよぎった。それを打ち消すように「それでは出発しまあす。」と元気良くスタートする。ガイドの那須和美さんが先導してスタスタと杣道に分け入った。




廃道をたどる
 駐車地点から土手を降りるとすぐ谷川である。その沢を渡って右手の山の中に分け入っていく。あれあれ、逆な方向ではないかと地図を見ると、本流の右岸にある支流を跨いでいた。本流沿いにはまだ道があるらしい。当初から沢登りを覚悟していたのでありがたい。草の茂る歩道を歩くと右下に美しい渓流が見え隠れする。やまめ釣りには絶好の場所だ。岸辺のところどころに平らに開いたような地形が見え、そこには杉がまっすぐ伸びている。水田の跡か民家の跡に植林されたものらしい。生活の痕跡を感じた。

 延々と続く廃道は、やがてもう一つの谷川へ降りた。この谷川も本流の右岸にある支流だ。C地点である。地形図を見るとここから霧立越ルートにつながる古道が尾根伝いに上っていることが記されている。しかし、その古道はもう荒れ果ててほとんど道の痕跡は残されてはいない。さらに沢伝いに進むとその道は水量の多い本流に下りた。土手の崩れた土の上に人の足跡らしい痕跡があり、ミツバウツギの枝が折られている。やまめ釣りがここまで入ってくるのであろう。

 水につかりながら谷を渡って左岸に上がり、つづらおりの道を上り始めた。谷が遠ざかっていく。この付近からは獣道のようになり、よく確かめなければ道を見失ってしまいそうだ。長い間、人も通ってなさそうである。ガイドの那須和美さんは、鉈を取り出して突き出したスズタケや蔓を切り払いながら進む。

 クヌギ林へ出た。D地点である。林床には茶の木があちこちに育ち、若葉が大きく伸びている。以前は作物の栽培が行なわれていたところのようだ。遠くて不便なため畠のあとにクヌギが植栽されたのであろう。林間にすくすくと伸びるお茶の葉も摘まれることはなく自然の樹形で育っている。ここまでは、地元の人たちが使った道の跡が残っていた。クヌギ林を過ぎると道らしいものはなくなり、スズタケを刈り払いながら本流の谷へ降りる。



獣道の遡行
 ガイドの那須和美さんは、ひょいひょいと岩から岩へ飛び渡ると右岸の山へ登り始めた。皆んな必死になって這いつくばりながら後を追って登る。谷が遠く見えるようになって今度は谷川と平行して杣道を辿る。もう、ここは道という道ではない獣道である。ほとんど垂直に近いような斜面にシデやミズナラが林立している。足の下100mほどのところに見え隠れする渓谷は、ところどころで白い泡を光らせている。滝の音が一段と高く聞こえ始めた。樹間から谷底を覗くと高さ20~30mもありそうな滝が見えた。谷水がどうと落下し、丸い滝つぼを造っている。多分ヤマメはこの滝までであろうと思う。この高さではヤマメが上れるはずがない。これから先は、釣り人も入らないところだ。

 「ゆっくりでいいから足を踏みはずさないようにっ」「つかまるものは枯れていないかよく確認してからつかまってっ」と振り返りながら叫ぶ。突き出した木の根や垂れ下がった蔓を掴みながら足の幅ほどの獣道を踏んで一歩また一歩と進む。小さな谷川に出た。ここも本流の左手から流れ落ちて合流する小谷だ。その美しい流れに口をつけて呑む。美味しい。冷たい水は汗みどろになった体を癒してくれた。地図を見るとE地点らしい。

 「ここを渡ったら、本谷に下りたほうがよさそうだ」。先導の那須和美さんは鉈でスズタケを払いながら進む方向を決めてどんどん先へ行く。やがて平坦で広い川原へ降りた。




人跡未踏の地
 川の両岸はシオジやクルミが繁る原生の森だ。全く人の痕跡はない文字通りの聖域である。疲れた体を引きずって川原の岩に腰をおろしコンパスと地図をリュックから取り出す。コンパスのNに合わせて地形図を開き、曲がりくねって流れる谷川の方位と等高線を読んで現在地を確かめる。標高1000m付近で、地形図は正確に私達がいる広い川原を表していた。「もうすぐだ」期待に胸が高鳴った。やがてF地点の壁に到着するはずである。

 F地点とは、白岩山の南にあるピーク(1626)から南東の深い谷間に向かって下がる尾根の基部で、尾根は谷の上で左右に別れ、三角形をした壁となって立ちはだかり、北に向かって上がる谷を左右に振り分けている地点である。その壁の右側に突然水が湧き出したようにして真っ黒な崖に白い布を引いて落下している姿が扇山山頂から覗く双眼鏡に映ったのであった。

 広川原で腰をおろして一息ついていると、ガイドの那須和美さんは「これから先は猟師も入らないところだ」と、ぼそりとつぶやくように言った。和美さんは、この地に最も詳しい地元の猟師でもある。これまで登ってきた土地の半分位は彼の土地だったという。椎葉では、土地の面積の単位が100町(ha)単位で説明されることがある。広大な土地の所有者なのだ。無口であまりしゃべらないが、彼の一挙手一投足はすべて無駄がなく正確で、獣のような鋭い土地感を持っていることがわかった。その彼が立ち上がりながら「おなごはここまでのほうがええ」と息の下で私だけに聞えるように言った。

 このツァーには二人の女性がいる。一人は近くの旅館のおかみさんで、もう一人はこの会の事務局をしてくれている女性である。二人ともまだ若くて美人だ。このアドベンチャーにあこがれて参加し、これまで2時間ほど険しいところをよじ登ってきたが、見る限り高所恐怖症ではないらしい。崖の上を平然と歩く姿を見てびっくりしたほどだ。だが、彼の一言には参った。彼は正確に地形を読んでいるのだ。「どうしょう。困った。」真剣になって私は二人の女性を見やった。「元気にしている。残すのは可愛そうだ。ぎりぎりのところまで行ってその時判断しよう。」私は彼の忠告を無視して「さぁ、もうすぐだ。出発しよう。」と立ち上がった。




消えた滝
  人跡未踏の美しい渓谷を、遡行ルートを探しながら岩に這いあがったり水の中を歩いたりして右に左に渡りながら上っていくと、ほどなく正面に行く手を阻む崖が見えてきた。F地点である。ここから谷は直角に右と左に分かれる。そこを右にとるとその曲がった谷の先の方の左に滝が見えるはずだ。両岸にそそり立つ絶壁に挟まれた幽谷の地形がもたらす雰囲気は「白い布を引いたような美しい滝」の出現イメージを一層増幅させる。

 先行者に「そこを右に曲がるともうすぐだぞおう。まだ滝は見えないかあー」と声をかけるが返事がない。先行者の足跡を辿らず膝まで水につかりながら急いで追っかけ右の谷に入る。その谷を遡行するが、見えない。なぜだ。目の錯覚だろうか。姿を現わすはずの左手壁に滝がない。消えたのか。更に谷を行くとその先も正面は絶壁である。その絶壁に向かう谷は突然消えたように無くなっている。先行者はどんどん先へ進んで見えなくなった。

 谷はその絶壁の前で鋭角に左に曲がって立ちはだかったF地点の壁の裏をかけあがっている。荒々しい岩場の足元に視線を落すと、そこには谷の流れの水際から数メートル引きあがったところに落ち葉が波打つように積み重なっている。増水した時の水面の位置だ。その痕跡は生々しい。鉄砲水の跡だ。これから上流は一枚岩の狭い谷となっているため一雨降れば瞬時に増水して鉄砲水となる地形だ。思わず崖に挟まれた狭い空間の空を見上げた。曇ってはいるが、幸い今日は雨は来ないだろう。もし、雨になったら。これから先は非常に危険だ。轟音を発しながら真っ白の水が谷を埋め尽して上から落下してくる恐ろしい光景が脳裏をかすめて思わず戦慄が走った。




高まる不安
 谷が鋭角に左に曲がったそこには、先行者について行った女性二人が座っている。「どうした」と尋ねると「ここから上には上がらないほうがいいと言われたのでここで待ってます。」という。見上げるとごつごつした岩がいかにも険しいぞというように突き出している。でも、なんとかもう少しは登れそうだ。「怖いね?」と聞いたら「まだ、大丈夫」という。「もうここまで来たんだ。行けるところまで行こうよ」と促し登り始めた。足の指がかろうじてのるような岩のひだにつま先をかけて、手をかけられる割れ目を探しながら左岸の岩盤をよじ登って行く。荘厳な岩場に圧倒されてなんだか頭がくらくらしてきた。酔いがまわった時のように遠近感が不安定だ。「大丈夫だろうか。この判断は間違っていないだろうか」。しだいに不安が高まってきた。

  落ち込みの上の段にたどり着いた。巨岩の間のあちこちから水しぶきがほとばしって落ちてくる。谷はその上から右に回って先は見えない。そこで右岸に渡り遡行ルートを目で探す。乾いた岩が濡れている。ガイドの那須和美さんら先行者の足跡だ。つかまるところがない。登れるだろうか。もはやこれまでか。残念だが危険だ。今日はこれで終わりにした方がよさそうだ。先行者の帰りをここで待つか、先行者にも退却を伝えるか、いくつかの判断が頭に浮かぶ。思案していると上の岩場に見え隠れしていた先行者から「おーい、滝が見つかったぞお」という声が届いた。

 とたんに元気になり、迷いが切れて勇気が沸いた。先行者のところまでなんとか登ろう。「もうすぐ滝が見える」と思うと正に火事場の馬鹿力で、先ほどひるんだ岩場をどこをどう登ったかも分からないほど全員が簡単に登ってしまった。先行者が待つ巨岩の上にたどり着く。見上げると真上から白い水が右に左に段をつくって落ちてきている。しぶきは霧となって立っている巨岩の上を渦巻き、帽子や袖の布地に水滴を作る。皆んな顔を紅潮させて興奮して見上げている。「うーん。でも扇山から見た滝とは違うなあ」。滝の全体像が見えない。しかし、そこから上は到底登ることができない壁がそびえて立ちはだかっている。時計を見ると12時だ。皆んな疲れている。無理をしては行けない。「とにかく丁度お昼だ、ここで弁当を食べてどうするか考えよう」と言って岩の上に腰を下ろした。

 椎葉村の前助役でこの会の理事を努めて引っ張ってくれている黒木勝美さんが、リュックから白い液体の入ったペットボトルをとりだした。「先ずは、滝の発見おめでとう。山の神と水神さんに捧げようとこれを持ってきた」と高く掲げ、皆んなに注いでまわった。彼は節目節目に恐ろしく機転の利く行動派の男である。一見して秘伝のどぶろくとわかった。私たちは、敬けんな気持ちになって祈るように乾杯した。旨い。熟成したそのどぶろくは、おかれた環境と共にこれまで経験したことのない深い味わいがあった。少し酔いを感じた。かなりアルコールがきつそうだ。あまり呑むとやばいぞ。




崖の恐怖に挑む
 弁当を開いたがどうも落ちつかない。迫る岩の壁と落ちてくる水を見上げていると恐怖感がわく。ガイドの那須和美さんと副会長の椎葉英夫さんは、弁当を開かずに遡行している。右岸の雑木林をよじ登り、崖の中段を右に巻いて上がり見えなくなった。とても普通の人が登れるところではない。大丈夫だろうか。

 しばらくすると、はるか上の方から人の声が聞えた。見上げると絶壁の上に人の姿があり、両手を大きく広げて〇を作ってみせる。「あった。目指す幻の滝はこの上だ」。けれども全員が登るのは不可能だ。残念だが、また日を改めて挑戦しよう。そう思っていると霧立越インストラクターの吉村梅男君が登り始めた。彼の身のこなしは、ほとんど猿に近い。ある秋の夕方、近くの国道に掛かっている橋の中央付近で欄干に足を踏ん張って何かを引っ張って座っている男がいた。びっくりして車を止めてみたら、その男は、かの吉村梅男君の足首を掴んで引っ張っているのだ。彼は、欄干の間から橋の下に逆さにぶら下がりスズメバチの巣を獲っていたのである。

 するすると彼の登る姿を見た会の書記をしている秋本良一さんが今度は登り出した。良一さんは仕事の都合があって出発が少し遅れたが彼のために付けた目印を目ざとく見つけながら足跡をたどって追いついてきたのだ。「石が落ちるかも知れないからこの下から避けて」と上から声がする。「無理をするなよー」と下から声をかける。事故が起きなければいいが。と、祈るような気持ちで見つめているとやがて二人とも崖の上の茂みに消えて行った。

 「行きたいけれどこの絶壁ではとても全員は無理だなあ、しかし、これまで登ってきた岩場も下れるだろうか」。夢中で登ってしまったことにしだいに不安が増す。先行者の無線にコールすると、その滝はすばらしい滝だという。行きたいと思う。すると一つの案が浮かんだ。「そうだ、ロープだ。念の為ロープを準備していたのだ。それも先行者のリュックに入っている。ロープを張って掴まるところをつくればいい」。無線で連絡をとるとやがて崖の上に黒い人影が見えて崖の中段まで下りてきた。

 右岸の雑木林を登って崖に移るところと、崖の中段を横に巻くところの二箇所が危ない。上からロープが降りてくる。「ロープは手に持っていては危ない。どこか丈夫な木の根か岩角を探してしっかり結ぶように」と声をかける。それからは、皆んなもう夢中で登り始めた。ロープのおかげで先ず最初の難関は全員突破できた。次ぎは崖の中段を横切るところだ。足場がなくて、掴る木も無い一番の難所である。下を見ると切り立った崖、立っている足場は足の幅があるかないかの岩の小さな突起部だけである。腐葉土が少しのっているのがその土がずれたら転落である。「下を見ないでっ、足場だけを見つめるようにっ」後続の人に声をかけたつもりで自分自身にも声をかけている。身震いして立ちすくむような崖をそろそろと30メートルほど横切るとそこにはスズタケが茂る土のある平地が優しく広がっていた。急いで土の上に逃げ込み、ほーっと大きく息をついて平地の上にいる安心感を味わう。




まぼろしの滝と対面
  全員の無事を確認して藪を抜けると、突然目の前に真っ黒な崖に白い布を引いたような滝が現われた。「やったあ」。「うわあ」。と、それぞれ歓声を上げて、あとは言葉もなく黙り込んで滝を見上げている。とうとう発見したのだ。言葉を交す必要もない。感激を皆で共有しハイになっている。その滝は正に扇山から見た布を引いたような美しい姿である。今は水量の少ない季節であるが右に左に落下する水は、絵に描いたように美しく躍動的である。しぶきを浴びながら見上げている内に「そうだ、写真を撮らなければ」、ようやく気がついてカメラを取り出して写真撮影を始め、測量用のコンパスを取り出して滝の高さの測量にとりかかった。そうする間に先導の那須和美さんは、早くも滝の右側尾根を巻いて滝の上に上がって下で撮影する私たちを見下ろしている。その姿はとても小さく見えた。声を上げてもまったく届かない。
 地形図を広げ位置を確認して納得した。滝が消えたように見えたのは、滝がF地点の壁の裏の上部にあったからだ。四方を絶壁に囲まれているので遠くからは見えるが近付くと見えなくなるのだ。水呑の頭(1646)を分水嶺として耳川に流れ落ちる沢の水が標高1200mから1050mまでの高低差150mを3段に分けてS字状に落下する滝であった。特に扇山から見えた3段目の滝は、落差75mもありその景観は黒い岩に白い水が映えて、まるで天女が羽衣をかけたような幻想的風景である。この滝から正面に扇山が見えた。



滝の伝説
  滝の右側の少し引き上がった岩場の間に10m四方はありそうな平らな部分があった。そのことをガイドの那須和美さんは「ははあ、ここのことばいな」とつぶやいた。「その昔、ある男がこの谷に迷い込んだ。すると滝の近くに家の間口が5間(10m)もある大きな家があった。その家に上がり込んだら床の間に高御膳のご馳走が準備してあった。男は恐ろしくなって逃げ帰ってきたげな」という。その時、その御膳を食べてこなかったので男には福が授からなかったと伝えられているそうである。

 また、「ある時、谷に迷い込んだら、一面にソバやキビが実っていた。そのキビを一房摘んで帰り、明くる日そのキビを摘もうとして再び奥さんと連れだってきたら、ソバもキビもなく一面にスズタケが広がっていた。そして、そのスズタケは穂首がみんな折れていたげな」という。また「遠くからみると白い衣のような布がかかっており、近付くと消えてしまう」という伝説もあるという。「谷に入り込むと鶏の鳴き声が聞えたげな」という話もある。この荘厳な地形は、単独で入り込んだら気がふれてしまいそうな凄さを持っている。幻想を見るようである。

 写真撮影や滝の高さを測量するするうちに帰りが心配になった。夢中になって普段考えられないような力が沸いて登ってきたが、今登ったルートは到底引き返すことはできない。考えただけでも身震いしそうだ。滝の上から見下ろしている和美さんのところへ行こうと滝の右側の山の中をよじ登った。滝つぼの上に出るには滝つぼの真上の縁を横切らなければならない。足場は小さく突き出た岩角だけでその下は宙になっている。眼下に落下している水は途中の岩に叩きつけられてしぶきと化している。見下ろすと体がふあっと宙に舞い吸い込まれそうである。全員がそこを渡ってしまうまでは生きた心地がしなかった。滝へのルートを造ってもここは絶対避けなければならないと思った。地形に詳しいガイドの和美さんは「これまで登ったとこは危ないのでこっちを行こう」といって滝の上の緩やか谷川をさっさと上流へ歩き出した。彼の後についていくしかない。しばらく谷を遡上して左の尾根に上がる。




帰路のアクシデント
 尾根で全員がそろうのを待つが二人足りない。「どうしたんだ」。吉村梅男君は登った谷を再び下りて探しに行った。待ちくたびれたガイドの和美さんは、尾根から左の方に先へ先へと進んで行き、姿が見えなくなった。「おーい」。遅い二人に呼びかけるが返事がない。耳をすませていたらしばらくして滝の方角から声が聞える。遅れた二人は、滝から直接尾根を上がっていることがわかった。心配していた皆の顔がようやく明るくなった。写真撮影などで遅れ足跡を見失ったようだ。二人が到着した時、沢から上ってきた吉村梅男君は怒った。「どうして一緒に来なかったのか。単独行動は危険ばい」と。

 そして、今度は吉村梅男君が先頭になり先行した和美さんの跡を追った。南に下がる尾根をどんどん下って行く。どうもへんだ。崖の上に向かっているような気がした。「おーい。吉村君。間違い無いか。和美さんの跡をしっかり確認しているか」。私は、後から声をかけた。皆でわいわい言いながら行動している時は注意しなければならない。誰かが確認しているものとお互いに思い込んでいることがある。

 こっちこっちといいながら先導して降りていた吉村君が立ち止まった。「おかしい。これは、どうも鹿の足跡を辿って来たらしい。」と言い出した。さっきまで自信満々で皆をリードしていた彼がしょんぼりしている。それにしてもどこから和美さんの足跡を見失ったのであろうか。引き返しながら手分けして和美さんが分け入った痕跡を探すが見つからない。「おーい。かずみさあん。」それぞれが呼び掛けるが返事がない。いよいよ深山に取り残されてしまったか。無事に帰れるだろうかと不安が皆んなを襲う。

 耳をすましていると「ヒー、ヒー」という弱々しいような、それでいて遠くまでとおる不気味な鳴き声が聞える。夜へんに鳥と書くトラツグミだ。鵺(ぬえ)とも読む。鵺はその昔、源頼政が紫宸殿(ししんでん)の屋根の上から弓で射落したら、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇のようであったという。転じて正体のはっきりしないもののたとえに使われる。夜中に気味悪い声を発して宙を飛び、姿を見せないためにそんな話が伝えられたのであろう。本来夜行性であるが、新緑のころは夕暮れ近くから飛びまわっている。不気味な鳴き声である。

 今度はツツドリが鳴いた。「ポオッポオッ、ポオッポオッ」と筒を叩くような声で鳴く。この声もなんとなく気味が悪い。カッコウに似た鳥でウグイスやメジロの巣に卵を産み付け育てさせるという不埒な鳥である。
 耳をすましていると他にも「ジュウイチッ、ジュウイチッ」とはき捨てるように鳴く声が聞える。ジュウイチだ。鳴き声が十一と聞えることからついた名前だ。夜中に目が覚めてこの鳴き声を聞くと幻想の世界に引きづり込まれることがある。これもツツドリの仲間でオオルリなどの巣に卵を産み込み自分で子を育てない托卵する鳥である。この鳴き声も寂しい。

 ホトトギスが鳴いた。この鳥は「テッペンカケタカと鳴く」とされているが当地では、「クワンサンカケタカ、クワックワックワ―」と鳴くためクワンサン鳥と呼ばれている。この鳥もウグイスが巣作りをしている季節に飛来し、ウグイスの巣に卵を産み落としてウグイスに育てさせるというきわめて不埒な鳥だ。いずれも深山幽谷のイメージを増幅させる鳥たちの鳴き声で私たちをあざ笑っているように聞える。

 怖くなった。どのようなルートで下山するのか詳しく和美さんから聞いていなかったからだ。もう、すべて和美さんにまかせていれば安心と思ってついてきたのである。「ここで迷ってしまったらどうしょう。今日は帰れなくなる」。背筋がゾーッとする。降りて来た尾根のルートを引き返して登りながら「おーい、おーい」と叫ぶ。するとかすかに返事が返ってきた。「静かに」といって耳をすますと左下の谷の方角からかすかに声が聞える。皆んなの顔色が戻った。

 声の方向に入って行くうちにスズタケや潅木を目印としてところどころ切ってあるのを発見した。ようやく足跡を見つけて下っていくと谷川に下りた。この谷も険しい。黒い岩盤の上を滑るように水が落ちて行く。崖の側面で足場を探しながらもくもくとその谷を下る。やがて谷は左に曲がり緩やかな地形となった。何か記憶にあるような地形である。「そうか。F地点だ。午前中はここから右の谷に入って行ったのだ」。それを逆の谷から降りてきたことになる。ようやく全体像が掴めて安心した。同時にどおっと疲労を感じた。




奇跡の生還
 午前中に休憩した広川原に降り立って全員元気な顔を揃えて休憩した。和美さんは「さあ、まだまだ遠いよ」といって立ちあがり、右岸の斜面を登り、スタスタと鹿のように進みだした。遅れないように後をついて行くとE地点の谷川に出た。その時、しんがりをつとめていた良一さんから無線のコールがあった。同行のカメラマン氏は、先発のグループにいるか確認してくれという。しんがりは先に降りていくカメラマン氏を確認して後から出発したが突然姿が見えなくなったというのだ。一番疲れていたのはカメラマン氏である。とにかく前方で確認できなければ引き返して探してくるので待機していて欲しいという。なんだか狐につままれたような話しである。もしかしたら転落。まさかと思うが不安が募ってきた。

 しばらくして見つかったという無線が入った。カメラマン氏は、先に出発していたが、途中から上流のほうへ逆に遡行していたというのである。気がふれたのであろうか。時として信じられない行動を起こすことがあるものだ。この荘厳な環境が方向を判断する耳石をも狂わしたのであろうか。ともあれ良かった。「車のところにたどりつくまでは最後まで気を抜かないように」と檄をとばして出発する。

 次々と未知の世界をたどった滝の探検であったが、帰りには次々と見覚えのある風景が現われてくる。午前中、恐ろしい思いで通った獣道が、幻の滝を発見して険しい崖をよじ登ってからは易しい道に見えてくる。それでも疲れているので「つまづかないように」と注意し合いながら降りていく。よくもまあ、こんなに登ったものだと思うほど遠い。やがて最後の小谷を横切るところが見えた。そこを上がると駐車してある車が見える。車のそばに到着したカメラマン氏は、どたっと音をたてて倒れ込み大の字になってしまった。「ほんとうにご苦労様でした」。お互いに声を掛け合い握手をして全員無事に帰れたことを喜んだ。時間も5時前で予定どおりだ。奇跡が起きたような気がした。




滝探検のニュース
 参加人数も良かった。これ以上人数が多かったり、大きなテレビカメラなど持ち込んでいたら幻の滝までは到底辿りつくことができなかったであろう。新聞社のカメラマン氏は、へとへとになって「かつて熊の追跡取材をしていやと言うほど山中を歩いたことがあるがこんなきつくて怖い取材ははじめて。一生の思い出になる。」という。「泊まって祝杯をあげましょう」というと「明日の朝刊めざして今から帰る」といって聞かない。仕方ないので皆んなも心残りながら祝賀会は又日を改めて行なうこととしてこの日は解散して別れた。その夜、カメラマン氏から社会面に掲載するという連絡があった。

 翌日の朝、朝刊を広げた。社会面を開いてみるが滝の記事は見当たらない。やはり間に合わなかったのだろうと思い新聞をたたんだ。するとびっくり、なんと一面中央に大きな滝の写真が載っているではないか。これには驚いた。これまで、いろんな話題で取材を受けたが全国紙の一面中央に大きく掲載されることはなかった。思わず興奮してしまった。その後、いくつかのローカル誌にも掲載され、テレビにも出演することになり大きな反響を呼んだ。

 好事魔多しという。その後、森林管理署から電話があった。「あなたは、無断で国有林に入ったのではないか」ということである。「国有林内には森林生物遺伝子資源保存林など勝手に入ることができない地域もある。入林の際は許可を受けてからでなければ困るよ。滝はいたるところにあるから当方も一々確認はしていないんだ」と叱られた。「とにかくついでの折で結構ですから出てきてください」と。

 有頂天になったところに冷や水を浴びせられたような気分である。国有林のことは考えてもみなかった。沈んだ気持ちで滝の位置図を作成して早々に森林管理署に出向いた。署長さんはなじみの人で普段はなかなか理解ある良い人であるが、その日は機嫌が悪かった。何しろ全国版の一面に出たニュースである。滝のニュースが流れるたびにいろんな人たちから問い合せや意見の電話が入ったという。国有林に批判的な人たちも多いのである。「私たちは滝を調査に入ったことも知らないのだ。問い合わせに対して返事のしようもない。」と不機嫌に言われる。

 立場を変えて考えればもっともな話である。「管理している土地がどうなっているかも知らないのか、一体何しているんだ」という話になることが予想できる。もともと国有林の管理は営林署であったから林業を営むこと以外について滝の存在などは守備範囲外であった。ただ植林に不適地という認識しかないのは当然で、近年「森林管理署」と名前が変わったばかりである。私は、ひたすらお詫びして滝の説明をした。

 ようやく、署長さんの笑顔が戻ってきたので「ついては、滝の調査のための歩道を切り開けさせて頂きたい。国土地理院から調査に見えても滝のところには崖が険しくて案内できません。今後の調査のための歩道を伐開したい」と申し出た。すると笑いながら申請書の用紙を渡された。現地は、森林生物遺伝子資源保存林等保護区からは外れていたのである。さっそく申請書を提出したらほどなく許可証が森林管理署から届いた。これからは、大手を振って安心して入ることができる。




獣道に教えられて開通
 6月2日さっそく滝へのルート伐開にくだんの吉村君を伴って出かけた。最短ルートは滝の上部にある林道からだ。地形図をみながら慎重にルートを探す。スズタケや潅木を切り払いながら進むが調査は難航した。急斜面の中で丈の高い潅木の中に入り込むと周りが全く見えなくなり、進むと突然崖の上に出たりして悪戦苦闘の連続である。やはり尾根が一番歩き易い。

 「どっちへ抜けたらいいんだろう」と思案していると「ジュウイチ」という野鳥の鳴き声が「どっちい、どっちい」と聞え始めるのだ。崖の周辺には獣道がある。崖を避けて移動する鹿や猪が同じところを頻繁に通っているので崖が険しいところほど獣道ははっきりしている。獣道を辿って崖に入っていくと崖の中を抜けることができた。獣道をたどる方が間違いないことがわかった。ただ、鹿の場合1~2m飛び降りるところがあるので注意しなければならない。

 人跡未踏の切り立った絶壁の尾根は、ゴヨウマツやコメツガが包み込み、その林床には松の落ち葉が埋め尽くされて、まるで公園のように美しい。そんなところへたどりついた時はホッとした。時折、滝の瀑布の音が響く中にエゾハルゼミの大合唱が聞える。どこかで一声聞えるとそれに呼応して一斉に森じゅうからオージー、オージーという鳴き声が湧き上がってくるのだ。その昔、幼少の頃、このセミは祇園神社の夏祭が近付くので「オーギオン、オーギオン、ギォンギォンギォン―」と鳴くのだと思っていたことなど思い出していた。

 数日通ってようやく荒削りながら歩道ができ、滝つぼへは簡単にたどりつくことができるようになった。滝ルートはまさに「アドベンチャーコース」である。「水呑」の頭(1646)からシャクナゲルートを下りて林道を跨ぎ、滝に下りて更に木浦集落の橋まで歩くと約1000mの高低差になる。距離にして約8kmほどだ。道中は「尾根伝いの駄賃付け道、白岩山の眺望、高山植物群落地、シャクナゲの大群落地、見晴らしのよい林道、足のすくむ崖、幻の滝、獣道、美しい渓谷」と続き、すばらしく変化に富んだルートである。

 6月18日、椎葉村役場に出向いた。滝の所在地は椎葉村である。これまでの経過を報告して作成した資料を提出した。そして7月22日(日)夏休み最初の日曜日に「滝開き」をしたいとお願いした。椎葉村役場が主催していただければ嬉しいかぎりである。楽しみである。   終わり。


2001年6月21日
霧立越の歴史と自然を考える会
会長 秋本 治

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